JINSEI STORIES
滞仏日記「長谷っちが引き継ぎのために事務所にやってきた。最後のまかないを作った」 Posted on 2023/06/18 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、謎の病で体調を壊し、父ちゃんの仕事をやめることになり、田舎への移転を考えている長谷っちが、久しぶりに事務所にやってきた。
彼の後任、出版部門の担当に岡っちが就任したので、引き継ぎのために。
岡っちは長谷っちとは正反対、冗談が通じない、かなり硬派な年齢不詳のマダムなのであーる。
これまで、2年ほど、出版業界の各編集担当さんとは、書籍の窓口のようなことをやってもらってきたので、顔なじみも多い。
長谷っちよりも、編集者さんらにとっては岡っちの方が顔なじみかな。
今後は、長谷っちが手掛けていた過去作品の管理、出版契約、海外版権などの仕事を、とはいっても、長谷っちが遠隔で教えたりしながら、しっかり引き継ぐことになる。
長谷っち、マスクをして、やってきた。
まだ、精密検査は続いている。どうも原因が不明で、ストレスじゃないか、とお医者さんに言われている、らしい。ストレス?
「あの、まさか、ぼくが原因じゃないよね」
と訊いてみたら、
「先生、それはありえますね。過酷でしたから」
と長谷っち節、健在であった。
長谷っちの冗談に、ぼくは苦笑したが、岡っちは、眉一つ動かさない。
眉一つ動かさない。鉄の女なのであーる。
長谷っち同様、仏語はペラペラなので、今後はフランスの出版社さんとの間に入ってもらうことになる。
「岡っち、先生の仕事は過酷ですが、あとは頼みます」
長谷っちが言った。
岡っち、低い、ひくーい声で、
「はい」
と一言、・・・うわ、暗いのであーる。
今日の事務所のまかないは、中島君ことエリックも掃除にやってきたので、4人分、父ちゃんスペシャルBLTを作ったった。※エリックは掃除が終わって食べる。
「長谷っち、食欲はあるの?」
「はい。昔よりは減りましたが、先生が作ったものは食べたいです」
「変だね、それ」
「先生、ぼくは事務所はやめますけど、先生の弟子は続けたいんです。先生もいいとおっしゃった。だから、サンドイッチは食べます」
「その理屈が分からないけれど、ま、いいよ」
岡っちは、無表情でBLTを食べ続けている。
「岡っち、美味しいかい?」
「はい」
暗いのであーる。
「大丈夫?」と長谷っち。
すると、岡っちが、
「レタスの並びがきれい」
と驚くべきことを言った。
うわ、そう来たか!!!
並び・・・。
「あの、先生、何が入ってるんですか?」
長谷っちが割り込んで来た。
「ブリーオーサヴァランという生クリーム系のチーズ、レタス、カリカリベーコン、蒸し鶏、そして、トマトかな」
「・・・美味しい」
不意に、岡っちが言ったので、ぼくらは顎を引いた。
ぼくと長谷っちは岡っちを振り返った。
岡っち、自分が噛んだサンドのレタスの境目をじっと見降ろしている。・・・。
「そうか、そうか、あは、それはよかった」
「・・・・」
長谷っちが、じっと、岡っちの横顔を見つめている。
「岡田さん、ぼくがいなくなると、この事務所、あなたが責任もって管理しないとならないんですけども、その、大丈夫かね?」
岡っちがゆっくりと顔をあげた。
ちょっと、怖い。(本人の許可とっています。ちょっとなら書いていい、ということですが、長谷川さんみたいにしょっちゅう書かれたくない、ということで、了解。当然です)
「あ、別に、夏は誰もいないし、ぼくは日本だし、普段はノルマンディだから。のんびり仕事できますよ。がんばって・・・」
「・・・・(シーン)」
会話にならない。
あはは、と、父ちゃん、笑ってごまかした。
三人で、黙々とBLTを食べたのであーる。オーロラソースが今日はよくできた。
ともかく、物静かだが、岡っちは、仕事ができる。それは有難い。
今は、広島のとある映画会社のプロデューサーさんとの交渉、イタリアの出版社さん、このあいだのフィガロのエッセイも、扶桑社さんをはじめ各出版社さん、文芸家教会から紹介された翻訳関係の人たち、などなど、父ちゃんがはじめて仕事をするところの、最初の窓口業務をこなしている。
いわゆる出版関係秘書業務を担当するのであーる。
※ 長谷っち、最後の「まかない」なのであーる。お疲れさまでした。ゆっくりと休んでくださいね。
なんでも、昔、日本でOLをやっていたのだけど、何か事情があって、フランスに移り住んだ、らしい。
詳しいことは聞いていないけれど、もちろん、聞けないのだけれど、・・・大丈夫、書きませんから、安心してください。
「先生、ご馳走様でした」と長谷っち。
「うん」
「実は、コリンヌと、イブリン県に家を借りました」
イブリン県とはパリのお隣、ベルサイユの先にある長野県のような大きな県である。森に囲まれた素晴らしい場所だ。車で一時間くらいの避暑地?
「今度、遊びにいらっしゃいませんか?」
「え、いいの?」
「はい。ぼくの病気は幸い、人にうつすものじゃないようですから、先生が嫌じゃなければ」
「わかった。時間が出来たら、ふらっと行くよ」
ということで、長谷っちから、岡っちへの引継ぎも無事?終わった。
出版関係の皆さまにはご迷惑をおかけしましたが、今後は、岡っちが長谷っちの後釜として、頑張っていくので、ひとつ、よろしくお願いいたします。
人生はつづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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