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パリ最新情報「モンマルトルのサクレ・クール寺院、歴史的建造物に指定」 Posted on 2022/12/22 Design Stories
12月8日、仏文化省はモンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院を、国指定の歴史的建造物とすることを発表した。
これは10月に行われたパリ市議会での合意を経て、フランス国家遺産・建築委員会が「全会一致」で承認したことにより決定した運びとなった。
サクレ・クール寺院とは、パリ北部モンマルトル地域を代表する建築物である。
パリ市役所によると、サクレ・クール寺院は火災前のノートルダム大聖堂に次いでパリで2番目に訪問者の多いモニュメントとなっており、年間では約1100万人の観光客が訪れているという。
なお今回の歴史的建造物にはサクレ・クール寺院だけでなく、寺院前に広がるルイーズ・ミシェル広場も含まれている。この広場は一面に広がる芝生の斜面が特徴的で、階段に腰を下ろすたくさんの人々を季節に関係なく見かけることができる。
市内でも標高の高い位置にあるため、パリを一望できるスポットとしても有名だ。
サクレ・クール寺院は1914年に完成した。1889年に開館したエッフェル塔よりも実は若い。
どちらも歴史あるパリの中では新しい部類の建造物なのだが、その周辺が文化発祥の地として知られていることもあり、今のパリに欠かせない象徴的モニュメントとなっている。
ところが以前のサクレ・クール寺院は、パリの圧政を思い起こさせる「負の建造物」として捉えられていた。
これには普仏戦争の敗北(1870年)に続き、パリ・コミューンの歴史的な背景が隠されている。
パリ・コミューンとは、戦争の敗北に不満を募らせたパリ市民によって結成された自治政府のことを指す。
19世紀後半のパリでは、この自治政府を鎮圧するためにフランス政府軍が出動する事態となり、合計で3万人以上の犠牲者を出してしまった。
多くのパリ市民が亡くなったこの争いは「血の一週間」と呼ばれ、セーヌ川が赤く染まったとも語られている。
サクレ・クール寺院は彼らを弔うためにモンマルトルの丘に建てられた。
しかしなぜ、モンマルトルの丘だったのか。
それは、パリ・コミューンに参加した多くの人が最期を迎えた場所であり、モンマルトルが古くから「殉教者の丘」として知られていたためだ。
こうしてモンマルトルの丘は歴史的にも宗教的にも、パリ市民にとって特別な場所であった。
ルイーズ・ミシェル広場が歴史的建造物に含まれたのも、サクレ・クール寺院にまつわる物語と「切り離すことができない」と仏文化省が認めたためである。
サクレ・クール寺院は2022年になってようやく歴史的建造物に指定された訳だが、ここまで遅くなった理由には、その負のアイデンティティが一部政治家の間で問題視されていたためだ。
しかしながら仏文化省は「歴史的建造物を保護することは、その歴史のあれこれを美化することでも侮辱することでもない」とし、こうした議論が時代遅れであることを指摘した。
負の歴史から誕生したサクレ・クール寺院。
100年の時を経て、今では地域住民にも観光客にも愛される身近な建造物となっている。
なおフランスでは歴史的建造物に指定されると、従来は20%だった補助金が40%に引き上げられ、あらゆる工事に対応できるという。(る)