PANORAMA STORIES

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け) Posted on 2017/02/10 ヒルトゥネン 久美子 通訳、プロジェクト・コーディネーター フィンランド・ヘルシンキ

よくお邪魔する認知症高齢者施設では毎年5月にジャズの演奏を聴きながら、

家族とともに桜を楽しむパーティーがあります。
 

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

お天気に恵まれ、桜吹雪が美しく舞い始めていました。
私は美味しそうなスナックをお皿いっぱいに盛り、テーブルに並べるお手伝いをしました。

おばあちゃんは皆可愛らしいアクセサリーを身に着け、お洒落なお帽子をかぶり、おじいちゃんはいつもよりちょっとめかしこんで、来園したご家族と楽しそうに団欒を送っていられます。
介護スタッフも踊りながら人々の間を進み、とても楽しそう。
 

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

すると私の横に、今まで一度も言葉を交わしたことのないおばあちゃまが連れてこられました。
介護士の方は他にも仕事があるようで、おばあちゃまにケーキのお皿を手渡すなり、そそくさとそこから離れていかれました。どうやら、このおばあちゃまのご家族は来ていないようです。

ともかく、私はおばあちゃまに二言三言言葉を優しく投げかけてみたのですが、通じているのかいないのか、
よくわからない奇妙なやりとりが続いたのでした。

「おばあちゃま、ジャズは好き?」
「桜がきれいね〜。」
「桜、日本から来たのよ。」

などなど。お返事はあったり、なかったり。じっと遠くを見つめたり・・・
 

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

そこに別のスタッフが英語の曲を口ずさみながら「一緒に歌ったら? 英語できたでしょう?」といいながら近付いてきました。できる? と顔を覗き込んで訊いてみると、元英語の先生だったのよ、と戻ってきました。
そこで、私はちょっと試してみたくなり(笑)、まず、おばあちゃまに改めて英語で「英語の先生だったの? では英語が話せるのね?」と訊いてみました。
おばあちゃまは、なんとなく にっこり。
じゃ〜〜、と。”My name is Kumiko. Nice to meet you.’と言ってみました。
そうしたら、“Nice to meet you, TOO〜!”と返ってきたのです。

その時、私は嬉しくて嬉しくて、顔がくしゃくしゃになっていたんじゃないかと思います。
続けて、「今日は本当に暖かいですね。おばあちゃま、桜は好きですか? 私は日本人なのよ。フィンランドに住んでいるけど。」と英語でゆっくりと、でも、かなり長く時間を費やし話をしました。
その間、おばあちゃまはず〜っとニコニコ聞いてくださっていたのです。そう、なんとなく、わかっている感じで。
途中、二人分のコーヒーを取りに行って戻ってきたら、私のことを誰??? という顔で見てきました。やれやれ。でも、めげませんよ、”Do you remember me? My name is Kumiko. 日本人です。”とお構いなく話し続けました。

私たちのやりとりはそんな風に少しずつ記憶を戻ったり辿ったりしながら進んだのです。
後半、おばあちゃまは少しうとうとされていましたが、私はとても幸せな気分になりました。
 

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

この施設は家族やご本人からのサービス満足度調査で市から連続表彰されています。
「個人個人の生きてきた道を最後まで」と、どのスタッフもそのことをモットーに日々、高齢者とともに生活しています。そのために必要なのは、もちろん一人一人の人生の道を知り、理解しようとすることです。
ご家族やスタッフ、そしてご本人も一緒に、自分の人生を振り返るショートムービーを作ったり(ナレーションや好きな曲をBGMとして入れることもある)、フォトアルバムにまとめたり。

介護プランの書き出しには「“私は”こんなことがしたいです」とあり、一方的な医療チームのケアープランとは全く違います。
デジタルストーリーは介護士養成教育機関や大学との連携プロジェクトに参加してのものですが、日々の介護ルーティンにとどまらず、常に“その方”を知るために勉強することを惜しみません。

スタッフが家族のように接する理由がよくわかります。

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

元英語の先生は英語がお分かりになりますし、元貿易会社の社長さんは世界中を旅されていました。
ご主人の仕事に付き添って世界各国を転々とされていた女性は、中国やイタリア絵画がお好き。
今は介護を受ける立場でも、看護師だったおばあちゃまは隣に座った方の面倒をよくみています。

認知症により今は自分からお話しできない方たちばかりですが、皆さん、現役時代は、素晴らしい職業人でした。
そのことを尊敬し、素晴らしい人生の先輩として接する時、単にお食事の介助やおむつの取り換えだけでない、真のお付き合いができるのだと思います。

一人一人に私の想いを伝えたい、人生の先輩としてお話を聞きたい。
そんなことを考えさせてくれるのが、この施設、「彼らの家」なのです。
 

”昔は誰もが素敵な職業人だった” (認知症高齢者たちの声に耳を傾け)

Posted by ヒルトゥネン 久美子

ヒルトゥネン 久美子

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通訳、プロジェクト・コーディネーター。KH Japan Management Oy 代表。教育と福祉を中心に日本・フィンランド間の交流、研究プロジェクトを多数担当。フィンランドに暮らしていると兎に角、色々考えさせられます。現在の関心事はMy Type of Lifeをどう生きるか、そしてどう人生を終えたいか。この事を日本の皆さんと楽しく、真面目に、一緒に考えていきたいです。