JINSEI STORIES

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」 Posted on 2024/07/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、食べたアボカドから出てきた大きな種に水を与え、そこから芽が出て、そこから茎が出、葉っぱが開いたところまでは、先の日記に記した通り・・・。
しかし、この暑さのせいでか、枯れてしまった。
まだ、希望は捨てていないが、「水をあげ過ぎたのじゃありませんか」と弟子の長谷っちが言った。ありえる。
様子をみることになった。
アボカドが実るまで5,6年がんばるつもりだったので、ショックなのであーる。
それでも、人生はつづく。
ぼくが落ち込んでいたら、三四郎がぺたっと張り付いて、父ちゃんを慰めてくれた。かわいいのー、ものわかりのいい、子供みたいじゃないか。
今日はそんな一日であった。
「先生、日本、めっちゃ、暑いみたいですよ。40度だとか・・・。今年の夏は大変ですね。日本のご旅行の準備、出来てます? そろそろ出発ですよね?」
「いや、まだ、ぜんぜん、今回はひと月ほどの滞在になるから、やらないと」
「お母さまへのお土産とか、買われましたか?」
「いや、まだ」
「何か、言ってくだされば、走りますよ」
たしかに、もう、来週は日本に行かないとならないのだが、フランスツアーが終わったばかりで、疲れも出ているし、お土産のことまで頭がまわらない。
しかも、アボカド、・・・枯れちゃうし・・・。泣。

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」



ということで、午後は、母さんとか恒ちゃんに何か持っていかないとならないと思い、三四郎と買い物に出かけることに。
89歳になった母さんにをプレゼントするにしても、89歳にもなると、何をあげていいのか、わからない。
「なんにもいらん。お前が元気なら、なんもいらん」
というに決まっているのだ、あの人のことだから・・・。
何か喜ばせてあげられるようなものを、と思うが、それはなんだろう。
ぼくの絵がほしい、と言っていたっけ。
そうか、絵か、・・・。
カンバスと額でも買って、何か、描いて飾ってもらうのがいいかもしれない、と思った。そうだ、そうだ、それはいい思いつきじゃないか。
日本の東急ハンズのようなデパートが近くにあるので、三四郎とそこへ向かった。
犬が入れるのか、わからなかったので、抱っこして入ったら、ガードマンのおじさんが、カートを押しながら、追いかけてきた。
そこに、段ボールの切れ端を敷いて、
「マダム、ここに、わんちゃん、載せたら楽ですよ」
と言ってくれたのだった。それにしても、相変わらず、マダムなのだ。やれやれ。
その気になってしまうじゃないか! もう~、いやねー。
メルシー、と優しい声で戻す、マダムなムッシュであった。にゃはは。
それにしても、さんちゃん、楽しそう。よかったねー。
エスカレーターで地階まで行き、カンバスとか、額縁とか、段ボールとか、輪ゴムとか、いろいろなものを買い漁った父ちゃんであった。

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」



母さんもいよいよ来年、90歳になる。
みんな少しずつ、年を重ねていく。
よく倒れるし、目も虚ろになることが増えたようだ。
ぼくが子供のころ、母さんといえば、強くたくましい日本女性の代表であった。
ところが、今は、人生を全うするのを静かに待つ身となった。
それでも、気骨があるので、息子たちに迷惑をかけないで生きようと頑張っている。
杖をつかないで歩ける、というのが自慢だが、そういうのをやせ我慢という。
まだまだ自分は元気だからとぼくらにはっぱをかけているのである。
親はどんなに老けても親なのだ。
ありがたいことだ、と思った。
ぼくと父は会話もなく、遊んでもらった記憶もなかった。
忙しい人だったからだ。でも、思い返すと、医者になれ、とか、東大に行け、などと言われたことが一度もなかった。
進路について、ああだこうだ言われていたら、今の自分はなかった。
そういう育て方をしてくれた、やはり、ありがたい親だった。
父さんは社長さんになるはずだったが、道半ばで、窓際族になった。
その最後の言葉は、
「ひとなり、手に職をつけろ。手に職を付けた方がこれからの日本は生きやすくなる」
であった。
ぼくは、ことあるごとに父との不仲を日記にこぼしてきたが、思えば、道を閉ざされることもなく、道を規定されることもなく、自由に生きることを応援してもらえたのだから、謝らないとならない。
型にはまる人生を生きないようにさせてくれたことには、感謝しかない。
今、やっと気が付いた。

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」



それでも人生はつづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ぼくの周囲の人はぼくの息子のことを心配して、いろいろと進路のこととか、息子の相談にのってくださっているようで、ありがたいのですが、ぼくは彼に一度もやはり、こうしなさい、と言ったことがないのです。学歴やディプロマが大事だという考えはぼくにはなく、ぼくもやはり、手に職をつけることだ、と言いたいのです。でも、その職にディプロマが必要なら必死で取得すればいいと思うのです。大事なことは、自分を最大限発揮できる何か、を、見つける、ことなんです。

やっぱ、実践が大事ですね。7月12日ですが、エッセイ教室をやります。文章を書くのが好きな皆さん、覗いてみてください。文章を磨いて、人生をより楽しく、広げてまいりましょう!!!!
☟☟☟
https://tunagate.com/community/xWZVvgZD/circle/92861/events/329479

滞仏日記「思えば、ぼくは親に一度も、こういう人生を生きろ、と言われたことがない」

夏の個展について、ちょっとご報告があります。
新生堂の個展は完全予約制です。どうしても、と思われる皆さんは、新生堂さんにご相談をください。