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イングランドに酒蔵を作った男 Posted on 2017/06/22 Design Stories  

大阪の造り酒屋のご主人がイギリスの田舎に酒蔵を建設している、という。
200年の歴史がある名門酒蔵の次男坊、何を思ったのか一大決心、全財産をそこにつぎ込んだ。
歴史的建造物に指定されている屋敷を購入、33ヘクタールもある土地に醸造所を建設している。

なんで、なんでイギリスなの?
ちょっとした興味が沸いた。これはお話を聞きにいかなければ、と取材に出かけた。ケンブリッジ大学から車で30分、自然豊かな土地イーリーに男のロマンが炸裂している。
イギリスに酒蔵を作った男のロマンです。
 

イングランドに酒蔵を作った男

DS編集部 ここはとても良いところですね。360度自然に囲まれた素晴らしい土地だ。羊は放牧されているし、馬もいる。空気がとっても濃いですね。ロンドンからくると、深海から海面に顔を出したようなすがすがしい気持ちになります。

橋本 良英さん(以下、敬称略) ありがとうございます。やはりケンブリッジが近いということで、世界中から若い野心的な学生が集まってくる場所ですし、このフォーダムアビーも歴史のある修道院の跡で、非常に自然もたくさんありますので、(酒蔵を作るのに)うってつけの場所だと思ったんです。

DS編集部 この土地に酒蔵を作ろうと思われた、一番のきっかけは何ですか?

橋本 私は日本を離れまして、日本酒の素晴らしさを世界中に知らしめるためには、ほら、日本は位置的に世界の端にあるじゃないですか、もう少し世界中の人たちに酒を知ってもらえる場所、こちらの人々が寄って来やすい場所に酒蔵を作りたいなと思い、この場所を選びました。

DS編集部 ここ以外にも何か所か物件を見られたんですか?

橋本 数えきれないくらい見ましたね。工業団地のようなところとか、街中の賑やかなところとか。
 

イングランドに酒蔵を作った男

DS編集部 では、なぜ、イギリスなんですか? イギリスといえばウィスキーというイメージもありますが、どうしてイギリスに日本酒の酒蔵なんでしょうか?

橋本 日本とイギリスは文化的にも相通ずるようなところがありますし、遡れば日英同盟(笑)。どちらも島国です。アジアの島国、欧州の島国、伝統文化、歴史がある。酒造りというのはやはり文化や歴史、そういうものの背景がないとなかなか受け入れられないもので、文化度が高くないとならないんです。まさに英国はうってつけ。ウイスキーの伝統もあります。そこかな・・・。気候的にもこちらは良いですね。

DS編集部 ウィスキーと日本酒には何か相通じるものがありますか?

橋本 こちら(イギリス)に(ウィスキーの)勉強に来られたのは広島の大きい造り酒屋の息子さんですし、日本酒とウィスキーというのはずいぶん関わりがありますね。日本で最初にウィスキーを作ったのは大阪なんですよ。ご存じでしたか? 私が生まれた富田からすぐ隣の町、三島郡大山崎町というところでウィスキーは産声をあげたんですけど、私が生まれたのは大阪府三島郡富田町で、郡まで一緒なんです。

DS編集部 (橋本さんの出身地が)ウィスキーを最初に作った場所から近いということですね。富田はどんな場所なんですか?

橋本 ちょっとその前にお酒の話をします。日本酒の歴史をみますと、都のあった奈良で造り始められて、それまでは消費地と生産地が一緒だったんです。だけど、次第に酒を造る場所と消費する場所が離れるようになった。その初めての場所が富田で、600年前に富田で酒造りが始まりました。結局は、都が長岡京市へ移る時に、奈良で酒を造っていた連中が、奈良と長岡京の間にある富田の町へ住みついたのがきっかけで富田の酒造りが始まったと聞いております。

DS編集部 橋本さんの一族というのはどのくらいの伝統と歴史がある酒蔵をもっていらっしゃるんでしょうか。

橋本 私どもの酒蔵は200年です。その前は菜の花の菜種油を絞る仕事をしていたそうです。油屋から酒屋に変わりました。酒屋になってからは200年です。

DS編集部 隣町に日本で初めてのウィスキーの製造所があって、その縁もあって今ケンブリッジにいらっしゃる。イギリスといえばウィスキーで、昔日本人はイギリスのウィスキーをたくさん飲みましたよね。それを今度、逆に日本からイギリスに日本酒の酒蔵を造ってイギリスに日本酒を広めようという心意気が素晴らしいと思うのですが。しかし、このような歴史的建造物を酒蔵にするって、すごいことですね。

橋本 やはり地元の方々の応援ですね。地元の方々の日本に対する期待をひしひしと感じます。昔の英国同盟ではないですけれども、日本と深い関わりを持ちたいという英国の気持ちを感じました。EUからイギリスが離脱するとき、大企業はみんな離れていきましたけど、逆に私はチャンスだと思ったんです。イギリスは私たちを歓迎してくれています。通常、許可を取るのが非常に難しく、町の人一人でも反対したら認可が下りないという中で、町の人々が満場一致で「フォーダムアビーに酒蔵を作ろう!」と賛成してくれたのです。そういう選挙みたいなものがあったんですけど、全員が手を挙げてくれた。感動的な瞬間でした。今までイギリスにおいて日本人がやってきたことに対する評価だと、私は思っています。決して、私たちだけのために許可を下ろしてくれたのではなく。悲しい戦争の歴史もありますが、日本人が今までコツコツとやってきたことに対して、許可を与えてくれたんだと思います。
 

イングランドに酒蔵を作った男

DS編集部 町の方々との思い出とか、何かありますか?

橋本 そうですね、どこの会合へ行きましてもやはり遠い日本から来たということで温かく迎えてもらっています。ロンドンにはない親日というか、遠くからわざわざという、そういう温かみをひしひしと感じてます。地元の方々が、いったいどんな建物なのって、見学に来たことがあるんです。というのも地元の人々でさえもここがあまりに古い建物だから、簡単には入れなかったのです。ところが地元の方々が私どもの酒蔵に足を踏み入れた途端、涙を流されたんです。自分たちの先祖の想いがそこに溢れていたんですね。これはおろそかにできないぞ、と思いました。だから、一人でも多くの方に訪れていただき、楽しんでいただけるような施設にしたいと思っています。

DS編集部 どのような日本酒を造ろうと思われているのですか?

橋本 私は大学を卒業してから26年間酒造りに携わっていたんですけど、常々、何か、今の日本酒が偏った方向へ向かってるのではないかと思っていました。日本酒はもう少し幅広い味を出せる。かつては、もっと味に幅があったんですけどね。何かこの頃幅が狭くなってきていますので、もう少し多種多様な日本酒をここで一緒に勉強しながら作っていきたいなと思っています。

DS編集部 欧州の人たちは、日本酒を日本食とともにだんだん受け入れてくれていますよね。でも、まだまだ数字的にはこれからだと思うんですけど、その多様性のある、広がりのある日本酒を作ることで日本酒を世界に広めたいという想いはあるのでしょうか?

橋本 今の日本酒も素晴らしいと思います。だけど、やはりワインやビール、他のアルコールから比べると今の日本酒では欧州内で広めるためには何かが足りない。もう少し幅のある、味わいのある酒にしていかないと、なかなかワインやビールを打ち破れないです。それと対等に戦えるような日本酒を日本の酒蔵メーカーさんも考えていると思うのですね。それが昨今日本酒メーカーが海外へ進出している大きな要因だと思うんですけど。それをもう少し、やりやすいような形にみんなで協力しながら模索していきたいと思っています。
 

イングランドに酒蔵を作った男

DS編集部 橋本さんがお考えになっている日本酒のアピールしたいところ、日本酒の本当の魅力をどのようにお考えか教えてください。

橋本 日本酒を作るには、お米を植えて、収穫してから製品になって出荷されるまで何年もの苦労を重ねます。みんなが分担分担で協力して作り上げる。日本酒は幾つもの過程を経てできているということを世界に伝えていきたい。いい意味で、そういう日本人の真面目でひたむきな姿勢が、世界にアピールすることを遅らせてしまった。でもこれからはアピールしていかないと世界で通用しない。ワインやビールと同じように日本酒が世界に広まって行った時に、日本が持つ、何千年と続けてきたことの「底力」が世界に伝わるのではないかと思います。

DS編集部 なるほど。

橋本 イギリスと日本の架け橋となったものが、ウイスキー造りを学んできた日本人であった。今度は日本からイギリスへ日本酒を持ってくる。そういうものがうまく架け橋となって日本とイギリスの良い関係が生まれたらなと思っています。

DS編集部 しかし、イギリスから日本酒という発想はなかったですね。

橋本 日本で発信するというのも大事なことだと思いますが、東の端に位置するという地理的なハンディというか制約もありますので、西に拠点を持ってくることで日本の素晴らしい文化や技術を世界中にアピールできる場所になったらいいなと思っています。

DS編集部 いい日本酒ができるといいですね。
 

イングランドに酒蔵を作った男

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