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パリ最新情報「幾多の苦難を乗り越えデザイナーに。日本を愛するパリジャンのサクセスストーリー」 Posted on 2022/02/18 Design Stories  

パリが「モードの都」と呼ばれるようになって久しい。
古くからあるトップメゾンに加え、新しいブランドも今、続々と誕生している。
それほど多くのデザイナーが存在している、ということにもなるのだが、デザイナーとして活躍することは決して容易ではない。

あまり表には出ないが、フランスはかなりの学歴社会だ。
良い大学でディプロムを取ることで、良い就職先につながり、その後の人生も安定する。
スタートアップ企業が増えているとはいえ、昔ながらの構図は、根本からは崩れていない。

そしてフランスのデザイナーはそれだけではない。「激しい競争率」をさらにくぐり抜けなければならないため、才能、運、努力、人脈と全てを味方にする必要があるのだ。

パリ最新情報「幾多の苦難を乗り越えデザイナーに。日本を愛するパリジャンのサクセスストーリー」



パリ郊外に住むハムザ・ティトラウイさんは、その中でも人一倍の「努力」で成功を勝ち取ったデザイナーの一人だ。
出自、貧困、解雇と、幾多の苦難を乗り越え、今年パリコレデビューを果たした彼のサクセスストーリーをご紹介したい。

2022年1月下旬、エッフェル塔前にある高級ホテル「プルマン・トゥール・エッフェルホテル」のランウェイでは、割れんばかりの拍手が起こっていた。
そしてそれは、無名のデザイナー、ハムザ・ティトラウイさんに向けられたものであった。

パリコレの期間中、彗星のごとく現れた彼にメディアも大注目。
『倉庫作業員からデザイナーに転身したハムザ・ティトラウイ、ファッション界を席巻する』と仏紙ル・パリジャンが特集を組んだほどだった。

パリ最新情報「幾多の苦難を乗り越えデザイナーに。日本を愛するパリジャンのサクセスストーリー」

<ハムザ・ティトラウイ氏提供>
 

地球カレッジ

しかし、ハムザさんが歩んできたのは平坦な道のりではなかった。
アルジェリア出身の両親は、当時情勢が不安定だった祖国を離れ、安住の地を求めてフランスにやってきた。
生活は貧しく、両親はフランス語が話せなかったため、ハムザさんはフランスで生まれるも十分な教育を受けることができずにいた。

それでも、愛情たっぷりに育ててくれた両親。母親は洋服のリペアをしながら生計を支え、家族4人で貧しいながらも幸せだったという。
祖父はアルジェリアの絨毯職人だったといい、生まれながら縫製の環境にいた彼は、5歳の頃からデザイナーになりたいと思っていた。

成人後、やっとの思いでパリのファッションメーカーに就職するも、言い渡された仕事は「倉庫作業員」。
悔しかったが、「いつか絶対に僕の出番が来る!」と希望を捨てずに働いた。
そしてある日、ハムザさんは上司に直談判をする。「ここでデザイナーとして働きたいんです」と。

しかし、上司からは「ディプロム(資格)のないデザイナーはいらない」と簡単に跳ねのけられてしまった。ここでハムザさんの前に「学歴」の壁が立ちはだかる。
2017年には会社の経済的な都合で解雇にあい、とうとう彼は失業者となってしまった。

もしお金があったら、もし大学に行っていたら…と、普通なら自己嫌悪に陥ってしまいそうな状況だが、ハムザさんはこれを独立の好機として捉えた。

パリ最新情報「幾多の苦難を乗り越えデザイナーに。日本を愛するパリジャンのサクセスストーリー」



「デザイン学校に行けないのなら通信教育を受けよう。回り道をして働くよりは自宅で始めてしまおう。」
家族の助言もあって、生活は未だ苦しかったが「ボンコワン」(日本のメルカリのようなサイト)で中古のミシンと巻き尺を買って、通信教育でデザインを学び始めた。

生まれて初めてのファッションショーはパリ郊外で行われた。「モデルは姪に頼んで、お礼としてマクドナルドのハンバーガーをご馳走したのを今でも覚えています」と、ハムザさんは笑顔で語ってくれた。
しかしそれ以降、彼の快進撃は止まることを知らなかった。
市が開催する「起業家コンテスト」でハムザさんは次々にグランプリを獲得。

日本の着物に着想を得たオーダーメイドの洋服を制作し、口コミやインスタグラムで広がると、フランスだけでなくイタリアやスペイン、ポルトガルにまで顧客ができた。
今年1月のパリコレ出展は開催者から招待されたものだったという。

パリ最新情報「幾多の苦難を乗り越えデザイナーに。日本を愛するパリジャンのサクセスストーリー」

「今では大企業と同じミシンを使っているし、広い部屋にも引っ越せたんですよ!」
と嬉しそうに教えてくれたハムザさん。実は大の日本好きだ。
漫画や柔道のファンで、特に日本人の勤勉さ、完璧主義に感銘を受けている、とのことだ。

自身の作品には愛する日本の「キモノスタイル」を取り入れ、フランスの生地を使いながら両方の文化を融合させる。
昼と夜でデザインの違うリバーシブルのジャケットをメインに製作をしているそうで、余剰生地を出さないゼロウェイスト活動にも力を入れている。

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今は市が提供してくれた無料のアトリエに事務所を構えているが、近い将来にはパリに会社を立ち上げ、自分と同じくらいのパッションを持ったチームを作りたい、とのこと。
「コロナが落ち着いたら真っ先に日本に行きたい!気が済むまで大阪で生地探しをして、京都の庭園でゆっくりしたい。いつか住めたら嬉しいです。」と語ってくれた。

ハムザさんの名前はアラビア語で「獅子」という意味を持つ。
ライオンのように強くたくましい彼の、何事にも恐れない姿を目の当たりにし、思わず感動の涙が出てしまった。(ル)

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