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滞日日記「父ちゃん的、創作の試みと愉しみ。世界が夜明け前に、語る」 Posted on 2023/07/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、今は、毎日、8月24日の福岡国際会議場でのライブに向けて、一日のほぼほとんどの時間を注ぎ込んで練習に集中している。
福岡公演では、ジャズも歌う。これはきっとぼくにとってははじめての経験じゃなかろうかと思う。アメリカの古いソウルミュージックも歌う。もちろん、シャンソンも。
ぼくがデビューしてから今日まで歌い続けてきたおなじみの曲たちも勢ぞろいするのだけれど、アコースティックなセレナーデ世界が中心になるかな。
ロックロールは今回は少なく、言葉とメロディをソウルフルに歌い上げるナンバーが中心にセレクトされている。
4公演、少しずつメニューを変えて挑む予定だけれど、10月に控えているロンドン公演をそれなりに意識しているのは、確かだ。
歌はパフォーマンスだから、父ちゃんの骨や肉を総動員して、挑むもの。
全身を使って表現するもので、きっと小説とか絵という表現とは、真逆にあるものじゃないか、と思う。
福岡公演はツアーの初日だから、かなりのバリエーションをもって選び、最後の京都公演ではその完成形が披露されるのだろう。
でも、福岡でのライブは、初日ならではの大胆な選曲になる。オランピア劇場はバンド・スタイルだったけれど、今回はどうだろう。ドクター・キョンさんのピアノとぼくの声がソウルを奏でるところに、あすかさんのパーカッションや、ユンさんのミュート・トランペットが切なく、絡んで、溶け込んでくる、まさにセレナーデ、という感じのライブになるのかな。

滞日日記「父ちゃん的、創作の試みと愉しみ。世界が夜明け前に、語る」



滞日日記「父ちゃん的、創作の試みと愉しみ。世界が夜明け前に、語る」

今、朝の4時半なんだけど、この日記をアップしたら、駐車場に行き、練習(朝練)が始まる。
今のぼくにとっては大事な時間だ。
日本入りしてからは今回のツアーでオープニングを飾るとある曲だけを繰り返し練習している。
ほぼほぼ弾き語りの曲だけれど、フォーキーであり、ソウルミュージックなんだよね。ジャパニーズソウルマンに恥じないよう揺れる言葉のバラード。
これを福岡の会場で響かせたい。
駐車場のコンクリートの壁を見ながら、歌っているぼくの頭の中には、しかし、同時に、今、ノルマンディで制作過程にある油絵が見え隠れしているんだ。
絵はどこが終わりか、絵が教えてくれるのだけれど、終わるまでその絵は頭の中で明滅を繰り返す。
ぼくの絵はまだギャラリー関係者以外は見てないわけだけれど、来年、伊勢丹で生の絵が壁に飾られるまでは、愉しみが続きますね。
ここ数年の作品、とくにノルマンディで描かれたものは、ノルマンディの海や空の色に支配されたもので、風景画の要素もちょっとあるけれど、全体は抽象性に覆われ、人間の心の境目が描かれている。
ぼくは小説家だから、言葉で長年、自分の哲学や思考を作品にして紡いできたが、絵は説明がないので、言葉が消える分、窮屈ではない。
どっちがどういいかは、説明できないのだけれど、全部違っているし、全部に当然、中心はぼくだから、共通するものがある。
今回の人前にさらすことになった作品はほぼノルマンディで描かれたもので、パリのアトリエで描いたものとはやはりタッチが違う。
油絵の裏に、a normandie ,a parisと描いた場所を記しているから、いつか比較してみると、面白いと思う。
ぼくの頭の中には、音楽や文学や絵画や映像の抽象が、いつもつねにある瞬間織りなしている。きっと、絵を発表しなかったのは、それがある位置に到達するまで難しかったからだろう。ぼくは遅筆なのだ。
感情や哲学に支配されている。
「日付変更線」(集英社文庫)という第二次世界大戦の時代の日系兵の小説を書いたが、あの作品の中に出てくる画家はぼくだ。
彼が描く巨大な絵があって、四季を描く四枚の戦争の絵なんだけれど、いつか、ぼくはそれを実際に描くことを夢見ている。
そのためには巨大なアトリエが必要だけれど・・・。
緻密な細かい、しかし、数メートルはある絵だ。
(今、ぼくが描いている絵は、50号、60号がメインで、それなりに大きな絵で、伊勢丹ギャラリーさんにはちょっと大きすぎる作品群なのだけれど、支配人さんはそれを見た瞬間、全部飾ります、とおっしゃってくれた。感謝。日本まで担いできた甲斐があった)
えへへ。

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ともかく、時間になった。今、2023年の7月30日、朝の5時半だ。ぼくは誰もいない駐車場に行き、福岡で歌う一曲目を小一時間練習する。そして、ぼくの思考はノルマンディの海を見つめていることだろう。アトリエに残してきた「les invisible」という作品の残像を追いかけながら、歌うのだ。こうやってずっと創ってきた世界の中にいる、ぼくはたぶん、皆さんが知らない、父ちゃんなのである。
一方でまもなく描き始める新しい小説世界の物語の蔦の先に指先が届きそうなところにもあるのだから、やれやれ、こんがらがるくらいに、生きているのは、苦痛で楽しい。

滞日日記「父ちゃん的、創作の試みと愉しみ。世界が夜明け前に、語る」

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つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ええと、福岡国際会議場メインホールでのライブはそれ以降のライブとはちょっと異なります。どう異なるのかはうまく説明できないのですが、ぼくの頭の中からあふれ出る言葉とイメージと世界が、そこを満たすでしょう。ぜひ、お越しください。もうすぐやけん。
8月13日、今年最後の小説教室があります。総括しますね。下の地球カレッジのバナーをクリックお願いします。
そして、8月24日は、福岡国際会議場メインホールでライブです。チケットぴあで発売中!

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