JINSEI STORIES
滞福日記「佐藤浩市さんと世良公則さんへの心からのお礼と謝罪について」 Posted on 2023/07/02 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、福岡はコロナ禍を乗り越え、勇壮な山笠が復活し、その山笠開催期間中、父ちゃん監督作映画「中洲のこども」もその舞台となった中洲流の本拠地中洲で、公開中なのであーる。
この作品は、父ちゃんの原作、「真夜中の子供」を下敷きに作られた映画なのだ。
親の理由で戸籍のない少年がいて、その子を中洲の人々が支えるという話。
コロナ前に撮影に入った映画「真夜中の子供」がコロナなどのせいで中止になり、しかし、地元の人たちからの強い要請があって、地元の人たちがお金を出し合って、スタッフも父ちゃん以外、全部入れ替わって、「中洲のこども」という映画名にかわり、中止になった前作の方々から一部、佐藤浩市さんの撮影部分を借りて、新たに撮影し直され、完成となった作品なのである。
こうやって、書くと、へー、と思うであろうが、ほぼ、外科手術に近い撮影で、足と手と胴体と頭を付け替えるような大手術的作業の連続なのだった。
というのは、2019年に撮影していた時の主人公の少年は、成長し、今作では主役が務められないことになり、その4歳下の弟君が急遽、主役に抜擢されることになった。
で、何が大変だったかって、佐藤浩市さんが再びやり直すことが出来ないので、彼が出演した部分と同じ場所に同じようなセットを作って、少年と少女は新しい子になり、佐藤さんには申し訳なかったが、佐藤浩市さんの出るカット以外は、同じような太陽の日を選んで(カメラマンが頑張った)、数センチ以内の誤差で、同じポーズをとってもらい、撮影を、いわば、コラージュしたのだった。
たとえば、2019年度版の少年と少女が、寝ている佐藤浩市さんを振り返る場面で、振り返った直後にカットが変わり、新しい少年と少女に入れ替わったりしている。(たぶん、見た方は気づかない)
簡単に書いているようだけれど、超大変であった。
当時の衣装がもうないので、同じ色、似たような小物を探し回ったり、・・・。(これは助監督さんが頑張った。マジ、助監督優秀だった)
「監督、これしかなかったんですけど、いけます?」
「よく探したね」
「昨日、撮影終わってから夜まで、市内歩き回りました」
あと、橋の上から撮影していた絵があったので、その絵を元に、横から新しい少年と少女を撮影するのだけれど、佐藤浩市さんがいないと不自然なので、助監督に似たような色の衣装を着て寝転んでもらい、腰の部分をなめて(掠めて)、カメラを回す。
つまり、偽佐藤浩市さんになってもらったのだ。これは浩市さんの事務所から怒られることは、覚悟をした。(怒られなかった。感謝です)
かくして、こういうのが佐藤浩市さん出演の全てのカットで行われている。地獄のような撮影だった。
でも、試写で観てくれたRKBの細谷さんは「佐藤浩市さんの存在感が半端なかった」と言ってくださり、内実を知る、あはは、監督としては嬉しかった。
また、佐藤浩市さんの事務所にも新しいプロデューサーが丁寧に説明をしたところ、「このような時代に映画がおくらにならず完成したことがよかった」と言って頂いたのだ。
浩市さんは実に誠実な方で、きっと、コロナ禍の厳しい時代における撮影の難しさを誰よりも理解してくださっているのであろう。感謝がつきない。
それから、この映画、スタッフではぼくだけが古い映画も新しい映画も両方にかかわったが、同じ役で全編通して出てくださったのは、村井良大さん、と、世良公則さんであった。
村井とは長い付き合いなので、彼は這ってでも来てくれると信じていただが、世良さんは、ぼくの大先輩だし、初仕事だったので、どうなるか、ハラハラした。
最初の映画が中止になった時にちょっとご迷惑をおかけしたみたいで、実は他のキャストの皆さんの事務所からは「もう出演はできません」と厳しい意見も多く、ぼくは申し訳ないと思って心を痛めていたが、コロナ禍もあり、ぼくなんかにはどうすることも出来なかった。
もう、その時、映画は終わると思っていたのだ。
で、新しく撮りなおすことになった時、佐藤浩市さんの場面とラストのシーンだけは古い映画を使わないとならず、そのラストに中洲流の長老的な役割で出ていた世良公則さんには再登場願わないと映画が完成しない。
佐藤浩市さんの場面は撮り終えていたので外科手術手法でなんとかなったが、世良さんはご本人に出てもらう必要があった。
なので、事務所のマネージャーさんとぼくは何度もメールでやり取りをすることになった。これはぼくの仕事ではないが、乗り掛かった舟、というものだ。
プロデューサーさんも新しい人で、みんなが疑心暗鬼の中にいたので、ぼくが説明をしないとならなかった。
2019年の撮影時に当時の方々が、なにか、世良さんに失礼な対応をされたようで、そのことが心に引っ掛かっている、とおっしゃられた。
これは全く新しい映画で、新しいスタッフなんです、と説明し、でも、当時の対応の悪さを謝るしかなかった。ぼくが頭を下げることで許して貰えるなら、と思い誠意をもって、説得を続けたのである。
結果、事務所の方々もいい人たちで、思うことはあるみたいだったが、最後は快く出演へとかじ取りをしてくださったのだ。
ぼくも自分のための映画ではもうないので、なんとか実現させないと二度と博多に戻れなくなる、というようなことを言った。
どうか、山笠の方々をがっかりさせたくない、福岡の人たちを悲しませたくないので、なんとか出演をお願いします、と言い続けたのである。
すると、忙しいのに、世良公則さんが、「やるよ」とおっしゃってくださり、ふらっと、博多にやって来てくださったのである。
ところが、新しい主役を務めることになった弟君は、世良公則さんが怖いのか、撮影中、俯いて、演技をしなくなった。
マネージャーさんが、ご本人に、「世良さんが怖いのかもです」とおっしゃられた。
ぼくもそうだと思っていたけれど、世良さんには言えない。うすうす、自分が怖いのかな、と思われた世良さん、その子をあやし始めた。いい人だ・・・。
この場面はご覧になって貰えばわかるが、大事な場面で、少年が笑顔で、世良さんと和むシーンなのに、弟君が下向いて動かなくなったので、撮影は数時間中断してしまった。
助監督さんや彼のお兄ちゃんが一生懸命あやすのだけれど、子供だからねー、世良さんはいい人だよ、といっても、目を見ない。
世良さん、ブチ切れてもいい場面で、ひやひやしていたが、逆に、世良さんが一生懸命少年の心を持ち上げようと子守り役を買ってくださったのである。
控室にもかえらず、少年に、「いいんだよ、やりたくなるまで、ゆっくりやろうね」と言い続けてくださった。
次第に、弟君、世良さんは悪い人じゃない、と気が付いていった。
世良さん演じる「かえる」は山笠の長老役なので、怖くないとならない。スタッフはくたくただったが、みんな辛抱をした。
その間、ぼくは台本を書き直すことになった。
笑って前向きに生きようとする場面の台本を、大人に心を許さない少年の場面に切り替えたのだった。
これが、結果的に、功を奏した。そんなに簡単に、人は笑顔を作ることが出来ない、ということをぼくは弟君に教わったのである。自然なのだった。
主人公の少年はいきなり出現した長老に笑顔で向き合えるわけがない、と気づかされ、ぼくは現実をそのまま台本に落とし込んでいくことになった。
このような苦労がこの映画にはごまんとある。
でも、完成し、今、上映中なのだった。山笠の期間中の開催なので、お近くの皆さん、ぜひ、ご覧頂きたい。7月13日まで中洲大洋映画劇場でロードショー中である。多分、低予算映画で、地元の映画なので、全国への展開は難しいかな、と思う。山笠に行かれるついでに、この期間でぜひ、ご覧いただければ、監督としては幸甚である。
人生はつづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
動物と子供には愛される父ちゃんでしたが、子供ってね、三四郎よりも、自由ですからね。この映画には子供と向きあう大人たちの労苦がにじみ出ています。でも、そんな子供でも、突然、こちらが衝撃を受けるような演技をやる瞬間があるのです。映画って、人生みたいなものですね。えへへ。
さて、今日、同じく、福岡国際会議場メインホールでの父ちゃんライブの最速先行の締切日です。よろしくね。
【オフィシャル最速先行】7/02(日)23:59締め切り。チケットぴあ。
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https://w.pia.jp/t/tsujihitonari-k/
さて、文章を書くのが大好きな皆さん、父ちゃんの文章教室があります。7月16日、エッセイ教室をやるんですよ。今回は、父ちゃんが普段どうやってエッセイを書いているのかを、具体的に、話そうと思っています。編集者さんから頂いた依頼をもとに、どういう風にエッセイを仕上げていくのか、書いていくのか、をご披露しながら、執筆のコツみたいなものを学ぶ90分になれば、と思っています。課題もあります。課題は、提出したい方だけでけっこうですので、ご参加ください。詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックね。