JINSEI STORIES
滞日日記「お盆の時に上咽喉炎になって失声していた父ちゃんの復活への道のり」 Posted on 2023/09/04 辻 仁成 作家 パリ
※ foto by yusuke okada
某月某日、ついに京都劇場でのライブの日となった。
映画「中洲のこども」に出ている俳優の村井良大から、「今、宮本亜門さんの舞台に出ていて、辻さんの話が・・・。お元気ですか?」
と来た。
「宮本さん、東京のライブに来たよ」
「ええ! マジですか?」
「堂珍くんも来たよ」
「えええ、いつ?」
「30日」
「うそー、毎日、ツイッターチェックしているのに」
あはは。遅れをとって焦る村井くん、かわいい。
「また、次回にね」
「監督、あの映画、ロングラン、おめでとうございます」
「昨日で終了したよ」
「ええええ!」
何もかも、遅い、村井くんであった。かわいいのー。
ということで、こんな父ちゃんだけれど、いろんな人からこうやって励まされるのは、いいことだ。
好きな人たちに囲まれて生きている今が一番幸せかもしれない。
敵を作りそうになると、「そこはね、もう関係ないから怒らないで先に行こうよ」ともう一人の仙人父ちゃんが言うので、単細胞父ちゃんは深みにはまらず済んでいる。
村井くんや、堂珍くんや、宮本さんのような仲間がよりそってくれている。
ありがたや、ありがたや。
さて、会場に向かう準備だ。
※ foto by yusuke okada
いつもと何も変わらない。かっこつけることもなく、がんばることもなく、普通にステージあがるための準備を心がけた。
実は、東京の会場でちょっと白状したが、お盆の前日に失声したのだ。
声が出なくなった。一切・・・。
地球カレッジで熱血に喋り過ぎたのも原因だし、駐車場の朝練もやり過ぎた。しかし、一番の原因は酷暑と冷房なのだった。
行きつけの耳鼻咽喉科に行き、A先生の診断をあおいだ。
「上咽頭炎ですね」
と診断結果が出た。
「うーん、けっこう、酷いですよ」
「先生、福岡のライブまであと10日ないんです。ハイトーンが出ないとお客さんに申し訳ない」
「辻さん、上咽頭炎はハイトーンが戻りにくいんです」
「がーん!!!」
ということでそこからステロイド剤での治療がはじまった。
接種できるぎりぎりの量を飲み続け、他にもいくつかの薬を処方して頂き、しかも、吸入器まで買って、液薬を毎日、二度、噴霧することになったのだった。
しかし、日本公演のリハーサルが3回あったが、初日は声が出ず、途中で中止に。(父ちゃんはやけっぱちになってホテルに帰ってしまった!!!)
二回目はスタジオに行くことすら出来ないくらい酷い状態になり、バンドだけでの練習に。(ごめんなさい)
最終日、20日のゲネプロにはなんとか顔をだし、軽く、様子をみながら歌ったのだけれど、だんだん声が戻ってはいたが、本調子からは遠かった。
4日後に迫ったライブ、しかも、この日だけ、Youtube用の撮影クルーが仕込まれているのだ。がっびーん。
絶体絶命の父ちゃんではあーりませんか。
藁にもすがる思いで、福岡に前のりをした足で、大川にあるご先祖のお墓参りに行った。
神頼みならず、先祖頼みである。
「お爺ちゃん、力を貸してください」と祈った、父ちゃんなのだった。
※ こんなに大変なことが起こっていたが、この辺の日記には一切書いてないでしょ? 料理の日記ばっかでしょ。皆さんを心配させたくなかったんだよー、笑。美味しいものを作って頑張っている日常を毎日アップしていたが、現実は地獄であった。ステロイドのせいで、お腹は壊すし、喉が戻るか、顔は浮腫むし、ひやひやであった。
ところが、不思議なことが起きたのだ。大川市大野島にある勝楽寺、祖父が建立した白仏(数千体の人骨で作られている)に手を合わせたら、穏やかな光が目の前に出現し、まるで、微笑みを受けたような清々しい精神状態になった。
一緒に行った母さんが、ああ、いい光ったいね、と言った。
福岡のライブ以降については、名古屋も、東京も、皆さんが御覧になった通り、「失声」が嘘のようにハイトーンが出まくったのだけれど、あれは、父ちゃんがちゃんとご先祖さまに泣きついたからなのだった。
親とか先祖に泣きつくのは子孫の役目なのである。いいんだよ。
先祖を想う気持ち、これが日本の心である。
というか、世界どこも一緒だね。感謝感謝しかない。
そして、最終日、京都公演はさらに最高の出来栄えとなるのだった。
福岡公演を収録した宗大介から福岡国際会議場での収録映像が届いていたけれど、自分で言うと、嘘くさいが、マジで、いい出来栄えなのであった。失声が嘘のように。
ゲネプロ一回しか、音合わせしていないのに、出来ちゃうの?
皆さん、がそう思う気持ちはわかる。しかし、それは違うのであーる。
ミュージシャンというのは、ビルを建設するわけではない。
長年の経験と訓練が逆にこういう時に生きるアート人間なのだ。
もちろん、福岡公演と最終日の今日の京都公演ではクオリティは京都の方が圧倒的にいいのだけれど、ああいう状況で、ステージが終わるまで誰一人、どうなるかわからずやっている緊張感が、凄まじい。
そこにライブの本質が眠っていたのだ。
いいYoutubeになるのは、確信出来ているので、お待ちください。
チケットが各所、売り切れてしまったので、この映像が、皆さんに幸福を持ち込むことでしょう。えへへ。
どんな状況でも諦めないこと、それが、熱血魂なのであーる。
※ 実は昨日、手を合わせに行った東本願寺にも、お爺ちゃんの「喉ほとけ」が入っているのである。お爺ちゃんは亡くなる前に、お坊さんになったのだった。
そして、日本公演最終日、京都劇場、最高の出来栄えになりました。ほんとうに、素晴らしい最高の夜になりました。ありがとう!!! やった~、完走したぞ!!!!!
※ 今日、はじめて、ペンライトならぬ、携帯ライトでバラードが盛り上がりました!!! 皆さん、ありがとう!!!!
熱血は、つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
失声し、「あー」も出なかった父ちゃんの頭の中には、一瞬、「公演中止」という文字が明滅したのですが、ぼくは必死でそれを打ち消しました。台風やコロナでオーチャードホールのライブを三回も中止に追い込まれた父ちゃん、オランピア劇場凱旋ライブをキャンセルさせることは出来ませんでした。病院との連携の結果、復活! A先生は恩人です。
今日は、今年最高のハイトーンが出ました。皆さん、ありがとう!!!