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滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」 Posted on 2024/01/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今日、ラジオで、身体を壊されて仕事を休まないとならなくなった方からの相談があった。
ジャパニーズラジオマンの父ちゃんは、「青空の休暇作戦」を提案したのだった。
その方は、不意に病になり、準備を入念にしてきたこの先3か月の仕事をすべてキャンセルしなければならなくなった、・・・今は入院中なのだ、とか。
ぼくも、10年前の離婚時、準備していた映画やイベントなどがすべて飛んだから、その悔しさや、無念が痛いほどわかるのだった。
子育てを託されたので、ほぼすべての仕事を諦めないとならなくなった。(レコード会社が全国ツアーを計画していたのだが、そこの会社が離婚を理由に投げ出したので、ぼくは一人で、マネージャーもなく、自腹で、全国を回ることになった。当時、各地の会場に足を運んでくれた方に、この場を借りてお礼がいいたい)
なので、ラジオで相談をされた方の気持ちがよく分かった。
準備をすすめてきた仕事がキャンセルになり、病院のベッドにいないとならない無念、実に、よくわかる。
でも、ぼくはシングルになって子育てを託された時、もちろん、しばらくは心が不安定になったが、これは神様が「今は休め」と言っているのだな、とあえて、考えるようにした。
騒がしい状態だったが、人のうわさは75日というではないか。
現実問題、子供は毎日学校に行かないとならないし、食事を与えないとならない。親に、休みはないのである。
ぎりぎりだったけれど、子育て優先で行くしかなかった。そうなると、人間というものは、覚悟ができる。逆にたくましくなることもできる。

滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」



泣くのを我慢している子供の横顔を見て、こんなロン毛のださい父おやだけれど、がんばるしかないだろ、と思うようになっていった。
ないはずの母親の気持ちも芽生えた。きもいが、お父さんとお母さんが子供には必要だったので、料理をする時は、熱血母ちゃんになり、バレーボールのコーチをする時は、巨人の星の一徹さんになって、指導をしたものだった。
で、雨がやまないことはない、と自分に言い続けていた。
開けない夜はない、みたいなものだ。
とくに、パリという都市は、夏以外はけっこう、どんよりと曇って、雨が降り続く。でも、ずっと雨が続くということはない。その通り。
いつか、晴れ間が出現する。
それを「青空の休暇」とぼくは呼んだ。
昔、書いた、ぼくの小説のタイトルである。(小説は、真珠湾攻撃に参加した兵士3人の物語で、年を取り、おじいさんになった3人が真珠湾を訪ねるという話しなのだけれど・・・)
信仰のないぼくだが、天は必ず見ている、と思って生きていた。なので、晴れ間が広がるのは、天の恵みだ、と思うことにしていた。

滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」



滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」

不意に病に倒れ、病院のベッドの中での生活を余儀なくされたその方には、まず、命を大切にしてほしい、とお伝えした。
何よりも、生き残ったのだから、その命を大切にしてほしい。
夢や仕事はまた、元気になればできる。回復させることが、まずは、大事だ。
いつか、雲が割れて、晴れ間が顔をだす日が間違いなく、来るであろう。
だから、今は、休暇に入ったのだ、と思ってほしい、としゃべった。
ラジオなので、反応はわからなかったが、少なくとも、ぼくはこの10年、そういい続けて生きてきた。
とくに最初の2,3年は、長い休暇に入ったのだから、今は、目の前の子育て、食べさせることに、残った力を注ごう、と決めたのだった。
少しずつ、雲が割れ、遠くの空に晴れ間が見えるようになってきた。
誰とも会わない日が続いたが、じわじわと自分の力が回復しているのが、わかるようになってきた。時が解決してくれるものである。
そして、コロナの前くらいまでには、仕事と子育てが両立できるまでになっていた。
それ以降、「一歩も前進できない時、むしろ、にっちもさっちもいかなくて、何もすることができない時は、天が休め、と言っているのだ」と思うようになった。
これを「青空の休暇」作戦、とある時、名付けた。
今は、休んで、英気を養え、必ず、立ち上がることができる日が来る。今は、焦るな。コツコツと、回復を目指していけ、と言い続けたのだった。

滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」



今日、息子から、SMSを通して、10本近い短い動画が送られてきた。それは、彼の、今日行われたライブの映像であった。
満席の観客を前に、仲間たちと熱唱して踊る息子がいた。彼が着ている服は、ヒステリック・グラマーという日本のブランドの服で、要は、ぼくの寝巻(家着)なのである。
「これ、どう?」
「いいね、かっこいい。借りていいの?」
「いいよ」
ということで、父ちゃんの寝巻でライブやっている息子くんに、涙ぐんだ。
涙もろくなったものであーる。
あはは。

滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
パリもずっと雨日が続いています。今週は晴れ間が出るようですが、なんと、最低気温、マイナス10度なのだ、とか・・・。三四郎の散歩が、大変ですね。息子は育って巣立ちましたが、入れ替わるようにミニチュアダックスフントの三四郎がやってきて、現在は「三四郎ファースト」で生きている、父ちゃんなのであります。
さて、父ちゃんからのお知らせとしては、
文庫「十年後の恋」が19日に発売になります。また、イタリアでは単行本「TOKYO DECIBELS」が発売になりました。読書の1月にしましょう。
4月19日に、ボブディランやオアシスがかつてやった、ロンドンのウオーター・ラッツで、ライブをやりますよー。英国、日本、イタリアですね。

滞仏日記「父ちゃんの秘技、今、頑張れない時のための、ー青空の休暇作戦ー」



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