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退屈日記「朝のカフェオレ、そして、大掃除。隅々男のエリックにいつも感謝の父ちゃんです」 Posted on 2023/12/18 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、中島君ことエリックさん(友だちの中島君に瓜二つなので、こっそりかげで中島君と呼んでいるのだ)は、はるばるフィリピンからやってきた。
今年最後の大掃除をやるので、特別に、今日、事務所の片づけをやりに来てくれた。本当に、助けられている。
在仏歴20年以上の父ちゃんだが、思えば、ずっと女性のお手伝いさんだった。
息子には、女性がいいと思い込んでいた。
で、3,4年ほど前に、女性が見つからず、エリックがやってきた。
女性を希望していたが、知り合いの知り合いの知り合いから、彼を推薦されたのだ。けっこう、フランスでは男性のお手伝いさんも多い。でも、決め手は彼の人柄であった。
もくもくと掃除をしてくれるのだ。
事務所とはいえ、長谷川さんがやめてから、常駐しているスタッフさんはほぼいない。コロナ禍以降、事務所はあっても、テレワークが中心になり、会わない人とは何か月もご無沙汰というのは当たり前になった。
そんな中、中島君は毎週、多い時は週に二回とか事務所の掃除にやってきてくれる。隅々をきれいにしてくるので、ぼくにとっては必要不可欠な人材なのである。
実は、中島君はぼくが何者か、あまり、知らないのだ。
知らないけれど、ぼくがここの主だということは知っている。
ぼくは中島君が来ると、まず、コーヒーを淹れてあげる。時々、あればだけれど、お茶菓子とか、チョコレートも出す。
お弁当を持たせたこともあるし、まかないを食べてもらったこともある。結構ある。
前はサンドイッチ付きだったが、ノルマンディに行くようになってから、食事付きではなくなったけれど、一生懸命働いてくださる。頭が下がる。
ここのソファの下が汚いんだけれどなア、絨毯がよれているんだけどなア、と思っていると、ぴかぴかになっているし、絨毯もちゃんと敷きなおされている。
三四郎が変なところに潜り込むんで心配なんだ、と話すとちゃんとそこも掃除をし、しかも、三四郎が入れないように工夫してくれたりする。

退屈日記「朝のカフェオレ、そして、大掃除。隅々男のエリックにいつも感謝の父ちゃんです」

※ 朝は、カフェーで、カフェオレにクロワッサンをつけて、パクっ。うまい!

退屈日記「朝のカフェオレ、そして、大掃除。隅々男のエリックにいつも感謝の父ちゃんです」



とにかく、目が行き届く最高のお手伝いさんなのである。
やめられては困るので、時々、彼の好物のウイスキーを日本で買って、渡している。満面の笑みで、サンキューサー、と言ってくれる。
いやぁ、ポール卿じゃないんだから、サーはいらない、と言うのだけれど、イエッサー、と戻ってくる。ぼくには似合わないが、まア、心地よい人なのである。
で、ある日、ぼくが描いた絵を見せたことがあった。
その時、はじめて、あああ、ムッシュは絵を描かれるんですね、すごい、と驚かれた。
この世界の不条理な対立を、墨絵のようなタッチで描いた作品だった。
涼しい目で、しばらく、絵の隅々を見つめていた。こんな中島君ははじめてであった。
それから、彼は、事務所に飾っているぼくの絵の前で、時々、手を止めて、絵を見つめるようになった。今は4メートルの絵が壁に飾ってあるので、その前で、動かないこともある。
こういう中島君を見たのははじめてだった。
彼はもともと無口なのだけれど、言葉じゃなく、何も言わず、ただ、じっと絵を見つめていた。それで十分であった。
そして、それが、うれしかった。

退屈日記「朝のカフェオレ、そして、大掃除。隅々男のエリックにいつも感謝の父ちゃんです」

※ 中島君ことエリックはバイク通勤です。笑顔が最高なんだな。



絵にうんちくを付したい人が多いので、うんざりしていた。
小説も音楽もいろいろと言われる世界だけれど、言葉は窮屈、でしかない。中島君は、時々、掃除機をとめて、壁にかかる巨大な絵をじっと見ているのだった。
来客者によっては、絵なんか目に入らない人も多いのだ。
でも、彼は明らかなアクションをおこして、絵を静かに見つめ、心の中で咀嚼していた。そういう人でいてくれて、ますます、好きになった。
ぼくの絵は、言葉で説明するのが難しい。
きれいな色を使う絵でも、美しい光景でもない。
世界の今の、とくに対立する意識の、見えないものを描いているので、でも、抽象画とも言い切れない、変な絵だから、壁にかけていても目に入らない人もいるのだ。
でも、ぼくは彼が絵を思う気持ちを持っていることがうれしかった。
しかし、中島君に、どう思う? と訊くのも失礼だと思った。
だから、ありがとう、と言った。
それから、彼はぼくの仕事場に足を踏み入れなくなった。つまり、ぼくが事務所の仕事場で絵を描いているときは、入れない、ということだった。そこだけ、もう、ずっと掃除をしてくれないのだ。
なので、今日、ぼくは彼が帰った後、自分で仕事場を掃除することになった。
彼が絵の部屋に入らないのは、そこに油絵具や描きかけのカンバスがごろごろ転がっているからだった。たぶん、そこを神聖な場所と知っているからだった。
三四郎と、中島君だけが、ぼくの仕事場には足を踏み入れないのだった。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
中島君に、今日、クリスマスプレゼントを渡しました。満面の笑みを浮かべて、サンキューサー、と言うのでした。あはは、照れるけれど、背筋を伸ばして、バイクで帰っていく中島君を見送るのでした。お子さんが3人いて、奥さんも、同じ仕事をしているのです。この冬に、フィリピンに一時帰国する、ということでした。長男が一人、フィリピンに残っている、というのです。彼にも彼の素晴らしい人生があるのです。ウイスキーまた、プレゼントしなきゃ、いけませんね。エリック、いつもありがとう!!!
さて、ちょっと日々がつらい皆さん、父ちゃんが歌いますから、元気になってくださいませ。一時間に及ぶ貴重なライブ映像がこちらです!!!!
下のURLをクリックしてね。
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https://youtu.be/YIi9N-6kt5g?si=l3SPg4Wt-jpOqToS



退屈日記「朝のカフェオレ、そして、大掃除。隅々男のエリックにいつも感謝の父ちゃんです」

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