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母子の健康を守りたい。産後の不安から救ってくれた、PMIというフランスの施設 Posted on 2024/03/25 尾崎 景都 日本語教師 パリ

 
私は日本で育児をしたことがない。
妊娠時に日本の育児書を買ったりもらったりしたこともあったが、育児環境が違いすぎてあまり参考にならないことに気付き、出産前で既に読まなくなってしまった。
ならば、とフランスの育児書を手に取ってみたが、フランス語では読むスピードが圧倒的に遅いのでなかなか進まない。
今となっては二児の母である私だが、一人目を産んだ時は当然母親1年生であり、右も左も分からない状態だった。
 

母子の健康を守りたい。産後の不安から救ってくれた、PMIというフランスの施設



 
妊娠中は「骨盤」「破水」「陣痛」など、妊娠前は使わなかったような知らない単語が次から次へと出てきてしょっちゅう辞書と向き合っていた。
母親業も未経験で言葉も中途半端な私が問題なく子育てできるのか…? 
特に出産直後は気が休まることがなかった。
母親が日本から駆けつけて1ヶ月滞在してくれたのでかなり心強かったけれど、そうなると今度は母が帰ったあとのことを考えて不安になる。
そんな当時の私が大変お世話になった施設がある。

妊娠が発覚した時から漠然と不安はあった。
すると妊娠中、先輩ママでもある友人が「PMIへ行っておけばかなり手助けになるはず」と教えてくれた。
PMIは「Protection Maternelle et Infantile」の略で、直訳すると「母と子の保護」となる。
母子の心身健康を保証することを目的とした施設で、妊娠中の女性、6歳までの子供とその両親を対象に、フランス国内の各自治体に必ずある。
職員は全員女性で、保育士や助産師の資格を持っている育児のプロが揃う。
 

母子の健康を守りたい。産後の不安から救ってくれた、PMIというフランスの施設



 
個人的には、出産して病院から退院したあとが、育児人生で一番心の余裕がない時期なのではないかと思う。
初産なら尚更だ。
病院から出る時の、放り出されたような心細さ。
会話どころか泣くか飲むか寝るかしか出来ない、儚い存在を目の前にして、満身創痍と言える産後の身体に構う暇もなく、朝も夜もなく、我が子の一挙手一投足から目を離せない毎日。
それは国も文化も関係なく、母親になりたての女性が全員持つ気持ちなのではないか。
必要なのは赤ちゃんの成長だけではなく、自分自身の「育児への慣れ」だったのだと、今となっては分かるのだけれど。
 

母子の健康を守りたい。産後の不安から救ってくれた、PMIというフランスの施設



 
外へ出すのも憚れるほどの小さな子を抱いて、縋る想いでPMIへ向かった。
登録のために一度訪れたことはあったが、その時のような気楽な気持ちはもうなかった。
中へ入ると職員の方々が「おめでとう」と笑顔で私と子供を迎え、私の胸で眠る赤ちゃんの顔を覗いて顔をほころばせた。
それだけでもう救われた気持ちになった。
最初はおっぱいを飲めているか、ミルクを足した方がいいかが全く分からず、病院のように赤ちゃん用の体重計を購入するべきか悩んだほどだった。
それを打ち明けると、「気になるなら毎日でもここに来て測っちゃいなさい!」と明るく言われた。
フランスでは人混みや乗り物への長時間乗車などを避ければ、新生児の外出も問題ないと言われる。
私は週2、3でPMIへ通い、体重測定と共にオススメのミルクやオムツを教えてもらったり、育児のアドバイスなどを受けた。
行く度に心の中の薄暗く重い部分がなくなっていくようだった。
ベテランの「なんとかなるなる」精神にはだいぶ助けられた。
 

母子の健康を守りたい。産後の不安から救ってくれた、PMIというフランスの施設



 
その他PMIでは、小児科医による月健診や予防接種も無料で受けられる。
健診日に次回の健診日や予防接種の予約取りもしてくれた。
実務的な部分だけでなく、心の拠り所にもなってくれたPMI。
二人目妊娠の時も「PMIがあるし」と頼もしく思ったのを覚えている。

ところで、PMIを利用するには親のCarte Vitale(健康保険証)と子供のCarnet de santé(母子手帳のようなもの。子供が成人するまで子供の健康手帳として使う)が必要だが、日本で出産してCarnet de santéを所有していなくても、身分証明書などの必要書類を提出することでPMI又は市(区)役所にて発行してもらえる。
幼い子供を連れてフランスへ移住することになったという方、是非PMIの利用を検討してみてはいかがだろう。
 

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Posted by 尾崎 景都

尾崎 景都

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Keito Ozaki
パリ第7大学 言語音声学科 修士課程修了後、日本語教師として活動中。夫は料理人。