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パリ最新情報「フランス考古学、ノートルダム大聖堂で発見された石棺の封印を解く。人物を特定へ」 Posted on 2022/12/13 Design Stories
2019年4月、大規模な火災に見舞われたパリのノートルダム大聖堂。
現在も急ピッチで再建工事が進んでおり、2024年の再オープンに向けて多くの関係者が日夜作業にあたっている。
一方、修復直前の発掘調査では「近年稀に見る」考古学的発見もあった。
仏文化省の発表によると、焼失した尖塔部分の真下、地下1メートルから保存状態の良い2つの棺が見つかったといい、その埋葬場所や埋葬法から棺に眠る人物がかなり高貴な身分だったと噂されていた。
そんな世紀の発見から9か月、仏文化省は慎重な調査の結果、「発見された棺のうち1人の身元を突き止めることができた」と12月9日に発表した。
調査はフランス南部・トゥールーズ大学の法医学研究所で行われた。
なぜトゥールーズ大学に移されたのかというと、発見された棺が石棺ではなく鉛製であったため。
この大学は専門家を鉛中毒から守るため、そして遺骨および生身の人間を汚染から守るための最新の防護服・調査機器を取り揃えており、フランス国内の発掘調査でもすでに一定の成果を上げていた。
人類学者、考古学者、映像分析の専門家によってチームが組まれると、まず棺に刻印されたラテン語の文字が発見された。
そこには名前だけでなく命日と死亡時刻、職業までもが刻まれていたといい、「1710年12月24日に83歳で亡くなったノートルダム大聖堂の司祭、アントワーヌ・ド・ラ・ポルト氏のもの」だと判明した。
なおポルト司祭の肖像画はルーブル美術館にも収められており、研究チームは肖像画の人物と遺骨をこのたび完全に一致させたと述べている。
ポルト司祭は、ノートルダム大聖堂に50年以上在職した大司祭であった。
また彼は当時のフランス国王ルイ13世の要請により、ノートルダム聖歌隊の初編成に大きく貢献した人物としてもよく知られている。
鉛製の棺も保存状態の良さに貢献した(当時ではとても高価な素材だった)。
上部に古い裂け目があったということで、そのほとんどは酸化してしまったが骨の組織は研究に十分なほど残っており、今回は司祭の健康状態までもが解明されている。
中世の時代に83歳で亡くなったというのは、まずかなりの大往生だと言える。
それどころかポルト司祭の上の歯はすべて残っていて、歯を磨いた形跡もあったことから、ノートルダム大聖堂の聖職者の由緒正しい生き方を確認するものであったという。
ただ2つの棺のうち、もう1人の人物はまだ特定されていない。
しかしながら研究チームは「花冠」に使われたと思われる花や葉の遺留物が多数含まれていたことや、遺体処理技術の高さから彼が貴族の身分に相当する男性であったと断言している。
加えて研究チームは、彼の腰骨、大腿骨、右肩甲骨の高さから、馬に乗った仕事をしていたこと、そして普段から剣や槍を武器として扱っていたと突き止めた。
なおこの人物は25歳から40歳の間に病死したとされており、年代・ポルト司祭との関係性はまだ不明。
トゥールーズ大学では今後も調査研究が続けられ、次なる発表は来年に予定されている。
正体不明の人物が只者ではない、ということに大きな期待を寄せるフランス考古学。
また研究チームが追加した情報によると、ノートルダム大聖堂の地下に埋葬される人は高貴な身分であるだけでなく、悪評が一切立っておらず、抜群の知名度でなければならないとのことだ。(内)