PANORAMA STORIES
ノストラダムスのお菓子レシピ? 暮らしのなかに人智が宿る Posted on 2017/06/07 町田 陽子 シャンブルドット経営 南仏・プロヴァンス
少し前から、日陰を選んで歩くようになった。今年も夏がプロヴァンスにやってきたのだ。この地の日差しは強烈だ。ほとんど雨が降らず、カラカラに乾燥するので草も生えず、ヒツジやヤギたちは酷暑が到来する前に、山の上に避難させられる。
南フランスの夏の朝は、毎日決まった儀式がある。早朝、家中の窓と鎧戸を開け放ち、そして、日が高く上る前に鎧戸をすべて閉める。開けたり閉めたり忙しいのだが、朝の爽やかな空気を家の中に招き入れ、昼間の日差しはシャットアウト、という昔からの知恵である。そして夕方、再び窓と鎧戸を開け、冷気を入れるのだ。
日中、町や村を歩くとどこも鎧戸が閉まっているので、ずいぶん留守の家が多いなと最初は思ったものだが、私もいまや、毎日この儀式を繰り返す一人となった。
プロヴァンスの夏の主役といえば、ラベンダーである。そろそろ、6月になると低地から咲き始める。「ラベンダー街道」と呼ばれる道を車で走ると、1時間走っても延々と両側は紫色。
ラベンダーとは「洗う」という意味のラテン語が語源になっているのだが、たしかに、この植物ほど清潔感をイメージさせる香りはないだろう。もともと地中海沿岸全域に自生していた植物で、それを古代から精油に蒸留し、薬用植物として生活に役立ててきた。
現在、プロヴァンスで栽培される大量のラベンダーも、蒸留され、精油に生まれ変わる。1トンのラベンダーからとれる精油は、約25リットル。蒸気で蒸留され、ゆっくり落ちてくる一滴一滴は、貴重な黄金の雫だ。
この雫に、何千年も前の人間の知恵が宿る。
我が家から車で20分くらいのところに、ゴルドという石垣の美しい村がある。ここから谷底へと降りていくと、12世紀に建造されたセナンク修道院がある。いまも修道士たちが祈りの生活をおくる修道院だ。
教会が権力をもち、豪奢さを競い合っていた11世紀、それに反する考え方、つまり清貧さを尊ぶシトー会という会派が生まれた。自分たちで切り出した石や木材で建物を作り、厳格に、簡素に、祈ることに人生を捧げた人たちである。
教会の中も、瞑想や祈りを妨げる装飾は省かれている。唯一、光が神の象徴。刻々と動く光で、教会の中が微妙に変化していく様子はドラマティックだ。
何もない。けれど、甘美な空間。それがフランスの近代建築の巨匠ル・コルビュジェの目に止まり、ひいては日本の現代建築家にも大いなる影響を与えた。
この修道院が、プロヴァンスでもっとも有名なラベンダーの名所である。修道士たちが育て、収穫し、製品にして販売し、コミュニティ作りに励んでいる。
清らかなラベンダーの里にふさわしい、歴史と佇まいをもつ修道院だ(ただ残念なことに、昨今、畑の中に入り自撮りに興じる人が増え、昨年ついに垣根が作られてしまった。ラベンダーの時期に行くなら、人の少ない朝がおすすめ)。
南仏に暮らしていると、日常生活のなかでも、歴史の恩恵を受けていることに日々感動する。
例えば、今日食べたフリュイ・コンフィという果物のシロップ漬けにしても、レシピを考案したのは、16世紀に生きたプロヴァンス生まれのノストラダムスである。
ちなみに彼は預言者として有名だが、本来は医者で、占星術師であり、詩人、料理研究家でもある。
この砂糖菓子、でき上がるのに5〜6ヶ月を有する代物だが、数世紀もの間廃れなかっただけあり、果物の香りが封じ込められていて大変おいしい。
掃除ロボットや、洗濯ものを畳んでくれる便利な家電が出てくるいっぽう、米を土鍋で炊くのが流行るように、多少面倒でも手をかけて暮らす人が日本でも増えているように見える。それは、毎日をていねいに生きるということだ。時間に余裕がないと理想通りにいかないことも多いが、私もいつからか、つつましく心豊かな暮らしを実践したいと願うようになった。
我が家の周りの家々では、日曜日の昼前になると、窓の外に焼き菓子が並ぶ。
フランスでは、日曜は家族が集まり、ランチを皆で食べる習慣があるのだが、そのためのお菓子を焼いたあと、台所の窓の外に出して粗熱をとっているのだ。
こちらの人にとっては珍しくもない光景だろうが、私にとっては、田舎の素朴な暮らしぶりが楽しくて、最近はケーキを焼いたら、はい、窓の外! と真似している。
Posted by 町田 陽子
町田 陽子
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シャンブルドット(フランス版B&B)ヴィラ・モンローズ Villa Montrose を営みながら執筆を行う。ショップサイトvillamontrose.shopではフランスの古き良きもの、安心・安全な環境にやさしいものを提案・販売している。阪急百貨店の「フランスフェア」のコーディネイトをパートナーのダヴィッドと担当。著書に『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』『南フランスの休日プロヴァンスへ』