JINSEI STORIES

滞仏日記「深夜食堂ならぬ深夜BARで、ぼくは幻の妻に、3杯目を止められた」 Posted on 2024/01/23   

某月某日、日本滞在中のことだが、ぼくはESSE編集部の方々と打ち合わせを兼ねて食事をした後、ホテルまで歩いて帰った。
30代のころの担当者が今出世し、編集局長になっていたので、体調がすぐれなかったが、旧交をここでも温めた父ちゃんであった。
なんか、身に覚えもない過去の無頼話をいろいろとされたが、ま、30歳とちょっとの頃のことだから、まったく覚えてないのだけれど、それを脚色され、面白おかしく場を盛り上げたSさん、来年、定年なんだとか、・・・。
でも、大好きな編集者だった。だから、ぼくがお支払いをしたのだ。えへへ。恩を売る。二度と戻らない過去を懐かしみながら、ぼくは千鳥足で、家路ならぬホテル路についたが、とある交差点で、記憶が交差した。
あれ、ここ、なんか、知っているぞ。あたりを酔眼で見まわした。

滞仏日記「深夜食堂ならぬ深夜BARで、ぼくは幻の妻に、3杯目を止められた」



そうだ、このあたりに、すごく雰囲気のあるBARがあったよね。えっと、この辺だったんじゃなかったっけ?
それで、探し回って、それらしきBARの看板を見つけたので、ふらふらと吸い込まれるように階段を下り、かなり重厚なドアを押しあけてみたのだ。ぎィ~。
薄暗い店内、客はいない。音楽が心地よい。
ちょうどいい大きさのカウンターがあって、絵に描いたような白シャツの深夜BARのマスターがグラスを拭いていた。
「どうぞ」
と言われたので、
前に座ったら、おひさしぶりです、と言われて、驚いた。
「やっぱり」
「ええ、また来てくださって、ありがとうございます」

滞仏日記「深夜食堂ならぬ深夜BARで、ぼくは幻の妻に、3杯目を止められた」



古いアンプがウイスキー棚の下で、青い光を放っている。世界中のウイスキーが並び、アメリカの古いフォークソングが、良質な音で流れていた。暗いのだけれど、ぬくもりのある店で、居心地がいい。この10年、何度か、ここを探してさまよったことがあった。
これは、素晴らしい偶然ではないか。
「ぼくは前にここ来た時、誰と一緒でしたか?」
「編集者の方ですよ」
「なるほど」
なんとなく、覚えていたが、どの編集者と一緒だったのかは、思い出せない。今はもう編集者から誘われることもなくなった。みんな、他界したのだ。みんな、いいひとたちだった。片柳さん、長谷川さん、岡さん、坂本さん、・・・。
「何にいたしましょう」
「じゃあ、ウイスキー。飲みやすくて、でも、華やかな」
「かしこまりました」
バーマンは、そう告げると、氷の角をナイフで丁寧に四角くカットし、ちょうどいいサイズのグラスにいれて、そこにウイスキーを、ちょうどいい具合に、注いだ。
それが、ぼくがたまに家で呑んでいる「Arran(アラン)」だった。アラン島のスコッチウイスキーだ。
再会に、うれしくなり、ぐいっと煽った。くっ~。
みんな、言いたいことを言う。でも、ぼくは言ったことは忘れるが、一度好きになった人のことは忘れない。恩も忘れない。恩を忘れる人間が嫌いだ。
そういうことを独り言で呟いていたが、マスターは、少し離れた場所で、グラスを磨き続けた。ついでに、こういう弁えているバーマンが好きだ。
人の人生に介入してくる店主の店には二度と行かない主義の父ちゃんだった。
「おかわり」
マスターが二杯目をぼくの前に差し出した。

滞仏日記「深夜食堂ならぬ深夜BARで、ぼくは幻の妻に、3杯目を止められた」

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※ ビールは、ぼくにとってチャイサーにすぎません。☜っていいながら、飲んでるやん。笑。



相当、酔っていたのだと思う。すると、
「あなた。ちょっと飲みすぎじゃありませんか」
と声がした。
振り返ると、いつの間にか、俺の妻がいた。小太りで、目尻に笑い皺のある、でも、世界一やさしい俺の妻だ。なんてお前はいつも最高のタイミングでやってくるのだろう。
ぼくは顔を少しかしげて、口を緩めてしまった。その所作に、マスター、気が付いたようだが、この人は、弁えている。ぼくは苦笑した。
「いや、今日ね、30代の頃の担当編集者と飲んだんだ。そしたら、彼は30代の頃のぼくがやんちゃな不良作家だった、と言い張った。たくさん、お客さんがいる前で」
妻は口を挟まない。マスターも。
「覚えてないし、いいがかりだよ。みんな言いたいこと言うもんだ」
「いいじゃないですか、言いたい、ということはあなたが好きなのよ」
「なんにも覚えてない。とくに30代、40代、あの頃のことは」
「忘れっぽいですものね、人の話しもきかないし」
「でも、そいつのことは覚えているんだ。会いたいな、と思っていた。酔わないといいやつなんだけれどね」
ぼくは二杯目に口を付けた。
「お前も飲むか」
「私は今日はやめときます」
「そうか、俺を止めに来たんだろ。飲みすぎないように」
「ええ、そうよ」
「誰かにやさしくされると、涙が出そうになるね」
「ええ、みんなそうですよ、あなただけじゃなく」
「なんで、人間って、殺そうとしてくるやつと、優しくしてくれる人とにわかれるんだろ」
「それは、あなたが、弱くて、強いからよ」
「そうか、そりゃあ、そうだな。やられた」
アランは飲みやすいから、気を付けないといけない。
「あなた」
「わかってる」
ぼくはマスターに、お会計、を頼んだ。
日本に5日間、滞在をしたが、その店には帰仏するまで4度、顔を出して、アランをあらんかぎり、飲んでやった、父ちゃんであった。好きなところには何度も行くのが、ぼくの癖なのだった。
でも、幻の妻は、最初だけしか出現しなかった。
冷たいやつだ。

滞仏日記「深夜食堂ならぬ深夜BARで、ぼくは幻の妻に、3杯目を止められた」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ということで、ぼくは過去にすがるのが好きじゃないんです。懐かしいけれど、もう、戻れないし、その時代には後悔ばかりがあるし、扶桑社の局長の横顔を見ていると涙が出そうになりました。月日が流れていた。30年以上ぶりに会ったわけですから、30年後は、二人ともこの世にいないでしょうしね。楽しい、夜でした。残りの人生、お互い、頑張っていきましょう。
さて、今年の父ちゃんのスケジュールのお知らせです。
●小説「十年後の恋」集英社文庫版が1月19日全国発売。
●小説「東京デシベル」がイタリア、Rizzoli社から刊行されました。
●2月28日から、新宿伊勢丹のアートギャラリーで個展(詳しくまたご報告します)
●3月3日、両国国技館、ギタージャンボリー出演。(検索ください)
●3月6日、ツジビル・ライブ(SOLD OUT)
●4月19日、ロンドン、ライブ。詳細はこちらから☟

https://www.eventbrite.co.uk/e/2gz-tsuji-and-hide-live-japanese-music-in-london-tickets-790578039197?aff=oddtdtcreator

●6月30日、パリ・ライブ決定(詳細、待って)
●7月3日、リヨンでライブ!!!
以上です。

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