PANORAMA STORIES
パリのアメリカ人を気取って。シェイクスピア・アンド・カンパニー Posted on 2017/04/18 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
ロンドンに暮らす私が、かつて住んでいたパリに行くと必ず訪れるのが、パリ5区のセーヌ河畔にあるシェイクスピア・アンド・カンパニー書店です。
映画「ミッドナイト・イン・パリ」「ビフォア・サンセット」「ジュリー&ジュリア」などの舞台になり、英語版のパリのガイドブックには必ず取り上げられている英語書店。
実はパリジャン・パリジェンヌに聞いても「知らない」という人が多いのですが、世界的にはとても有名な本屋さんで、店内はいつも英米人の観光客でごった返しています。
創業は1951年。アメリカ人のジョージ・ホイットマンが「ル・ミストラル」という名前で開き、1964年4月、シェイクスピアの生誕400周年の日に改名されました。
そもそも「シェイクスピア・アンド・カンパニー」は、戦前のパリにあった書店兼図書室兼出版社で、フィッツジェラルドをはじめとする作家・詩人たちが集う場所でした。
そのひとり、ヘミングウェイは『移動祝祭日』でこの店を称えています。禁書だったジョイスの『ユリシーズ』はここから出版され、ヘミングウェイが本を一冊ずつ服の下に忍ばせてアメリカに密輸したとか。
現在のシェイクスピア・アンド・カンパニーの2階には、初代「シェイクスピア・アンド・カンパニー」の店主シルヴィア・ビーチの蔵書を収めた図書室があります。
現在の店の創始者ジョージは、世界を放浪したのちにパリに定住し、古い修道院の建物を見つけて古本屋を開きました。同時に、かつて南米で見ず知らずの人たちの家に泊めてもらった体験から、作家の卵を無料で店内に泊まらせるという習慣を、2011年に98歳で亡くなるまで続けました。
この伝統は、2代目店主である娘(ビーチにちなんでシルヴィアと名付けられた元女優志望の美しい女性です)に引き継がれ、現在も店の階上のアパートで若者たちが読書と執筆にいそしんでいます。
シェイクスピア・アンド・カンパニーは常に、本と文学を愛する人たちが集まる場所でした。
かつてここに同時に滞在していて出会った若者どうしのカップルが、数年経ってから子連れであいさつに来るというケースが珍しくなく、そんな来客をジョージは何よりの楽しみにしていたといいます。
私がこの書店に来るたびに胸がきゅんとするのは、ロンドンで仕事を失ってパリに渡り、期待と不安に押しつぶされそうになりながら、未来を模索していた20代末の自分を思い出すから。
当時、英語の古書に囲まれていると、どこか「第二の故郷」であるロンドンに帰ったような、ほっとする気分になったものです。
今再びロンドンに暮らすようになって訪れるこの本屋さんは、そんなかつての自分に立ち戻れる場所でもあり、また隠れ家風の絵本コーナーで娘と一緒にまったりするのも楽しみです。
代替わりして店は小ぎれいになり、イベントを多数主催する新時代にふさわしい書店になりました。
2015年秋には、「60年代からジョージの夢だった」というカフェがオープン。
古書に囲まれた店内の席もいいのですが、テラス席ではノートルダム大聖堂の鐘の音を聞きながらコーヒータイムが楽しめます。ちなみに、かつてジョージはレモンパイが大好きで、「おいしいレモンパイを作るためのレシピはひとつしかない」という言葉を残しています。
その「ジョージのレモンパイ」がカフェの売りなのですが、私が行くたびに品切れ。
幻のレモンパイはなくても、桜の木の下でセーヌ川からのそよ風に吹かれつつ、大きくカットしたニューヨーク風チーズケーキを、これまた大きなマグカップのコーヒーといただくひとときは、まさに夢のよう。
実際、そういう気分になるのは私だけではないらしく、テーブルには英語で「夢みるあなたへ、所持品にご注意」と書かれた札が張られていました。
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。