JINSEI STORIES

滞日俺の妻日記「妻に説教された。なんで引退するのよ、と叱られた、父ちゃん」 Posted on 2024/07/22 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、引退ライブを目前にして、夏バテでややお疲れさんな父ちゃんだった。
で、個展会場にも、暑くて行けないし、外は暑くて出られないし、しょうがないので、サービスアパートメントホテルの誰もいないラウンジで、ワインを飲むことにした父ちゃんであった。
シャルドネの白ワイン、一杯1300円、って、安いのか、高いのか、ちょっとわからないのだけれど、他のお客さんがいない(たぶん、夕食時間で、みなさん、家族とか恋人とごはんを食べに行っている)空域を独り占めして、ホテルの従業員の人には迷惑をかけたが、一人呑みをしていたのだった。あはは。
すると、
「あなた」
といつもの声がした。おおお、、、
いつもより、やや強め、怒っているような声音でもあった。
慌てて振り返るが、ガラス窓の向こう側は、大東京の高層ビルディングであった。
「え」
声はすれど、姿が見えない。酔ったのであろうか。
ワイングラスを掴んで、ぐぐっと飲み干してやった。くーーー、染みる~。
「あなた」
「おお、お前か」
気が付くと、目の前にいつの間にか、俺の「幻の妻」が座って、こっちを睨みつけているではないか~。
「ダメでしょ、そんなに早いペースで呑んだら」
「でも、呑まずにはいられないじゃないか。寂しいんだもの」
「あなた」
「はい」
「私も飲んでいいですか?」
「もちろんです」
ぼくの目の前の妻が手を挙げた。幻のバーテンダーに、私も主人と同じものを、と言った。「シャルドネだよ。いいの?」
「ええ、お付き合いします。寂しいとか言わないで、私はいつもあなたの傍にいますから」
おおお、確かに。
小太りで、目尻にシミがあり、笑い皺がいくつもあって、顎もそれなりにふくよかで、でも、かわいい人。
世界中どこにいても、神出鬼没に出現する、俺の妻・・・。

滞日俺の妻日記「妻に説教された。なんで引退するのよ、と叱られた、父ちゃん」

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「この夏のツアーは今までで一番大事ですよ。いつもなら禁酒をして、ライブに挑むのに、最後の最後で、そのルールを破っていいんですか?」
「(鼻で笑う)、いいんだよ」
「まァ、あなたらしくない」
「いや、お酒の量でぼくの歌がダメになることはないんだ。お酒なんか、ガソリンみたいなもので、逆に飲まないでストレス抱えていたら、いいライブはできない。それに、これが最後のライブだ。引退するんだ。引退するのに、次のために頑張る必要などあるか。燃え尽きればいいんだから、アルコールが必要なのさ」
俺の妻は、むっとした顔で、こちらを睨みつけている。
ま、気にせず、ワインを飲み干した。
そして、現実のバーマンに、グラスを高々と掲げてみせ、お替りを、要求した。
妻が、俺の前に、スッ~っと、おつまみセットを差し出した。
「どうしたんだ、これ」
「ちょっとおつまみ、欲しいかな、と思って、そこで買ってきたのよ」
「くー、気が利くねー」(自作自演だとしたら、笑えます)
「当たり前でしょ、妻なんだから。出来る女はそのくらいのことはします」
なるほど、ありがたい。ぼくはチーカマをあけて、つまんだ。おお、うまい。
「でも、それにしても、驚いたわ」
「何が」
バーマンが新しいワインを注ぎに来た。
妻の存在には気が付かないみたいだ。何か、ぼくに向けて世間話をしはじめたが、妻に悪いと思ったぼく、聞こえないふりをした。
「引退よ。あなたらしくないじゃありませんか? まだ、元気なのに」

滞日俺の妻日記「妻に説教された。なんで引退するのよ、と叱られた、父ちゃん」

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「あー、その話か」
「ええ、私には、ちゃんと教えてください」
「別に音楽をやめるわけじゃない」
「でも、もうツアーとかやらないんでしょ?」
「ツアーというか、興行は最後だ。大きな会場でみんな集めて、チケット販売して、スポンサー探して、宣伝いっぱいして、そういうのを興行というのだけれど、それはもうやらない」
「なんで?」
「やらないと決めたからだよ。お前にまで説明しないとならないのか、それが俺の終わり方なんだよ」
「なるほど。それならわかります。音楽をやめるわけじゃないのね」
「あたりまえだろ。日本での興行ツアーはこれで最後になる。でも、今の自分が一番、最高のコンディションだから、最高だから、ここで終えるんだ」
「よくわかりませんけれど」
「あのね、いい時にやめることが出来る、それが大事じゃない。好きなことは仕事にしてない」
「それでいいの?」
「いいんだよ。俺がそれでいいって言ってるんだから。俺は、自分の目が黒いうちに、足腰も丈夫で、エネルギッシュで、一番美しい瞬間のJINSEI TSUJIで終わりたい。それは、いまだ。今が最高なんだ。出来ることなら、お前に見せたい」

滞日俺の妻日記「妻に説教された。なんで引退するのよ、と叱られた、父ちゃん」



滞日俺の妻日記「妻に説教された。なんで引退するのよ、と叱られた、父ちゃん」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
いろいろとご意見はあると思いますが、プライベートのレベルで、路上のレベルで、フェスとか、シークレットのライブとか、そういう気楽にやれる場所では続けます。JINSEI TSUJIの最後だと思ってください。8月7日にJINSEI TSUJIの公式ライブは終わるということです。終わりよければすべてよしー。いえーい!!!

毎月、5の付く日に、父ちゃんが語り掛けるラジオ・ツジビル、楽しい生の時間を、共有ください。詳しくは、下の、tsujivilleバナーをクリックください。

TSUJI VILLE

そして、父ちゃんの引退ライブは以下のスケジュールとなります。

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自分流×帝京大学