JINSEI STORIES
滞仏日記「希望という文字を木炭でカンバスに小さく描いてから、仕事をはじめた」 Posted on 2024/01/03 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、元旦に大地震があり、その翌日に羽田空港の大事故、が続いた日本。
スーパーに買い物に行くと、館内で流れていたラジオは、主に、日本についてのもので、日本が2024年早々に大変なことになっている、と司会者が悲しみを言葉にしていた。
思わず、足がとまり、涙が流れそうになった。
英国でも、欧州各国でも、日本の不幸が次々と、報道されている。
燃え上がるJAL機を見ながら、いつも乗っている飛行機がいつも利用している空港で炎に包まれている映像・・・、新年早々に、まるで悪夢のような映像であった。
飛行機から脱出していく人たちが、映し出されていた。
ここ最近、JALに乗ることが多いので、飛行機が離陸するとまず、飛行機からの脱出方法の説明映像が椅子の画面にながされる。
出口から、いくつかの風船のような滑り台が飛び出し、乗客は、そこを滑って避難しないとならないのである。
ぼくは毎年、もう20年も、年に何度も(行き帰りがあるので)この映像を見てきた。だから、頭にこびりついているのだ。
足を延ばし、両手を伸ばす姿勢で降りるように、と指導が流れる。「先に降りた方には、あとから降りる方の介助をお願いします」とビデオの中の人が告げる。
こんなこと実際におきたら、できるわけがない、と思っていたが、今日、SNSに流れた映像で、日本人乗客の皆さんが、整然とそれを成し遂げていて、目が見開いてしまった。
怪我された人がいたというが、全員救出されたのだ、という。日ごろの乗務員の皆さんの訓練のたまものなのだ、と想像し、胸があつくなった。
何が起こるか、本当にわからないのが人生で、その時のために、訓練をしているのである。フランス国営ラジオで、日本の方々が、力をあわせて、脱出に成功をした、と称賛していた。海保の方が亡くなられたのは残念でならない。助けに行こうとしていたのに、と思うと、父ちゃんは目が濡れてしまった。
震災はまだ続いている。本当につらい一年の始まりになった。でも、日々は流れていくのだ、ぼくたちは生きなければならない。
どんなに、つらいことがあっても、日常に負けてはならない、乗り越えていかないとならない。それが人生なのだ。
ぼくは、陰鬱な気持ちを紛らわすために、三四郎の世話と、自分の日々の仕事に向かった。
今日は、もくもくと絵を描いた。
真っ白なカンバスに、まず、希望、という文字を画用木炭で小さく記した。普段はしないが、この絵には、希望を込めたい、と思ったからだ。
その上に、下地の白(ジンク・ホワイト)を塗った。それから、黒の油絵具を入れていく。
今年は、希望を、書かなければ、と思った、今日、であった。
今は、カンバスに向かっているのが落ち着く。落ち着くことをしばらく続けたい。
大掃除の時に、地下室から発見された油絵があった。
2004年、息子が生まれた時に描いた人物画だけれど、こういう青年になってほしい、と思って願いを込めて描いた。
ちょうど20年がたち、実にその絵にそっくりな息子に成長している。
2004年はパリで息子が生まれるのだけれど、日本で暮らせないいくつかの理由があり、海を渡った。たいへん、不安、が大きかった。
ぼくは、言葉を失う時は、絵と向き合うことが多い。(それは絵が唯一仕事ではなかったからである)
1995年にも描いた絵がある。もう一人の息子が生まれた時に描いたもの。
これらの作品は、近い将来、個展会場に展示したい。その時の自分の感情の漂流が、色褪せずに、カンバスに残されている。
ぼくは旅先に、小さなスケッチブックを持っていく。
急ぎたくない時は、立ち止まり、目の前に広がる風景を眺めながら、それを心に焼き付けるために、スケッチする。
それは、小さな小さなスケッチブックだから、ポケットにしのばせておくことができる。
水彩の小さなセットも持っており、下書きした絵に、ホテルとか、カフェとかで、色を付けるのが、楽しい。
写真で撮影する風景よりも、心に残っていく。
今年のはじまりは、苦しいが、ぼくはそれを、カンバスに「希望」と題して、描いてみることにした。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
震災や事故でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。厳しい2024年の始まりになりましたが、みんなで力を合わせて、ゆっくりと、乗り越えていきましょう。