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フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」 Posted on 2024/11/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いやー、不調が続いているのだ。
人間というのは、時々、死にたくなるね。もちろん。死ぬなんてことはしないのだけれど、自分に疲れて、どうでもいいや、と投げやりになることがある。
昨日から、そういう不調が続いておる。これは負のループというやつで、人生、たまに、竜巻みたいな不調に巻き込まれる、のだ。
そういう時は、自分の異変がわかるから、無理しないようにして、美味しいものを作って食べることにしている。
今日は、ということで、ボロボロからのボロネーゼにした。ゴロが言いね。
ダジャレマンの父ちゃん、辛い時は、ダジャレを連発して、乗り切っておる。しかも、そのダジャレを聞いてくれるのが、三四郎だけなのだから、はー、孤独だァ~。
あはは。
三四郎、ボロネーゼでも作るか、というと、意味がわからないなりに、尻尾を振ってくれる、ううう、持つべきものは愛犬であーる。
人生は長い。
父ちゃんはもう若くない。
白髪も増えてきたし、視力も落ちた。
前回の人間ドックで、視力、0,5と判明した。
皺も増えてきたので、空港で、資生堂さんのエイジングクリームを買った。
だんだん、老いていくので、それがマジ、嫌だ。
昨日は、歯が歯根破折だと診断され、インプラント手術やらないとならくなったし、だからか、絶望が近寄って来る気がして、絵筆がすすまない。
黄昏ておるのだ。ああああ、もう、ダメだー。
と、項垂れてベッドから起き上がり、コーヒーを飲んで、ちょっと元気になり、三四郎と公園で戯れて、あああ、蟹と戯れてー、の石川啄木じゃないか。
「とうかいの こじまのいその しらすなに われ
 なきぬれて かにとたわむる」
父ちゃんはエッフェル塔脇の広場で、泣きながら三四郎と戯れて、おったのじゃ。
石川くん、ありがとう。
しかも、啄木の第一歌集『一握の砂』の第一章に、我を愛する歌、というのがある。
「我を愛する歌」の中で石川さん、こう述べている。
「おれはいのちを愛するから歌を作る。 おれ自身がなにより可愛いから歌を作る」
こ、これは、啄木殿、ナルシストの父ちゃんのことじゃないか!!!
なんで、こんな、父ちゃんが普段、思っているようなことを、過去に、ぬけぬけと、書き残していたのか、気心、通じ過ぎ?
もしかして、函館繋がりだから? 
函館に呼ばれた二人だから、か。
石川啄木も、辻仁成も短期間、函館に生き、そこで、とうかいの、しらすなでかにと戯れた仲・・・、おおお、なんとロマンチックな二人じゃないか・・・。
辻仁成も、パリに流され、ここで、人生をよく振り返る。あゝ、レ・ミゼラブルじゃあああああ、あゝ、無常じゃあああ。
「わん」
三四郎が足元で、はやく、ボール投げてよ、と訴えている。悲劇の歌人を演じていた、父ちゃん、目が覚めた。忘れてたわ、笑。
朝日が目にしみるー。

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」



創作の苦しみの中にありながら、父ちゃんは笑顔を忘れず生きている。
アトリエに籠って、停滞する作為品づくりに没頭し、それから、ボロボロな時こその、ボロネーゼ、を作って食べることにした。
「うまい」
これが、涙が出るほどに、うまいのである。
「かあちゃん、美味いです」
と感謝しながら、食べきった、函館潮見中学&西高校出身のおやじであった。

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」



人生って、落ち込んだり、奮起したり、忙しい。
でも、一つ、悟ったことがあるのであーる。
理想を高く持ち過ぎると、苦しくなるものだ、ということ。
これが、父ちゃんの問題なのである。
妥協って、時には必要で、別に「妥協すること」も、時には悪いことじゃないと思うのだけれど、妥協ができない男なので、周りに迷惑をかけてしまうのである。
孤独が楽なのは、迷惑をかける相手がいないので、とことん妥協しないで突き進むことが出来る、という点である。
火が付くと、後戻りできない性格なので、苦しいのー。
とまれ、
ノルマンディは、啄木にとっての函館の大森浜かもしれない。
蟹がいるんだよね。
白砂だし、蟹がいて、泣いているおやじがいて、わらえますね。
ぼくが住んでいた宝来町、すぐ横の青柳に啄木がいたらしいね。
時代が流れても、人間は変わらないということ。
なんで悲しかったんだい、啄木さんよ。
おいらだって、悲しいことばかりだけれど、歯を食いしばって生きてんだよ。
がんばれよ、えいえいおーだよ。泣いている暇なんかないんだよ。
蟹は、戯れないで、蒸して、食べちゃおうよ。

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
三四郎と泣き塗れておったところ、そこに、ボルドーワイン協会の担当窓口のマリさん(村人)から写真が二枚送られてきました。
「無事に式典が終わりました。辻さんのかわりに、ファブリス・ルノーさんが、賞状とシュバリエを受け取りましたので、後日、送付いたします」
というのです。あああ、そうだった、忘れておりました。
ボルドーワイン協会最高幹部会の皆さんが、父ちゃんに、シュバリエというワイン騎士団の勲章のようなものをくださったのです。今日、東京でその式典が行われたんでしたね。で、来年のワイン大使は、ぼくが推薦させて頂きまして、中村江里子さんにバトンタッチさせて頂きます。来年は、えりちゃんが、ボルドーワイン普及につとめてくださいますよー。イケイケだな、ボルドー。ぼくは、シクシクなんだけれど。たくぼく。

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

フランスごはん日記「ボロボロな時にこそ、ボロネーゼだぜ。父ちゃん、今日、生きる気力をなくしたので」

※ 真ん中が、ぼくの代理人をつとめてくださった、ファブリス・ルノーさんです。友だちです。この一年で、友情が芽生えました。あはは。

次のツジビル・ラジオ生放送は12月5日、パリからになります。前回のYAMAHAでのライブ映像も流せたらいいですね。父ちゃんが優しく楽しく寄り添うおしゃべりをおとどけいたします。人生のあいまに、頬を緩めてくださいまし。詳しくは下のTSUJIVILLEのバナーをクリックしてみてくださいねー。

TSUJI VILLE
自分流×帝京大学