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パリ最新情報「印象派の画家モネが暮らした家。パリ郊外で博物館として生まれ変わる」 Posted on 2022/10/11 Design Stories  

9月17日、印象派の画家クロード・モネの暮らした小さな家が、博物館としてオープンした。
場所はパリ西郊外のアルジャントゥイユ(Argenteuil)。パリの主要駅サン・ラザールから電車で10分のところにあり、中心部からもアクセスしやすい。
モネの家といえばノルマンディー方面にあるジヴェルニーが有名だが、1874年から1878年まではここアルジャントゥイユで妻のカミーユ、息子のジャンと共に暮らしていた。

パリ最新情報「印象派の画家モネが暮らした家。パリ郊外で博物館として生まれ変わる」



19世紀印象派の画家たちは、パリ西郊外からノルマンディーにかけての風景を多く描いた。のどかな田園風景を目指して移住した画家も多く、当時のアルジャントゥイユはその拠点の一つであった。

こちらにあるモネの家は、スイスのシャレーにヒントを得て建てられたという。
これは当時流行していたリゾートスタイルだったそうで、近隣を見渡してみても、確かにシャレー風の家がたくさん残っている。
2003年に歴代の所有者が手放すと、市が買い取り、10年以上の年月をかけて隅々まで改装を施した。
アルジャントゥイユの家は淡いピンクの壁にグリーンの雨戸がアクセントになっていて、150平方メートルの敷地にはこじんまりとした庭も広がっている。どこかジヴェルニーの風景を彷彿とさせる、柔らかな色彩が印象的だ。

パリ最新情報「印象派の画家モネが暮らした家。パリ郊外で博物館として生まれ変わる」

アルジャントゥイユ時代はモネの絵が売れ始めた頃でもあった。
この時期に描いた油彩は259点にも上り、代表作には1877年の「サン・ラザール駅」などがある。
しかし実際の作品は美術館に展示されているため、アルジャントゥイユの家には残念ながら実物が置かれていない。

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ただ、こちらには家の各所にユニークな仕掛けが施されている。
一般的に、博物館の家具には触ることができない。ところが、ここでは「家具は自由に触ることができますよ」と館職員。中を見渡してみると、そこかしこに(目)のマークが配置されていて、引き出しでもクローゼットでも、訪れる人は自由に開けることができた。

その中にあるのは、モネがアルジャントゥイユ時代に描いた絵画の小さなスクリーンだった。モネの作品だけでなく、その他の印象派の作品も収められており、内壁、窓、家具のいたる所に仕掛けが隠されている。
中にはドレッサーのボタンを押すと鏡に人物画が写し出されるといった仕組みもあり、視覚だけで楽しむという博物館の常識を小さく覆してくれた。

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モネがここに住み始めたのは秋だった。
同じ秋に訪れてみると、窓からの木漏れ日が影となって映し出され、大型美術館にはほとんどない季節感というものを味わうことができた。
家具や壁もスカイブルー、ピーチ、オールドピンクといった印象派の色調で統一され、どの部屋も訪れる人を柔らかい雰囲気に包み込んでくれる。

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アルジャントゥイユ市によれば、「宝探しのように、引き出しの中や食器棚から絵画の秘密を探り当ててほしい。この博物館は、アルジャントゥイユの地にクロード・モネが存在したことを具体化するものです」とのことだ。

当時、この町ではブドウやアスパラガス、イチジクなどが盛んに栽培されており、緑を求めたパリジャンが週末を過ごしにくる場所だった。
大作『睡蓮』の前にモネは西へ西へと住まいを移しているが、アルジャントゥイユはその中でも多作の時代だ。印象派展での成功を経験し、妻カミーユの死の直前まで暮らしたこの家は、モネにとって忘れられない思い出があったのだろうと推測する。(こ)

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