JINSEI STORIES

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」 Posted on 2024/09/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、コルシカは快晴なり。
ライブは夜の21時からなので、18時まで自由時間ということになり、ちょっと市内を散策し、ふらりとカフェに入って、コルシカ飯を、食べたのだった。
とにかく、食べること、呑むことしか、頭にない食いしん坊将軍であった。
カラスミのパスタというのがあり、イタリアも近いので、美味しいに違いないと思って、頼んだが、これが、絶品であった。
普通のカラスミのパスタは、ペペロンチーノみたいなのに、上からカラスミを摺ってかけたものがほとんどだけれど、ここのはぜんぜん、違う!
オリーブオイル、カラスミ、パセリ、ニンニク、などなどで素晴らしいパスタソースを作って、それにリングイネをからめて、さらに上から大量のカラスミ粉をふりかけた贅沢な一品だった、こと。
イタリアのサルディニア島の真上に位置するだけあって、パリでは味わえない本格的なパスタ、であった。ごっつあんです。

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

※ 最高でした。これ、真似します。いつか、レシピでやるよー。ふふふ。

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」



それからナポレオンの生家まで、ふらふらと歩いたのだった。
なぜ、ナポレオンはここで生まれ、あれほどの皇帝になったのだろう、と思った。
狭い路地の一角に古い建物があり、ナポレオンの絵が出迎えた。
ここから、世界へと出ていったのか、と思った。
ナポレオンのモニュメント、石碑がアジャクシオの山の上にあるというので、そこにも足を運んだが、なぜ、ここに石碑が立ったのか、と受付の人に聞いたら、
「横にある大きな石があるだろ? あそこで、ナポレオンは朝から晩まで勉強をしていたんだよ」
と教えてくれた。
フランスの教育機関を考え出し、作ったのも、ナポレオンだったというから、相当に頭の切れる人物だったことは間違いない。
彼の生涯について、せっかくだから、調べてみたいな、と思った。
ちなみに、23年前、ぼくが最初に借りたアパルトマンは、ナポレオン一族の末裔が大家さんだった。彼の息子がナポレオンの研究者だったので、いろいろと、教えて貰ったことがあった。
とにかく、勤勉で力強い男だった、ということである。
父ちゃんとは、正反対!
あはは。

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

※ナポレオンの石碑。左手に大きな岩があって、そこで、ナポレオンは一日中、勉強をしていたらしい。



ところで、コルシカは、フランスだが、面白いことに、ここでフランス国旗をまだ見ていない。パリだと、そこら中で、フランスの三色旗が翻っているが、ここで翻っているのは、コルシカの旗である。勇ましい兵士の絵なのかな、かっこいい。
コルシカの旗については、実に面白い話がある。
白いはちまきをした黒い顔の男の横顔が、コルシカ旗には描かれている。これ、実は欧州を旅していると、コルシカだけではなく、イタリアのサルディニアとか、バルセロナ当たりでも、見ることが出来る。ま、厳密にはちょっと違っているが、少なくとも、サルディニアの旗とはほぼ一緒。向いている向きが違う。
で、それは何を意味するか、というと、かつて、北アフリカ(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)から地中海いったいに勢力を持っていたムーア人にちなんでいる。
ムーア人はイスラム帝国ができる前の支配者で、コルシカやサルディニアを牛耳っていた。コルシカ人がなぜ、ムーア人の横顔を国旗にしたのかは、諸説あって謎も多いが、支配と独立を繰り返してきた彼らが、そこに民族の血を思い浮かべるからかもしれない。
フランス領になったのは、1769年のことで、それ以前は、いろいろな国の支配や侵略を受けていた。パスカル・パオリという英雄が登場をし、この旗に決めたのだという。
少し前の時代まで、独立運動は続いていて、爆弾がさく裂していた、というのだから、なかなか、この地で、よそ者が、フランス国旗を掲げることはできない。
知り合いのフランス人が山の中腹にこの国の美観を損なう色の家を建てたら、燃やされたことがあった。優しいコルシカ人だけれど、相当に、民族意識が強いのだ。
今回、大勢のコルシカ人に招かれたので、ぼくは彼らを通して、コルシカの歴史やコルシカ人の気質をそこから学ぼうと思っている。
今夜は、ラザレという歴史的なスペースで、ぼくは、荒城の月や、ソーラン節、自分が作曲した日本の躍動感を描いた「まつり」という曲などを演奏し、日本とコルシカの友好を深めてきたい、と思っているのであーる・はんぶら宮殿。
思えば、辻仁成、若い頃は黒いハチマキを頭に巻いて歌っていたものなー。あはは。
熱血~。

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」



フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

撮影中の動画、自撮りです。えへへ。パリごはんの一場面、みたいね・・・。笑。
つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
とりあえず、ゆっくりやっているので、いいライブができるでしょう。この模様は、動画撮影をしているので、「パリごはん」のように、編集をして、いつか、みなさんに、お見せできるといいですね。ライブの雰囲気もミカちゃんたちが撮影してくれるでしょうから、お愉しみに!!!
はい、個展のお知らせですが、日本での個展とはまったく異なる大胆な配色でずらりと新作が並びますよー! 10月4日から、マレ地区でスタート。

フランスごはん日記「コルシカ島の市内をふらふら歩いていたら、ナポレオンと出会った」

自分流×帝京大学