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滞日本日記「20歳年上の恋人を持った息子を心配する母親の意見」 Posted on 2020/10/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、20歳年上の恋人を紹介してくれたジュリアン君のお母さん、メグ太郎(なんでこのあだ名なのかはいまだよくわからない。昔サーファーで、さばさばした男勝りな性格だからだろうか)から呼び出されて、西麻布の喫茶店で向き合った。
ミツミさんというジュリアンの恋人に会ったことを伝えておいた。日記も読んでくれたみたいだから、話しは早かった。
「せんせー、ごめんね。忙しいのにこんな面倒なこと」 
メグ太郎はなぜかぼくのことを先生と呼ぶ数少ない友人なのだ。
ぼくが先生と言われるのを嫌っているのを知っていて、わざわざ使う。
敬意を持っての先生じゃなく親しみを込めてのせんせーだから許してね、と言われたことがあったっけ。
「ま、今は見守ってやったら」
「ええ、…まぁね。でも、はいそうですかって、応援はしずらいんですよ。だって、わたしと4つか5つしか歳が違わないんですもの、せんせー」
そうか、確かに、そう言われるとちょっと母親としては複雑だな、と思った。



うちの息子が20歳年上の恋人を連れてきたら、ぼくはどうするだろう、と想像をして神妙な気持ちになった。
ぼくらが若い頃って、世の中的には男性が少し年上、女性が少し年下みたいなカップルが当たり前で、同じ歳の夫婦でさえちょっと珍しい部類だったけど、ここ最近は男性が年下、女性が年上というのも当たり前になりつつあって、逆にいうととってもいい時代だと思う。
年齢の差って世の中が決める尺度のようなもので、実に古臭い固定概念であることには間違いない。
だから、あとは、本人同士がよければ、むしろ豊かな感じもするのだけど、…。
と進歩的なことを考えていたぼくだけど、うちの息子が20歳年上の恋人と結婚するといきなり宣言をしてきたら、一応反対するに決まってるので、メグ太郎にいい加減なことも言えず、悩んだ。
「ジャンジャックはなんだって?」
ジャンジェックとはメグ太郎のフランス人旦那のことだ。ピコ太郎さんに似ている。
「あの人は、まあ、まだ子供だから、いいんじゃないの。経験になるしって、真剣に受け止めてないんです。ね~、それ、なんの経験になるっていいたいのって、訊き返したけど、肩を竦めてはぐらかされた。男の人のこの考え方、わたし嫌です」
「あ、まー、そうだよね。年上の女性と恋愛することを頭から経験のためってしちゃうのはよくない。女性は女性だし、若くても男は男だし、そもそも、人間なんだから」
「で、せんせー、わたし、どうしたらいいのかしら」
「うーむ、それだよね」
困った父ちゃんだった。



まず、見守るべきだろう、とは思うけど、ジュリアンはしっかりとした子なので、いい子だし、可愛いし、母親であるメグ太郎はミツミさんにジュリアンを奪われたような気持ちになっているようなところもあるだろう。
「そうですね、とても、応援できる感じじゃないのが正直な気持ちだし、会ってと言われても、会えないな…ずっと」
と言う返事だった。
中途半端な気持ちで彼らの問題に介入することも出来ない。
「ジャンジャックとはこのことでちょっと喧嘩みたいになったんですよ。なるようになるさ、って他人事みたいに言うんだから」
「そうだね。でも、ジュリアンとミツミさんは今、真剣みたいだから引き裂くことは出来ないし、18歳といえば、フランスでは成人の年齢だからね。自分で気づくしかないし、メグ太郎も無理して会わなくてもいいと思う。落ち着かないとは思うけど…」
「せんせー、もう少し、私の気持ちを楽にさせること言ってください。わたし、これでも、現状はよく理解できてるんですよ。でも、納得できないから、もんもんとしているの」
堂々巡りの話し合いが続いたので、最後にぼくはこうお話しをすることになる。



「じゃあ、気休めになるかどうかわからないけど、一度、この社会の中で生きてるあらゆるしがらみを取り払って、メグ太郎も一つの生命体として、今この瞬間を生きていると想像をしてみて。出来た?」
「え? ああ、生命体、…はい、どうぞ」
「この宇宙のはじまりからずっとイメージしてみて。太陽が生まれ、それから地球が出来て、…」
「せんせー、笑っちゃいそう」
そういうとメグ太郎は実際笑いだした。
「そんな壮大な話しなんですか?」
「そうだよ。笑わないで。この星にはまだ生物がいなかった」
「うん、いない世界」
「でも、海が出来て、そこから何かが陸にあがって、生命の進化がはじまって、植物や昆虫や哺乳類らしきものが動き出して、いい世界だよね」
メグ太郎の口元が再び緩んでいる。
「もちろん、まだメグ太郎なんか存在してない。ぼくも。そのうち、恐竜がうまれ、恐竜が絶滅して、氷河期になり。また新しい命が出来て、世界各地に人類らしい人たちが出てきて、家族とかつくりだして、貨幣とか、時間の概念も生まれて、集落が出来て、戦いも起きて、宗教らしいものも生まれ、神殿が世界のあちこちに建つようになって、人間たちは願いとか、喜びとか、未来とか、死後の世界なんかを想像するようになって、文明が育ち、だんだん近づいてきたでしょ」
「来た来た」



「でも、都市国家が出来て、戦争が繰り返されるようになって、でも、その頃にはすでに人類は嫉妬心とか不倫とかが存在して、国がいくつもうまれて、大きな戦争とか、凄い感染症なんかが流行して大勢の人がなくなり、でもそこから人類は立ち直って、1959年に、ぼくが生まれたんだ」
「へー、せんせー、おめでとうございます」
メグ太郎が瞼を開いた。ぼくは笑っていた。
「つまり、20年の歳の差はこの宇宙の創生から思えば、一瞬にもならない。この先、一千年後の世界には確実に誰にも記憶されてない時代の物語だからね。そういう地球のサイズでこの愛を眺めて見たら、今、ぼくらが抱えているありとあらゆる苦悩や憎しみに振り回されるのは馬鹿らしいってことだ。ジャンジャックが言った、なるようになる、の世界で、ぼくらは生きてる。メグ太郎もジュリアンも。ジュリアンは頭もよく優しく、本当にいい子だから、信じてあげたらいいよ。あとは2人が決めることだから」
メグ太郎がじっとぼくを見つめた。そして、
「ありがとう、せんせー」
と呟いた。

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