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ニッポンごはん日記「紅葉の軽井沢で、藤田嗣治の絵に刺激を受ける」 Posted on 2024/11/24
某月某日、軽井沢にある安東美術館で、藤田嗣治の作品が鑑賞できるというので(200点ほど所蔵されているらしい)、新幹線に乗って、出かけた。
東京駅から新幹線で1時間、あっという間に軽井沢駅に到着、紅く色づく軽井沢を20分ほど歩いた、森の中に、安東美術館はあった。
藤田嗣治、レオナルド藤田さんの作品とは、ぼくがはじめて渡仏した時、今はもうない、蔦の絡まるモンパルナス美術館で、ばったりと出会った。
そこは、小さな木造の美術館で、狭い階段をあがった、しかも、隠れたところに、藤田嗣治の小さな絵が飾られていたのだった。
パリの街角を描いた小さな小さな油絵だったが、薄塗りのあの独特の技法に、とっても、惹かれた。
日本人だからではなく、あらゆる画家の中でも、圧倒的に藤田嗣治の絵が好きなのだ。
どこかフェティッシュな誇張、癖のある青空とか、口をすぼめた少女とか、彼にしか生み出せないオリジナルな世界が、とにかく、居心地がいい。
オーナーの安東さんはある日、軽井沢で、藤田嗣治の作品と出会い、それから、藤田の作品をコレクションするようになって、ついに、美術館まで作ってしまった、というのだから、ね、すごいね。
ぼくもだれか、美術館作ってくれないかな、あはは。
安東美術館に行くと、館長さんと学芸員の皆さんが出迎えてくださった。
そして、キュレーターのマトン栗原さんが、ずっとぼくの横を歩いて、藤田の波乱万丈な人生と作品について、教えてくださった。
なぜ、ぼくがこの美術館にいるのか、というと、栗原さんがパリの個展を観に来てくださった、からだった。
そして、フランスで絵を描くぼくに、藤田の作品を見せたかったのかもしれない。ぼくに、大きな刺激を与えるだろうと思ったのだろう。
まさに、その通りになった。
藤田嗣治と言えば、戦争に翻弄された画家ということができる。
1886年に東京で生まれたが、最後はフランス人に帰化し、81歳、チューリッヒで死んでいる。
猫と女をモチーフにした作品が有名で、乳白色の肌とよばれる白が際立つ裸婦像の絵を描き、フランスの画壇で絶賛を集めた。
エコール・ド・パリを代表する画家のひとりであった。
しかし、戦争が常に、彼の人生を翻弄し、第二次世界大戦のころには「戦争画」を数多く残して、戦後に波紋を残した。
結局、若い頃の栄華も戦争を通して変質してしまい、最後は、日本の国籍を抹消し、フランス人に帰化している。
どんな人生だったのか、想像もできないが、彼が残したたくさんの作品の中に、本質的な藤田嗣治の息吹が残されている。
しかも、その中でもずば抜けて素晴らしい作品のいくつかが、安東美術館に保管されているのである。
※ こちらが、安東さんが最初に買った? 出会った? 藤田嗣治の作品。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
安東美術館の館長さんらと記念撮影をして、別れましたが、中庭があり、そこでいつかコンサートをお願いします、と言われたので、もちろんです、とお答えしておきました。
実現するなら、クラシックギターで、ぜひ、サティを演奏してみたい、と思いました。サティのメロディと藤田の色は響き合う気がしてしかたないのであります。
ぼくもいつか、自画像を描いてみようかしら。藤田嗣治は、何枚も自画像を残しているので、真似ない手はない、と思ったので、呟いておきます、笑。
さて、次回のラジオ生放送は、25日を予定しています。25日、日本時間22時から、ぜひ、ご視聴くださいませ。詳しくは、下のTSUJIVILLEのバナーをクリックしてみてくださいね。