JINSEI STORIES

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」 Posted on 2024/11/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、最近、飛行機の中で、Wi-Fiが無料サービスになったので、機内で日記を書いている父ちゃんなのであーる。
パリと日本とは1万キロも離れているし、今は戦争の時期だから、航路が限られていて、14時間以上、飛行時間がかかってしまう。
でも、ありがたいことに、まだ、第三次世界大戦にはなりつつあるけれど、日本に戻ることが出来ている。
今回の日本出張の目的のひとつに、人間ドック、があーる。
別に長生きをしたいわけじゃないが、スタッフ全員が、一度は、人間ドック、やってください、とうるさいのだ。
20日は、秘書の菅間理恵子さんの命日でもあった。
お姉さんには、画集と線香を前もっておくらせておいてもらった。
思えば、菅間さんはおおぜいスタッフがいた時期にも、彼女一人になった時にも、ぼくのそばにい続け、ぼくを守ってくれた、恩義しかない人物であった。
なので、11月20日になると、菅間さんのことを思い出す。
事務所の「まかない」習慣、はじまりは菅間さんだった。
昔、裏渋谷に事務所があって、その時期は、菅間さん一人しかスタッフがいなかった。顔を出すと、事務所で、メガネをかけて、背中をまるめて、作業をしていた。ぼくはやはり、奥に、自分の部屋があって、日本ではそこに滞在していたのだ。
離婚直後とかの大変な時期にも、彼女が事務所を支えてくれていた。
現在の携帯紛失マネMMは菅間理恵子の一番弟子なので、ぼくのことを「先生」と呼ぶのも、理恵子さんからの伝授ということになる。
ぼくが「先生」嫌いなのを知っていて、あえて「先生」ということろが、菅間節、であった。
長谷っちまで、それを踏襲しているのだから、会ったことのないスタッフさんも、みんな菅間さんを模範に、「仕事は自分で作るもの」という鉄則を守っている。
ぼくはスタッフさんに「これをして」とか言ったことはない。
「ああ、それができないから、苦しい~」
と一生懸命つぶやいて、みんなに、そこにやるべき仕事があることをじわっと、伝えるやり方なのだ。強制はしない!
菅間さんのお姉さん曰く、
「あの人は、仕事に命をささげた人でしたから」
というのは本当で、寡黙で、ぼくはめったに話をしたことがない。
でも、何度か、まかない、を作って食べて頂いたことがある。
現在のパリ事務所の「まかない」はそこに端を発する。
「美味しい」
菅間さんは、残さず、食べた。二人前くらい、ペロッと食べてくれた。
寡黙な人だが、お腹すいていたんだな、と思うと、料理をするのが嬉しくなった。
菅間さんが亡くなられたので、今のスタッフの皆さんに「まかない」を作るのは、ぼくのために働いてくれる人を空腹にさせたくない、という気持ちからでもある。
やはり、食べ物がひとを繋ぐ。

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

菅間さんは、ぼくがだれかと打ち合わせをするときは、いつも、レストランの予約、などをやってくれた。
締め切りのリマインドも必ずしてくれた。・月・日、何時に、集英社のエッセイ、締め切りですから、というラインが毎日のように、やってくる。
それがありがたかった。今もラインは消してない。
だから、ぼくは締め切りに遅れない作家、という評判がたった。
喧嘩はしたことがないが、一度、やめたい、と言い出し、事務所を離れた時期があった。
音楽のスタッフがけっこう、いた頃があって、
「好きにしてください。戻りたくなったら、いつでも席は残しておきます」
と言っといたら、一年後、
「すいません。また働かせてもらえますか?」
と言ってきた。もちろんです、となるよね。
やはり、出版の仕事は彼女が一番丁寧だった。あの頃の編集者とはもう、ほぼ、付き合いがなくなった。
やはり、間に入る人がいないと、仕事はうまくまわらない。
ぼくはストレートだから、間に、翻訳者が必要なのだった。
今は、岡っちが、担当しているけれど、まだ、若いので、心配なこともある。あはは。
言葉遣いとか、対応の仕方で編集者のノリも変わって来るからね、がんばれ。
ということで、事務所の移転が近づいてきたので、少しずつ、荷物をまとめだした。
パリの新事務所は、右岸の画廊街で探していて、やはり、画廊街だと刺激が大きいのだ。
古い段ボールなどを開封していると、菅間さんのやった丁寧なレポートなどが出てくる。
その一つ一つを眺め、命日を、思いながら、人間がいなくなった後も、残るものが、人間なんだな、と思うにいたった。
人は生きているとか、死んだとかじゃなく、何を残したか、だと思う。
この世から、いなくなった人ほど、大切だった、と思うことが多い、昨今。
人間付き合いだけは、慎重に、丁寧に、保っていけたらいいな、と思う。

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

面白いことに、菅間さんは、今、ぼくが画伯になっていることを知らない。笑。
三四郎のことも、知らないんだよねー。
一日中、油絵を描いて、小説をさぼっていることを知らない。
連載はほとんど、お断りをして、音楽も表向き引退してしまったことさえ、知らない。
菅間さんは、ECHOESとストリートスライダースのファンだった。
そしたら、段ボールの中から、1995年ごろ、ぼくが行きつけのワインバーの端席で、毎日のように描いていたイラストが出てきた。
これの一部は、西麻布のギャラリーTに飾ってあるけれど、その中に、菅間女史と思われる絵も・・・。あー、よく、あの界隈で、飲んでいたなー、と思った。
菅間さん、ぼくね、人間ドック、で検査するんだよ。
みんなが、長生きしろって、うるさいものだから、がんばるよ。
だから、天国から、応援してね。

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
人間ドックのあと、また、すぐに、パリに戻らないとならない。フランスに、人間ドック、ないんです。・・・ノルマンディ・アトリエの工事が、けっきょく、ぼくひとりじゃできないレベルになっていて、ジェロジェロに、手伝ってもらっているのだから、・・・やれやれ。それでも、世界は動いているのだよ。

菅間さん、大阪フェスティバルホールのライブも観てほしかったな。ここに、ちょっと、映像があるよ。

https://m.youtube.com/watch?v=VZY8tMNALP8

フランスごはん日記「亡くなった人を忘れないのは、その人がまだ心の中で生きている証拠」

辻仁成 展
-Les Invisibles NEHAN-

主催 帝京大学総合博物館
対象者 どなたでもご覧いただけます。(事前のお申込は必要ありません)
入場無料です。
会場 帝京大学総合博物館ミュージアムプラザ(帝京大学八王子キャンパス ソラティオスクエア地下1階)
会期 2024年10月18日(金)~12月23日(月)

開館時間 9:00~17:00(最終入館は16:30)

閉館日 日曜日・祝日

臨時開館日 10月27日(日):青舎祭(大学祭)実施日(一般来館可)

臨時休館日 12月14日(土)
備考
・大学構内には駐車場がございません。公共交通機関をご利用ください。
・高幡不動駅・聖蹟桜ヶ丘駅・多摩センター駅から「帝京大学構内」行きのバスが便利です。(所要時間15~20分)
・車いすでご来館予定の方は事前にご連絡ください

※ イベントなどの情報は、ツジビルから、お願いします。

TSUJI VILLE
自分流×帝京大学