PANORAMA STORIES
ヨーロッパ最古の大学の秘密 Posted on 2017/02/23 荒川 はるか イタリア語通訳・日本語教師 イタリア・ボローニャ
これほどの紋章を抱える建物が他にあるだろうか。
至る所に色鮮やかな装飾が描かれたこの建物は、アカデミックな空間というよりは、まるで博物館のようで、
好奇心を刺激する場所だ。
アルキジンナジオと呼ばれるこの建物は16世紀に建てられたボローニャ大学の最初の校舎だ。
それまで数百年、教室は市内に点在していた。
旧ボローニャ大学の壁や天井を覆うおびただしい紋章には、個性的なシンボルと共にフランドル、ウェールズ、プロヴァンスなどラテン語で学生の出身地が書かれている。
それを眺めながら、欧州各地の学生を魅きつけた大学に名を残すことが叶った学生達の誇った顔や、その郷土、大学生活の熱気など想像が膨らんでくる。
各地から集まったエリート達の間ではどんなドラマが繰り広げられたのだろうか。
博物館と違って、好奇心に火がついて次々に疑問が湧いてきても、ここでは多くを想像に頼らなければならない。
ただし、運さえ良ければ関係者から逸話を聞きだせることもあるのだ。
2階にあるスタバト・マーテルという旧講堂が最近一般公開されるようになった。
重厚感のあるこの教室で、番人さんが面白いことを教えてくれた。
この講堂は法学部のもので、階段も専用のものがあり、学芸学部と呼ばれていたその他の学部(医学、哲学、算術、天文学、論理学部など)の学生はその階段を使うことは許されなかったそうだ。
彼らには長い廊下の反対側にある学芸学部共通の講堂と階段が充てられていた。完全な差別ではないか。
どうして法学部だけが特別扱いを受けたのか。
それは欧州最古の歴史を誇るボローニャ大学を生んだのが他でもない法学者達だったからだ。
11世紀後半、ボローニャで法学研究が盛んになり、学生が教授を雇う形で授業が行われるようになった。
各地から最高レベルの法学校を目指して学生が集まり、同郷者同士が学問の権利を守るために組合を結成したのが、ボローニャ大学の起源だ。創立は1088年とされている。
さらに70年後、赤髭王の名で知られる皇帝フリードリヒ1世はボローニャ法学者達の見解を参考にハビタ勅令を発布し、大学をいかなる権力にも属さずに自由に研究を行う場所とし、勉学のために旅する学生達を守ることを定めた。法学者が法律の力によって学問の自由を勝ち取った、といっても過言ではないのだ。
そんな歴史に思いを馳せながらこの旧法学部講堂の壁を見回すと、そこに改めて、ここで学んだ人々のずっしりとしたプライドが感じられるようだった。
私たち一人一人がストーリーを持つように、この校舎では何千もの紋章となって今も過去の歴史を語り続けている。
ルーツも異なる様々なストーリーが各々意思を持ってこの場で交じり合い、無数の発見や化学反応を起こして新たな物語を生み出してきたにちがいない。
ここを訪れるたびに絡み合った歴史の一端を発見できたら、と思う。
Posted by 荒川 はるか
荒川 はるか
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イタリア語通訳・日本語教師。東京生まれ。大学卒業後、イタリア、ボローニャに渡る。2000年よりイタリアで欧州車輸出会社、スポーツエージェンシー、二輪部品製造会社に通訳として勤める。その後、それまでの経験を生かしフリーランスで日伊企業間の会議通訳、自治体交流、文化事業など、幅広い分野の通訳に従事する。2015年には板橋区とボローニャの友好都市協定10周年の文化・産業交流の通訳を務める。2010年にはボローニャ大学外国語学部を卒業。同年より同学部にて日本語教師も務めている。