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自分流塾「毎朝、奇跡を起こす自分のことを、もっと好きになりなさい」 Posted on 2024/07/12 辻 仁成 作家 パリ
奇跡って、実は、誰もが毎日経験していることなのである。
朝起きて、一日が始まることは、間違いなく、ぼくやあなたの人生における最高到達点にいるということの証であり、それはまた同時に奇跡でもあり、もっと言えば、生における勝利でもあるのだ。
なぜなら、ぼくらは、起きた。
なぜ、この奇跡を喜ばないのだろうか? 喜ばない手はない。
ぼくは、毎朝、目が覚めた時、やった、また生きた、生きちゃったよ、と思わず声がでてしまうのだ。それはとってもコミカルなことだが、恥ずかしがる必要はない。
なぜなら、それは誰のものでもない、自分の人生だからだ。
逆にベッドに入って観念して寝る時、ああ、また、この瞬間を迎えた、今日が終わるんだな。この繰り返しだった、と「日々」というものを実感するのだった。
そして、夢は正直、よく意味が分からないような曖昧な水脈のようなものの中を泳いでいる過去だったりするのだけれど、それが薄れていき、ある時は、暗示のようなこと、予感のようなものを伴って、再び、ぼくは目が覚めるのである。
あ、起きた、また、起きたじゃん、と思いながら、もう、数えきれないほど、朝を迎えたというのに、ぼくは、その時、信仰は何もない人間だが、ありがとう、今日をありがとう、と何ものかに感謝せずにはおれないのであった。
それは、まことに、奇跡であり、再び、新しい日々を生きられる希望であり、喜びなのだった。
ぼくは起きたらすぐにこういう文章を書いて、この興奮を、その瞬間、読者に届けるのだ。
そして、次にはカンバスに向かい、真っ白な画布に色を叩きつけているのだ。
おっと、その前に、エッフェル塔まで走って、愛犬を散歩に連れていかなければならない・・・それも、素晴らしい。
ということで、素晴らしい一日になるに違いない、と毎日、大喜びしながら起きているのは事実なのだ。
もちろん、その奇跡のはじまりが、よからぬことで最悪の一日になることもある。
そりゃあ、人間だもの、長い人生の中で、毎日が勝利というわけにはいかない。
でも、敗北を受け入れる気にはならないし、出来ることなら、生に浸り、かみしめたい。
今日を精一杯生きる、というのが、ぼくの信条である。
寝る時に、明日は、きっといい日になる、と決めつけて目を閉じるよう、心がけている。
そうならないわけがない、と本当に毎晩思って眠りについているのだ。
こういうぼくだから、朝がやってくれば、思わず頬が緩んでしまい、希望ばかりがあふれ出るのである。
この一日、何かを残してやるんだ。
最高の一日になれ!!!
そう思って、活字を打ち、カンバスに色を叩き、ギターを弾いて、お腹がすいたら、美味しいごはんを作り、愛犬とまたしても公園を散歩する・・・。
ぼくが言いたいのは、最悪ばかりを気にしない、ということであり、毎日、人間は奇跡を起こして生まれ変わっているのだから、希望の方が大きい、ということ。
それがわかれば、この世を恨むことも憎むこともなくなる。
また、朝が来たじゃん。
素晴らしい、最高の一日にするのがぼくの仕事なんだ、とこの生を祝うのである。
毎日を丁寧に生きる。
それは、朝からはじまる。
そして、夜、寝るまで一日をどうするか、それは、自分次第なのである。
よい一日を!
posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。