PANORAMA STORIES
モードが提案する「架空の女性」への憧れ Posted on 2017/07/15 種井 小百合 デザイナー パリ
パリで服飾デザインの勉強をしようと決めて渡仏したのは、今から約8年前の2009年。
偶然にも、日本ではその年の流行語大賞に「ファストファッション」という言葉がノミネートされ、「大量生産大量消費ファッション」時代に突入したタイミングでした。
渡仏し、世界のモードの首都といわれてきたパリに来たものの、街中には「H&M」や「ZARA」の店舗が並び、パリジェンヌもニューヨーカーも東京の人もほぼ同じ格好をしているように感じられました。
フランス語を頑張って習得してまで本場のモードを勉強しに来たのに、結局日本と同じような洋服が溢れるパリの街で、最初は肩を落としたものでした。
けれども、実際にパリのメゾンに入り「モードを作る過程」を見ているうちに、自分がそこで見ている「モード」と、街中で多く見る「ファッション」との間には何か違和感を覚えるほど大きな違いがあることに気づきました。
そして、そのギャップの中で気づいたのは、 「モード」と「ファッション」という同じ「洋服」を指す言葉の間には「本質的な意味の違い」があるのではないかという点でした。
私が本場のメゾンで見た「モード」は、「服を通して、どの様な女性を作るか」という、人の内面までを見せることに重きを置いていました。
アシスタントをさせてもらい、一緒に働く機会を頂いた、ジャンポール・ゴルチエ氏は「強くダイナミックな女性」の為に、高田賢三氏は「人生をより自由に楽しむ女性」の為に服を作っていました。
歴史を遡れば、シャネルは「自立した女性」の為、サン・ローランは「マニッシュだけどセクシーな女性」の為、それぞれのブランドにハッキリとしたミューズ(イメージする女性)がいました。
「ミューズの為に何を作るか」を考える所から始まり、素材や色を選び、形を決め、それをショーで着るモデルの表情や仕草までに注意を払い、「新たな女性のモード」として発表していました。
クリエイターが提案する「架空の女性」になりたくて、消費者はファンになり、その服を着る。
自分の憧れる存在や世界に近づく為の洋服、その形として「モード」があったのです。
メゾンで ”本物” の「モード」に触れながら、街に溢れる、いわゆる ”流行り” の「ファッション」を見ると、「外見をクールに装う」という事のみを目標とする洋服が溢れている様に見え、その服を着ている人がどういう人間になりたいのかが良く分からない打ち出しが多いように感じました。
経済的不況が続く中、大量に生産して売りさばく為にも、万人に受ける物を提案するしかなく、ニッチな層の誰かのための物作りをするというリスクの高い事が出来ない状況になっています。その上に、大手メゾンの中でも洋服を単なるビジネス商品として扱う企業が増えていることも現実。
今までのモードの洋服はその作りや素材から高額でありながらも、ブランドが打ち出す世界観に消費者が心からファンになり、頑張って服を買っていました。しかし、「ファストファッション」がそれを安易にコピーし、それらしい「モードっぽいもの」として安価で提供する様になって以来、消費者にとっての「洋服」の本質的な意味と価値を見失わせる時代になったように感じます。
大量に物が作られるようになり、「ファッション」が溢れる時代。再度、「洋服の本質」に消費者が気づき、自身を内面から磨けるような洋服を大事に身につけ、着こなす事が、私達が現代の「物も人も大切にされない時代」に美しく生きていく上で重要なことではないでしょうか。
そして、自分も含め全てのデザイナーに昔から求められている一番の課題は、
着てくれる人の内面までも美しく支え、新しい生き方や価値観を提案出来るような「モード」を創造していくことなのだと気づきました。
「モード」の首都であるパリに来て、最終的に自身の職業で一番大事な事を教わったのです。
Posted by 種井 小百合
種井 小百合
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デザイナー。1985年生まれ、愛知県出身。中京大学国際英語学部卒業後、2009年に渡仏Studio Berçotにて服飾デザインを学ぶ。卒業後、同校でニット講師アシスタントを務め、Jean-Paul Gaultier社に入社。同社でコマーシャルライン統括デザイナー、オートクチュール刺繍デザイナー、Jean-Paul Gaultier氏直属アシスタントデザイナーとして4年間勤務。その後、高田賢三氏の元で、コラボレーション企画の統括デザイナーとしてアシスタントを務める。2017年、日仏に拠点を持ち、両国の文化や伝統技術を取り入れた自身のブランド「MAISON MAREA」を立ち上げる。