PANORAMA STORIES
祈りの旅のはじまりに – 版画を通してみつけたいもの – Posted on 2017/05/18 中村 菜都子 版画家 パリ
私は今パリで暮らしている。
再びヨーロッパで暮らすことになるとは、少し前までは思いもよらぬことだった。
なぜまた、こんなにも遠くへ来てしまったのか……。私は版画家だ。
2003年、当時通っていたロンドン芸術大学の版画工房で版画に出会った。専攻はグラフィックデザイン。
クラスメイトの多くはグラフィックデザインと相性の良いシルクスクリーンに取り組んでいたが、私はどこか懐かしい凸版、その中でもリノ版画と相性が合うと感じていた。日本人なら誰もが一度は触れたことのある、木版画と同様に彫刻刀を使って版を彫っていくとてもシンプルな技法だ。
リノとは(イギリス英語ではライノー)リノリウムの略で、19世紀にイギリスで床材として開発された。
これらの懐かしい技法や素材とともに、学校設立当初から工房にある同じく19世紀に作られた美しいコロンビアンプレスやアルビオンプレスなどが使えることも私がリノ版画を選んだ理由のひとつだ。
最先端のデジタル技術を用いて多くの情報を迅速に整理整頓しわかりやすく伝達することを目的とするグラフィックデザインを学びながら、それに対極する古きよき版画の世界に惹かれていったのは、イギリスを代表する詩人ウィリアム・モリスの掲げた「アーツ・アンド・クラフツ」の精神がイギリス生活の中で身近にあったからかもしれない。
あるいは、長く続いている大量生産・大量消費とスピードの時代にほとほと疲れていたからかもしれない。
2015年の夏の終わり、これまで一度も訪れることのなかった祖母の故郷、長崎五島列島へふと行ってみようと思った。祖母は長崎県平戸生まれ、五島列島若松島育ち、幼少期に朝鮮半島、戦時中は中国、戦後は石川県小松市、大阪府茨木市で暮らした。
五島から大陸を渡り4つの時代を逞しく生きた祖母の血が私の中に脈々と受け継がれているのを感じる時がある。
五島列島は、古くから中国、朝鮮半島、ポルトガル等の国々と交流を持ち、地理的、文化的、歴史的、宗教的にとても興味深い物語性を持っている。
得てして、五島は東京を中央としてみると日本の最果ての地と思われがちだが、五島を中心に見てみると世界がとても近く感じる。
2015年の旅の記録を「祈りの島」という版画作品にまとめた。
それ以来、長崎の歴史やキリスト教文化、潜伏キリシタンについてさらに知りたいと思うようになった。
とりわけ、長崎からヨーロッパへ旅をした天正遣欧少年使節や彼らに同行し活版印刷技術を学んだ日本人コンスタンチノ・ドラード(日本名は不明)について。
人生という旅は、先祖が築いてきた長い歴史をコンパクトにトレースしているだけなのではないかと思うことがある。この人生という旅で出会う人や物や状況はかつての旅で既に出会い、ここでは単に再会しているだけなのではないか? となんの根拠もないロマンティックな妄想をしばしばかき立てられる。
先祖が生きてきたさまざまな土地に想いを馳せ、自分のこれまでの人生を重ねることで、「なぜヨーロッパと縁があるのか?」「なぜ版画を制作しているのか?」という問いの答えとともに、少し大げさだが「生きる意味」のようなものを知ることができるのではないかと感じている。
私は再びヨーロッパで暮らしている。
母校女子美術大学よりパリ国際芸術都市という施設にて1年間の滞在制作の機会を頂いた。
ここパリを拠点に、祖母や先祖が暮らした長崎から旅立った天正遣欧少年使節の軌跡を辿りながら、ポルトガル、スペイン、イタリアを巡り、長崎の歴史、キリスト教文化、版画、自分自身に、ゆっくりと出会っていきたいと思う。
Posted by 中村 菜都子
中村 菜都子
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版画家。東京生まれ。2002年〜2008年ロンドン在住。2017年春よりパリ国際芸術都市にて1年間の滞在制作を開始。祖母の故郷、長崎五嶋列島を訪れたことをきっかけに、長崎の歴史やキリスト教文化について興味を持つようになる。天正遣欧使節の数奇な運命を辿りながら、版画と自分自身を知る旅をしている。