JINSEI STORIES
滞日本日記「愛をください。下北沢ストーリー」 Posted on 2020/10/30 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、秘密というほど大げさな話しではないのだが、自分からは人に言わないできたことがある。
下北沢の北沢八幡宮の鳥居の前にある蕎麦屋「打心蕎庵(だしんそあん)」というお蕎麦屋さんの名前とコンセプトを13年前、店主に依頼され考えた。
開店当時も、この13年間も、自分が名付け親であることを言わずに来たのは自分のイメージをここにつけてご迷惑をおかけしたくなかったからである。
人知れず、というのがいいのだろうと勝手に思い込んでいた。
今日、久しぶりに店主の伊東さんに招かれ、打心蕎庵の現在を味わいに行った。
これはもちろん、仕事ではない。
実は30代から40代前半までの結構長い期間、ぼくはその敷地の中に住んでいた。
そこで「海峡の光」「白仏」「冷静と情熱のあいだ」などを執筆した。
菅野美穂さん主演の連続テレビドラマ「愛をください」の舞台もその辺で、当然撮影は北沢八幡含む周辺で行われた。
思い出深い場所である。
ぼくの記憶の故郷とでも呼べる原風景である。
下北沢には学生時代から足繁く通い、結局、そこに居を構え、事務所も仕事部屋もあった。
新しくできた小田急線の駅ビルから、代沢三叉路を目指して緩やかに下る坂道を歩いた。
涙が溢れそうになるほどに、懐かしい風景が広がっていた。
駅ビルは新しくなってしまったが、それ以外はほぼ昔のままだった。
渡仏して18年もの歳月が流れたので、自分が愛した街がまだそこにあるのは本当に幸福なことであった。
「餃子の王将」「バルボアカフェ」「トロワシャンブル」「本多劇場」もまだ昔のままであった。
店主の伊東さんは北沢八幡周辺の18代目の地主さんで、人当たりの優しいイギリス紳士みたいな人、「辻さん、ここに人知れずひっそりとやれる蕎麦屋を出したいんですよ、名前を考えて貰えませんか?」と頼まれたのだった。
ぼくは蕎麦が大好物なので、うれしい依頼だった。
知り合い曰く当時「お前は大変評判が悪」かったそうで、ぼくが考えたというと誰も行かなくなるな、と思って、名前を伏せていただいた。
時がぼくの悪名を薄めてくれたようだから、やっと告白している。
打心蕎庵とは、心を打つ蕎麦の庵、ということだ。
蕎麦は毎日、職人さんが手で打つ。
そのひたむきさが、お客さんの心を打つような蕎麦屋であれ、と願いを込めた。
お店は森巖寺、北沢八幡宮に囲まれた静かな森の中にある。
暖簾をくぐって敷地内に入る。
この辺には銀杏などの高木が聳え、穏やかな場所で、しかもかなりの霊的なホットスポットでもある。
つねにここに行く時、月がぼくを出迎えてくれる。
今夜も十三夜であった。
芥川賞の時も、フランスのフェミナ賞の時も、見事なツキヨミであり、優しく八幡様の上から見下ろされた。
今日も、到着した途端、「おかえり、ひとなり」と言ってくれた。
今村恭子名義で書いた「月族」はやはりこの伊東さんの家が舞台で、そこにはご神木である巨大な銀杏の木が聳えており、物語はそこにかかる月から数千年の時を遡る壮大な話しへと連なる。
ぼくの小説の中に度々登場するこの銀杏は伊東さんの家の敷地内に聳えている。
伊東さんがガレージをあけて車の掃除をしていた。
やあやあ辻さん、と伊東さん。
いつも思うのだけど、オースティンなどの古い車が好きな絵にかいたような紳士である。
奥さまもお子さんたちもぼくにとっては遠い親戚のように懐かしい方々で、ここの方々は人を押しのけることもないし、ぼくが辛かった時期もどんな時も温かく見守ってくださった。
いわば、そこはぼくが帰る場所。
そのような土地で毎日、職人さんたちが打つ蕎麦、実に美味い。
とくにここの名物は常陸(ひたち)の細い更科で、ぼくはつゆには付けず、塩を少しふりかけ、日本酒につけて食べる。つゆも好きだが、麺つゆは使わない。蕎麦本来の風味を生かすのがよい。今日は島根の日本酒「李白」にあわせ、常陸にからすみをかけて味わった。
すだちがあると皿焼酎も出てくる。氷とすだちを掬って、グラスに注ぎ、ぐいとあおる。女将の手作りわさび漬けとの相性も抜群なのだ。
蕎麦も酒も鱧のかまぼこも申し分なかった。
仕事があるので宿に戻ることにし、階段を下りると、ぼくが書いた色紙が目に留まった。
「人は苦心し、骨を折り、最後に心打つものに辿り着く」
小説でも、蕎麦でも、人生すべてがこういうことだな、と思って書かせて頂いた。
何事も日々の努力と忍耐なのだということを蕎麦は知っている。
この食べ物が世界で一番好きなのは、いい蕎麦に出会うと生きてきたことを許された気になるものだ。
自分を失わなければ、周りに嫌われても、評判が悪かろうが、気にすることはない。
ひたむきに生きることが汚名を返上することに繋がる。
ぼくは北沢で生きていた頃、銀杏にかかる月を見上げながら、見ている人は見ている、と思って精進につとめた。
まだまだ道半ばだが、これからも気を引き締めて創作と子育てに勤めていきたい。
またいつか、人生に迷うようなことがあれば、打心蕎庵、で初心に戻りたい。