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パリ最新情報「パンデミックに生きる現代人の心情を香りに」 Posted on 2021/09/02 Design Stories
気が付けば、2年目に突入したマスク生活。財布、携帯、マスクと、すっかり日常生活の必需品になってしまった。他にも私たちの意識で大きく変わったことといえば、“匂い”が挙げられるのではないだろうか。
「マスクしているので前ほど他人の匂いが気にならなくなった」「出かけないので香水をつけなくなった」という人はやはり多い。
コロナ禍は人々の消費動向にも影響を与えたのだが、フランスでも日本でも、アルコールジェルや小麦粉は増加率のトップにランクインしている。それでは減少率の高かったものは何か。女性の外出が減ると使用頻度が極端に落ちるもの、口紅と香水である。
香水市場にとっては困難な時期ではあるが、そんな逆境をも味方にするような興味深い香りが続々と生み出されているのも事実だ。
今年3月、スウェーデン発のニッチフレグランスブランドBYREDO(バイレード)は、世界的なパンデミックに生きる私たちの、今感じている不安や安堵の感情を全てひっくるめて香りに昇華した「MIXED EMOTIONS」というオードパルファムを発表した。
実は、フランスをメッカとするフレグランス業界は伝統を重んじるケースが多く、家族経営や調香の修行を積んでからのビジネスが主流である。
しかしBYREDOの創設者であるベン・ゴーラム氏は、なんの経験もなく始めた異色の経歴の持ち主。香水については着けたことも興味もなかったという。
彼はカナダ人の父とインド人の母を持ち、世界のさまざまな都市に移り住んでからスウェーデンの大学に進学した。そのアイデンティティが異端視され、苦悩を抱えてきた過去を持つクリエイターでもある。
大学在学中に招かれたディナーパーティーで、たまたま隣に座った調香師のピエール・ウルフに香水の魅力を説かれ、たちまち香りの世界に夢中になってしまったそうだ。
2006年のブランドローンチ後、最初にフレグランスが並んだのはパリのセレクトショップ「コレット」(現在は閉店)。
そこで大成功を収めた。
香りの全てをフランスで生産、仏人調香師とタッグを組むなど、フランスにも大変ゆかりのあるブランドである。
今回発表された「MIXED EMOTIONS」とは“複雑な気持ち”、“入り交じった感情”を意味するのだが、その香りは未だかつてないほど壮大で型破りなものに仕上がっている。
調香を担当したのは、フランス人のマスターパフューマーであるジェローム・エピネット。
やはりマスマーケットをターゲットにした一般香水とは少し毛色が違う。
まず、トップノートはむせ返るようなスモーキーさで始まる。大抵の香水はシトラスなど爽やかな香りでスタートするのだが、「MIXED EMOTIONS」にいたってはまるで煙のなかを歩いているようで、嗅いだことのない不思議な香りに「これでいいのか」と不安になる。
ところがミドルノートではスミレの柔らかなフローラルトーンが絶妙で、放っておいたら暗くなりそうな「MIXED EMOTIONS」の香りを、ここでぎりぎりニュートラルに保っている。そして「気に病むことはないのだ」という安心を表現したラストノートは優しいムスクで着地する。
ただ多幸感をあおるようなフレグランスでもなければ、万人受けも狙っていない。なんとなく滅入る気持ちと、人を惹きつける何かを同時に持ち合わせた、まるで太宰治のようなフレグランスである。
香りに大きな変化をつけないフレグランスがトレンドの今、これだけ目まぐるしくノートが変わるのも珍しい。湧き上がってくる負の感情、それを打ち消すためのポジティブな言葉、先の見えない不安、それでも未来は明るいと思える自分、そういった私たちのタイムリーな心情を見事に表している。
パンデミックのさなかに発表された香水には、BYREDOのように従来の常識を覆すような香りが多く名を連ねる。例えばフランスの老舗香水メゾン、セルジュルタンスでは「La dompteuse encagée」と題したフレグランスを打ち出したのだが、この意味は日本語で「檻に入れられた調教師」。
本来なら檻に入れられた動物を扱うはずの調教師が、逆に檻に入れられてしまったというコンセプトで、さながらロックダウンの状況を匂わせるオードパルファムだ。ちなみにこれはフランス版VOGUEで「2021年の理想の香水」として紹介されるなど、人々の高い関心を集めている。
香水は今まで、自分を印象づけるための言わば「マーキングツール」として使用されてきたが、コロナ禍を経て、それぞれの心を癒す目的の嗜好品に変わった。
そのような消費者の気持ちを捉えたのか、作り手たちの創作魂にも火がついていることがうかがえる。ファッションの流行はその時代の文化が色濃く反映されるものだが、香水もその後を追うようにしてトレンドを作っている。名作ぞろいの2021年、今後数年はこのようにエモーショナルで深い作品が発表されるに違いない。(内)