JINSEI STORIES
退屈日記「あらためて考えてみる。一度しかない人生の、この一度の意味を」 Posted on 2023/07/25 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、つまり、限られている人生だということである。
ここをきちんと理解することが、もっとも大事なことなのだ。
実は、人生に終わりがあるから、人間は前向きでいられるのである。
ぼくは「永遠者」という死なない人間の小説を書いたことがあった。
書きながら気が付いていったことがある。この人は死なないので、人生に焦りがなく、みんなが死んでいくので、孤独しかない上に、終わらないので前向きにもならない。
もはや、死ぬことに幸福を見出すようになっていくのだ。
死なないから、この人は今を維持するのが本当に大変なのである。
逆を考えてみたら、面白い。
人間は、いずれ死ぬからこそ、その死までにやっておきたいことをやるし、後悔をしないように頑張るのである。
死は、ぼくらをやる気にさせてくれているのだ。
一度しかない人生なのだ、限りがあるのだ、それは間もなくやって来るのだ、と思うからこそ、「今やっておかないと」という逆の発想に繋がる。
だから、みんな口をそろえて「人生は一度しかないんだ、うじうじしてなんになる。くよくよしている暇はない、いざ、進め」となるのである。
無駄に出来ないのである。
これも、まだ10歳の少年にはぴんと来ない。
死が遠いからである。
しかし、ぼくのような年齢になると、今やらないでいつやるんだ、となる
限りあるこの世界で、限りない人生を生きるために、ぼくらは永遠の現在の中を駆け抜けていくのである。
10年という単位がある。
結構、あっという間だし、結構、長かったりもする。
10歳の子が10年経つと20歳になる。
30歳の人が10年を持つと40歳に、50歳の人は60歳になる。
あっという間なのだ。
若い頃の10年よりも、歳を重ねてからの10年の方が早い。
ぼくは離婚をして、シングルファザーになって10年が過ぎた。
仕事を減らし、子育てだけに専念をした10年で、この間、代表作を作ることが出来なかった。
(あの時代のぼくの代表作は、息子! 笑)
作家としてのぼくにとっては負の10年ではあったが、そのかわり、十斗が成人し、社会に出ていった。父親としては、最高の十年だった。
しかし、表現者として、挽回しないとならない。なぜなら、時間がないからである。あはは。
あの子を育てたあの10年が、ぼくを変えた。ぼくはもの凄いエネルギーとガッツをチャージしていた。
60歳を超えてから、息子に言った。
「パパはここから失った10年を取り戻すために、全力で生きる。いいよな?」
息子は、もちろんだよ、と言った。
ぼくは音楽も、小説も、映画も、他にもいろいろと停滞を取り戻すために全精力で動きだした。
まだ、間に合う。
まだ、次の10年がある。
その先にも、もう10年くらいありそうだ。
そこに向かうことが、つまり、ぼくを今前向きにさせているのである。
今からだって、ぜんぜん、出来ることがある。
何をぐずぐずしているのだ。
子育てで何も創作が出来ず悔しかった、あの気持ちをここから存分に出すことが出来る。
死ぬまでに、やりたいことを全部やり切って死んでやるのだ。
だから、一日でも長生きがしたい。
やりたいことが多すぎるからである。
それがぼくの「長生きの秘訣」なのだった。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
人生が二度あるというと、逆に今をおろそかにしそうですね。人生が一度しかないからこそ、ぼくは今、全力で生きられるのです。ご清聴ありがとうございました。あはは。
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