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パリ最新情報「故・KENZOの遺品がオークションで最高額で完売!」 Posted on 2021/05/14 Design Stories
日本人が誇る我らのケンゾーは、フランス人にも我らのケンゾーだ。
1939年に日本に生まれ、2020年フランスに死す、高田賢三氏は、日本でファッションを学んだが、その倍の年数をフランスでファッションデザイナーとして名を馳せ生きた。
氏は長い間、イブ・サンローラン、カール・ラガーフェエルドと並ぶトップデザイナーであり(しかし各々が違った個性的なデザインをしており、ケンゾーのそれは日本の伝統とフレンチの軽やかさを優雅に融合した今までにないオリジナリティーを持っていた!)、1984年にフランス芸術文化勲章を、2016年にフランスレジオンドヌール勲章も受けている。
氏が逝去した時には、フランスの有力メディアのみならずフランス大統領のエマニエル・マクロンが、パリ市長のアンナ・イダルゴが、相次いで追悼文を捧げたが、中でも「今日パリは、私たちの息子の死に涙する…」と結んだアンナ・イダルゴ氏のツイッターは印象的だ。
氏がどれだけパリで愛されていたかを知る。
さて、そんな氏は子孫を残さなかったため、住んでいたサンジェルマンデプレの陽当たりのよい大きなアパルトマンにあったすべての持ち物は、氏の突然の死でそのまま、明るい日差しの中に残された。
様々な美しい家具、食器、絵画…。
それらは言わずもがな高価でオリジナルな珍しいものが多く、様々な時代、国のものが混ざり合っているが、どれもが氏の世界観を映し出して、不思議な統一感があった。
特筆すべきは中国漢時代の檜の馬像や3世紀の仏像、アール・デコの装飾美術家エミール・ジャック・リュールマンのプレイエルのピアノ、ウィリアム・エグルストンの写真13シリーズ、そして彼が描いた絵画「能面」シリーズや「高官姿の日本人」(この絵画に私たちは画家高田賢三を発見する)。
居心地のよさそうな彼の家は、まるで小さな美術館のようでもあったが、これらのコレクションは日本の親族により、パリのオークションハウス、アールキュリアルに託された。
アールキュリアルは、2002年に誕生したまだ若いオークションハウスだが、オープン以来、本物を見極める確かな目と本物を愛する思いで、その勢いは留まることを知らずインターナショナルに活動を次々と成し遂げている。スタッフも若い。
シャンゼリゼ通りの最終地点にある、歴史的建造物に指定されている1844年に建てたれた小さな城のようなマルセル・ダッソウ館が本社であり、今回もオークションが始まる一週間前から、ここで展示会が開かれた。
ケンゾーの展示会は、この瀟洒な館に、まるでケンゾーが引越しでもしてくるようでもあった。
彼が生きていたサンジェルマンのアパルトマンのレイアウトや様子が、できるだけそのまま、館内に再現されたからである。
ソファーの横に並ぶシルクの軽やかな色合いのクッション、テーブルの上に並んだ筆や色鉛筆までが…。
展示会は成功と思われた。コロナ下の半ロックダウンのフランスで、美術館は長く閉館中で、人々が美術鑑賞に飢えていたとしても(それにしても、オークションハウスは閉館の例外をというのは不思議だが)、興味本位で人々が展示会にやってくるのではなく、プライベートなクライアントルームに出入りする人が絶えなかったのだ。
展示会には彼の遺品のみならず、一般初公開のデッサン、パターンが添えられたプロトタイプの服などもあり、モード関係者にも興味深いものだっただろう。
そして去る11日に、アールキュリアルの競売会場でのリアルと、世界のクライアントを繋げたネットや電話の同時進行で、オークションが行われた。
また12日にはオンラインのみのモード関連品のオークションがクローズされた。
日本人にとっての、そしてフランス人にとっての、“我らがケンゾー”は、しかし日本もフランスも超えて愛されていたことが、競売結果から証明された。
様々な国からの、なんと全28カ国に及ぶ落札者たちにより、600に及ぶ競売品が残すことなく完売したのだ。
売り上げは総額250万ユーロ。それは推定落札金額の5倍だという。
ケンゾーブラボー! 自らは買えなくとも、そのいくつかが、“我らがケンゾー”の祖国、日本に渡っていくことを、そっと願いつつ。(ア)