JINSEI STORIES

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」 Posted on 2024/01/06 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今朝、起きたら友人のS氏から、「電柱作戦いいですね」と連絡があった。
昨日の日記を読んで、やる気が出たようであった。それはよかった。
毎日、こうやって日記をしたためながら、いったいこういう日記がだれに届いているのだろう、と思いながら書いていたりもする。
遠くばかり見ないで、次の電柱まで、ともかく向かう。そこがとりあえずの目標になるので、そこまでは頑張ることができる、それでいいじゃないか。
次の電柱にたどり着けば、その先にも電柱が待っている。再び、そこへ向かうという、ささやかながらも目標が生まれ、その小さな歩も、気づけば遠くへ導く指標になっていく。
苦しい時や、悲しい時は、ぼくはあえて、自分を忙しくさせている。
ぼんやりしていると、いろいろ考えすぎてしまい、悲観したくなるからだ。
そういう時は、あれもこれもそれも、どんどん身体と頭を使うようにしている。
来週、息子くん、20歳になるのである。
突如、シングルファザーになって、途方に暮れたあの時期、ぼくは朝ごはんを毎日休まず作るぞ、という目標を、まず、立てた。
朝、5時半に起きて、コメを研ぎ、用意していた材料で、お弁当をこしらえた。(朝弁習慣、と命名した)
息子は学校で給食が出るのだけれど、それでは足りず、おなかがすく、とぼくに訴えていた。
小さなお弁当箱に、栄養と愛情を詰め込んだ。
ぼくは離婚のせいで胃潰瘍になったり、精神不安な状態だったが、5時半に起きて、コメを研ぐ、という行動のおかげで、自分を維持することもできた。
みそ汁の香りに誘われて息子が起きてくる。部屋はあたたかい。
「おいしい」が親子をつないだのだ。ぼくの料理の腕前はぐんぐんあがった。(料理本を買って、フレンチなどを勉強もした。お菓子も作った)
息子を学校まで送り、道すがら、彼を励まし、息子が校門の中に消えると、ぼくの目の前に一本の電柱がそびえいている、という仕組みであった。(電柱作戦のだいご味!)
そこから、踵を返し、カフェで、コーヒーを飲んで、夜ごはんの献立を考えたものだ。
軽く昼寝をして、そのあと、仕事をし、掃除をして、買い物に行った。
そして、夕ご飯の準備へと向かった。それが何年も続いた。

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」



コロナの時代になり、ぼくらは家から出ることができなくなった。
それでも、電柱作戦は有効だった。
朝ごはんはなくなり、昼ごはんと兼用になった。コロナ禍の中、息子と周辺を走った。(運動と買い物の外出は許されていたのだ)
シングルの10年、ぼくはこっそりと絵を描いた。
画家になるつもりもなかったけれど、好きな絵を描くことが自分にとっての重要な電柱になっていくことになった。
離婚の直後、仕事が激減したので、人とも会いたくなかったし、誹謗中傷をもろに受けるつもちもなかったので、息子が学校に行っているあいだ、ぼくはカンバスと向かい合った。
小説も書いたが、文学は時に心を傷つけた。絵は、意味を求めてこなかった。
ぼくにとっては偉大な癒しの場となった。
そして、自分のために、こつこつ、作品を紡ぎ続けた。

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」



思えば、このサイト、デザインストーリーズも自分のためにスタートさせたのだった。
何かしないと、自分がダメになると思って、最初は一人で走り出したのだった。
読者も最初は数えるほどだった。悲惨なものだったが、関係なかった。なぜかというと、それはぼくにとっての人生の電柱の一つだったからだ。
その後、ある時、日記を書くようになった。休みなく、毎日、自分にふりかかったことを、小説とエッセイの中間くらいの感じで、できるだけユーモラスに書き、生涯作品として残していこう、と思ったのだった。
実に、この日記は、4688回目となる。
(パーマリンク、URLのところに4688と出ているはずなので、気になる人はチェックしてみてくださいね。日記にはすべてナンバリングがされています)
4688回、休むことなく、ぼくは日記を書き続けてきたのだ。一日も休んでない。
大変じゃないですか、先生、休んでください、とむかし、菅間さんに言われたことがあった。
「でも、これはぼくの前進するための大切なエネルギーなのだから、休む理由がないんですよ」と返しておいた。
菅間さんが急逝しても、この日記は続いている。
彼女が逝った、その日も、書いた。(離婚直後、ぼくを支えてくれた恩を心にしまっていますよ)
悲しい時、苦しい時、不幸な時にこそ、ぼくは自分が自分を励ますように日記を書くようにしてきた、している・・・。
寝込んでベッドの中で泣いても一生、起き上がって現実と向き合っても一生なのだ。
たぶん、この日記はぼくが死ぬ、その日の朝まで続くことになるだろう。
5000回はもうすぐだ。
そして、1万回もいずれやってくるに違いない。ぼくは数千本の電柱をひたすら歩いていくのである。

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」



絵を描きだしたのは高校から大学生にかけての頃からだけれど、もうすぐ初個展がこの年齢になってやってくる。
そうなると、もう、趣味とは言えなくなるけれど、でも、ぼくの電柱が増えていくのは悪いことじゃない。
ぼくは自分のために、創作をしてきた。同時に、子供を育てることがぼくの電柱だった。
その子が、来週の日曜日、ついに20歳を迎えるのである。
凄いことじゃないか!!!!
20本の偉大な電柱をあいつは、一つ一つ、毎年毎年、制覇してきた。おめでとう。
彼の電柱作戦のぼくは常に伴走者(ガイドランナー)であった。
この10年間は、こんなロン毛のださい父親だけを彼は頼って走ってきた。
息子がくよくよする時、ぼくは彼の横で言い続けてきた。
「誰の人生だよ。先へ行きなさい」
先には、君の新しい電柱が待っているのだから・・・。

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ということで、第4688回目の日記でした。これ、冷静に考えると、すごいことですね。でも、おかげで、ぼくは目標を持つことができたし、この日記を読んで、Sさんみたいに、ちょっと元気になる人がいたなら、いいね、笑。電柱作戦は、亀型の人間にむいていますから、ぜひ、やってみてください。20年後、日記が5万回を超えたくらいの時に、2000枚の絵を産み落としていたいですね、電柱、たくさん。そして、あと、50冊くらい小説を出す予定です。
はい、お知らせです。
2月28日からの新宿・伊勢丹アートギャラリーでの個展、
3月3日、両国国技館、ギタージャンボリー、出演、
3月6日、ツジビル・ライブ、二回公演。(売り切れ)
4月19日、英国の首都、ロンドン、ウオーターラッツでの公演、(これは2Gzという、英国限定ユニットでやります! 詳しくはまた、}
となっています。

滞仏日記「来週、息子が20歳になる。ぼくが息子と向き合った日々を振り返りつつ」



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