PANORAMA STORIES
” q.b. ” レシピのないレシピ帳 ~幻の魚~ Posted on 2017/06/09 八重樫 圭輔 シェフ イタリア・イスキア
幻の魚がやって来た。それは16年前と同じ、ある4月の夜に。
午後6時半、いつものように厨房に入り挨拶をする。「Buonasera(こんばんは)!」
すると先に来ていたオーナーシェフのフランコが嬉しそうに僕の傍にやって来て
「今日、用事で隣町まで行ったら、たまたまこれを見つけたんだ」
そう言って透明なビニール袋を僕の前に突き出した。
中には見覚えのある小魚が入っている。
「こ、これって、あ、あの禁漁になったやつじゃないの!? 何で? どこで売ってたの? 解禁になったの?」
そう、この魚は10年以上前に水産資源保護のため、いくつかの魚介類とともに禁漁になり、姿を消した小魚だった。
「さあね。港の前を通りかかったら、漁師が屋台で売ってたよ。キロ30ユーロもしたけどね。」
キロ30ユーロ! イスキアではどんな高級魚だってそんな高値はつかない。ちょっとアヤシイ、けどここは全てがアバウトな(南)イタリア。何だって起こりうるのだ。そして大抵のことは寛容に受け入れられる。
ともかく僕は“幻の魚”と久々の再会を果たした。
それは、ついさっきまで泳いでいたかのようにぴちぴちとしていて、まるで金属か何かのようにきらきらと光っていた。2001年の4月、僕がイスキア島に初めてきた日の、初めての賄い料理の1つがこの魚だった。
右も左もわからず、初対面の人たちとテーブルを囲んだあの春の宵。それまで住んでいたフィレンツェの料理に慣れていた僕の舌には、ビネガーでさっと煮ただけの素朴な味わいは衝撃だったのを覚えている。
所狭しと並んだご馳走の数々、それまで聞いていたイタリア語とはまるで違い、ほぼ外国語同然だったイスキアの方言。真夜中に繰り広げられる宴会はまるで古い映画のワンシーンで、僕はその雰囲気にのまれ、半ば夢心地だった。
それでも味覚だけは冴えていて、次第に遠慮など忘れてあれもこれも食べ始めた。
どれも素朴な味わいで、ああ、自分が好きなのはこういう料理なんだな、とぼんやり思いながら黙々と食べ続けた。
周りもそれに気づき、「どんどん食べなさい」と皆が嬉しそうに言ってくれた時、初めて仲間に加われたような気がしたものだ。
アパートが見つかるまでの間、仮住まいにしていたホテルの一室。深夜、波の音に交じって聞こえてくるドイツ人観光客たちの陽気な歌声。眠れぬ夜に、と買っておいた太陽の形のリモンチェッロの瓶、月明かりのビーチのエメラルド色のしぶき、、、疲れ果てて帰っても、イスキアの深い緑と潮風が癒してくれた。
ホテルは町の中心から離れた、美しいヴィラが立ち並ぶ地区にあった。毎日、坂道を古い自転車でぴゅーんと下りる。朝の光に包まれた街と海を見ていると、何だってできそうな気がした。
あっという間の16年だった。悔しさに涙をこらえた時もあった、たくさんの出会いや別れもあった。
家庭を持ち、4人の子供にも恵まれ、平穏な日々も、出口の見えない時も、自分なりに前を向いて続けてきた。
毎日は雲のように、姿を変え、色を変え、風に流され、そして消えてゆく。1つとして同じものは生まれず、それが何の形に見えるかは自分の心次第。たとえ黒い雨雲が広がっても、その後ろには青空があることを忘れずに、これからも、自分なりの歩幅で行こうと思う。
もう2度と見ることもないと思っていた幻の魚。”初心を忘れずにね”というメッセージを届けに来てくれたのかな。
今回はこの思い出のレシピを、幻の魚ではなく、もっと一般的なカタクチイワシでご紹介したいと思います。
カタクチイワシが手に入りにくい地域にお住まいの方も、なあんだ、と諦めないでください。
最後におまけもついていますから! では早速、参りましょうか。
※タイトルのq.b.とは適量を意味するイタリア語 quanto basta(クアント バスタ) の略です。
細かいことは気にせず臨機応変に、あなた次第のレシピにして頂けたら、という思いを込めて。
カタクチイワシの白ワインビネガー煮オレガノ風味
材料(4人分)
カタクチイワシ 500グラムほど
白ワインビネガー 80mlほど(好みで調整)
オレガノ(ドライ) q.b.(適量)
(フレッシュ)q.b.(必須ではないので、あれば)
塩 q.b.
オリーブオイル q.b.
水 少々
下ごしらえ
カタクチイワシは頭と腹わたを手で取り除きます。
骨が気になる方はさらに手開きして、中骨を取ります。
ただ、魚が大ぶりでなければ、骨も軟らかく煮れますので大丈夫です。
塩水に少しさらして血や汚れを落とし、ざるにあげます。
作り方
① フライパンに魚を適当に並べ、すべての材料を入れます。
② 蓋をして強火で火が通るまで、たまに軽くゆすりながらさっと煮ます。、、、終わり(笑)
いえ、本当にこれだけなんです。ああ、素晴らしきかな家庭料理。
これもイスキアやナポリをはじめ、カンパーニア州の伝統的な料理の一つです。
水を加えずに、汁気を少なめに仕上げるやり方もありますが、個人的にはパンをつけながら食べるのが好きなので、水を少々加えて汁気を残します。
こういうシンプルな料理は、やはり材料が命。
ここでは魚の鮮度はもちろんのこと、陰の主役であるオレガノにも拘りたいところです。
イスキア島の中央にそびえるエポメオ山に自生しているオレガノは、とても香りが良いことで
知られています。それを乾燥させて葉を細かく挽くと、むせ返るほどの芳香を放つのです。よい香りのオレガノは、肉や魚料理、ブルスケッタにも利用できるので重宝します。
さてここで、カタクチイワシが手に入らないよ、というそこのあなたに朗報!
超お手軽、万能ドレッシングのご紹介です。
作り方は白ワインビネガーとオリーブオイルを同量ずつ加え(気持ち酢のほうが多い位)、そこにペパーミントとニンニクひとかけを入れるだけ。
食べる量に合わせてその分だけ作り、スプーンでサッと混ぜます。
これを魚のグリルの上にかければあら不思議、安い、簡単、イタリアン! 魚全般はもちろん,海老や、炙ったイカなんかにもぴったりです。しょう油の代わりにこのドレッシングをかければ、気分はもうイタリア。
お猪口はワイングラスに、BGMは演歌からカンツォーネに、日本海は地中海に早変わり! かも。
いつもの焼き魚にちょっと飽きたな、と思ったらこのドレッシング、おすすめですよ。
さて、q.b.~レシピのないレシピ帳~いかがでしたか?
飾らない普段着の食卓を、機会があったらあなたも再現してみてくださいね。
幻の魚クン、次に会えるのはいつだろう。その時には、もっと成長した自分でいられるよう、頑張るよ。
君に出会った日の気持ちを忘れずにね。
何気ない今日という、永遠の中の1ページを大切にめくりながら。
Posted by 八重樫 圭輔
八重樫 圭輔
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シェフ。函館市生まれ。大学在学中に料理人になることを決め、2000年に渡伊。現在は家族とともにイスキア島に在住。