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自分流塾「愛されたいと願っている。ぼくらは真夜中のキッチンで」 Posted on 2024/07/14 辻 仁成 作家 パリ

ぼくは若い頃、やはり、人に愛されたい、と思って周囲を気にしながら生きていた。
嫌われるより、好かれる存在になりたい、とちょっと思っていたのだ。
ところが、これはまちがいだと、その後、気が付くことになる。
人に愛されたい、と思えば、人間は、他者を気にして、いろいろ我慢し、もちろん、我慢も大事なのだけれど、逆らわないようにしながら、周囲を気にして生きないとならなくなる。
みんなに好かれたいと思って、みんなにいい顔をして生きていたぼくは、気が付けば、自分の本心を隠し、自分を取り繕い、世界の中で、当たり障りない自分を演じるようになってしまっていたのだった。
いや、もっとも自分を隠し、取り繕い、当たり障りなく生きることもいいのだけれど、それがいき過ぎると何かが苦しくなる。
そして、最終的にへとへとになった。
若い頃のぼくは、気遣いし過ぎる傾向にあり、最後に、我慢しすぎてテーブルをひっくり返すようになっていった。

自分流塾「愛されたいと願っている。ぼくらは真夜中のキッチンで」



ある時、そういう、周囲に気を遣う自分をやめてみよう、と思った。いやなものはやらない。みんなとは違う道を選んでも自分に忠実に生きようと、なぜか、ひとたび、決意したのだった。
ところが、これはこれで大変に苦しいものとなった。
迎合しない生き方なので、あちこちで浮いてしまったし、反発も買った。
でも、それでも、自分を殺して奴隷のように生きるよりは、解放されて生きる方が自分らしい、と気づくことが出来た。
そのせいで、敵も増えた。
でも、そのおかげで、ストレスは減った。
ぼくは、世の中に迎合しない人間の道を選んでしまった。かなり、孤独な道だった。
けれども、みんなに愛されたいと思っていた頃の自分よりはうんと楽だった。ぼくは、ぼくのままでいいのだ、と思えるようになった。
みんなに愛されることは無理だ、と気が付いたことは、良かったのかもしれない。
みんなに愛されようとすると、自分を鋳型に押し込めないとならないから、そんなことなら、死ぬしかない、と思ったこともあった。
でも、死ぬのはもっと難しかった。
何より、人のせいで、自分が命を落とすって、おかしいだろ、と憤慨するようになった。
怒ればいいんだ、と自分に告げた。感情はおさえこまないことも大事なのだ。
孤独でいいから、他人に合わせないで生きていこう、それが自分らしい、ということじゃないか、自分に言い聞かせるようになったのだ。

自分流塾「愛されたいと願っている。ぼくらは真夜中のキッチンで」



そして、ぼくは「変わり者」のレッテルを貼られるようになった。
生意気な奴だ、常識のない人間だ。ちゃらちゃらしたやつだ、と揶揄されることもあった。
みんなが社会人になっていくのに、ぼくは髪の毛を伸ばして、変な恰好をし、世の中の常識をうのみにしない人生を選んだのだから・・・。
誰にも理解されない時代もあった。
けれども、自由だったから、心はいつも晴れ晴れしていた。
何かを失ったが、何かを手に入れることが出来た。
ある時、これを死ぬまで貫こうと決めることになる。
そして、それから、長い年月が流れた。そのかわり、人一倍頑張ろうと決めた。
表現者になったぼくは、世の中に、言いたいこと、やりたいことを言い放って生きてきた。
なので、あちこちで、叩かれた。
ネットでの誹謗中傷もずいぶんとあった。
でも、ぼくは気にしなかった。いや、気にしたけれど、気にしてももう後戻りできない。
貫くしかない、ところに、自分を追い込んだ。もう、こうなったら、やってやる、と思ったものだった。
そんなことよりも、ぼくはもっともっと自由にならないといけない、と思うのだった。
人間のやきもちや、人間の妬みや、人間の恨みや、人間の卑屈をぼくはぼくの中に持ち込んじゃいけないと思ったのだった。
みんなに愛されようと思わなければ、自分を殺すこともない。
そうやって長い年月が過ぎた。少しだけ、そんなぼくの応援者が現れた。それは、灯台のような存在だった。
それから、ぼくはもう、ずいぶんと年齢を重ねたが、正直に言おう、もはや、恐れるものはない。
たまに、矢も飛んでくるが、関係ない、で終わらせられるようになっている。相変わらず、ぼくは自由なのだ。
だから、もしも、あなたが今苦しいのなら、それはもしかするとみんなに愛されたいと思っているからじゃないか。 
みんなに愛されたいというのは、これは無理なことで、とんでもなく、自分を傷つける行為でもある。嫌われてもいいんです。
あなたはあなたを愛すればいいのだから。 

自分流×帝京大学

自分流塾「愛されたいと願っている。ぼくらは真夜中のキッチンで」

TSUJI VILLE



posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。