JINSEI STORIES
「ガウディと外尾悦郎」 辻 仁成 Posted on 2017/02/04 辻 仁成 作家 パリ
私は今までに5度、サグラダ・ファミリアを訪れている。
芸術工房監督の外尾悦郎氏とはじめてお会いしたのは2008年のことだ。
拙著「白仏」がスペインで出版され、版元に招聘され、マドリードとバルセロナへと飛んだ。
バルセロナでのサイン会の後、スペイン人の担当編集者に
「日本人がサグラダ・ファミリアで彫刻の責任者をしているから、あなたはこの機会にぜひ会うべきだ」
と言われ、面識もないのにのこのこと出かけて行ったのが知り合うきっかけ。
外尾氏は不意に訪問した私を温かく迎えてくれた。
2014年、人生の受難が私と息子に訪れた。
どうしても自分の力だけでは解決できなかったので、なぜだろう? そこが聖家族贖罪教会だからであろうか?
私は息子を連れてバルセロナへと向かった。
この時、外尾氏は余計なことは一切言わず息子に彼の仕事を見せた。
門を作っている、と外尾氏は告げたが、当時の私は死んでいるように生きていたので、それが何の門かまで確認することができなかった。
しかし、外尾氏はまだ10歳になったばかりの息子にその作業行程を優しく説明し続けた。
私にとって忘れることのできない光景となった。
今回、13歳になった息子を連れて再びサグラダ・ファミリアに行くと、あの時、外尾氏が取り組んでいた門扉が完成し、教会へと入るファサードの袂に鎮座していた。
生誕のファサードに向かって、右から信仰の門、慈悲の門、希望の門である。
全体の3つの門は右からマリア、イエス、ヨセフを表している。
慈悲の門の2枚の門扉には、愛を具現する蔦が描かれている。
伸びる蔦の茎がこの世界を重厚に支え合いながら張り巡らされており、ここにはつがいの虫たちが仲良く暮らしている。
向かって左側の希望の門の門扉には川辺の植物やアヤメが描かれている。
向かって右側の信仰の門の門扉には、バラの花が散りばめられている。
そして、これらの扉を閉じると(これは一般客が見ることができない)慈悲の門の裏には舞い散る黄金色の木の葉が描かれており、これはパブロ・カザルスのカタルーニャ民謡「鳥の歌」の譜面となる。
希望の扉の裏には枯れた荒野から命溢れる大海へと至る道程が叙事詩のごとく描かれていた。
祈りを求める人間の希望が魚群に託されている。
これらはすべて2000年のコンクールで優勝した外尾氏のアイデアなのだった。
Photography by Hitonari Tsuji
ガウディの遺志を間違いなく受け継いで、今もガウディのことを一番考え、その仕事に取り組んでいるのは外尾悦郎が筆頭じゃないか、と私は思う。
生誕のファサードがあまりに凄すぎて、正直に言えば、他がかすんで見えなくもない。
世界遺産に指定されているのも、実は生誕のファサードと地下聖堂のみ。
教会内部のステンドグラスの美しさや柱の迫力はガウディの遺志とは離れ、新しい建築家の思いが取り込まれ、次の世代へと飛躍しているように感じないでもない。
受難のファサードに至っては、もちろん、スビラックス氏の彫刻は現代的であるいはガウディの微笑みを誘うものかもしれないが、石に代わり使われはじめたコンクリートが現代を象徴し、ガウディ自身の遺志からは大きく逸れている気がしないでもない。
けれども、そのことさえも、ガウディは予言していたのじゃないか。
自分が思い描いたものを後世の人間たちがいずれ引き継ぎ、創造し、枝葉をつけて大きくすればいいのだ、と構えていたような節がある。
彼は種子をまき、芽を育てた偉人、言わばサグラダ・ファミリアの祖であった。
彼の死後、様々な人たちがこの樹木を大きくさせようと貢献した。
けれども、その中で、間違いなく、外尾悦郎こそがガウディの教えを徹底的に引き継ごうとし、その遺志に忠実に取り組んでいるのじゃないか。
時々、私はガウディと見間違える瞬間がある。
観光客は生誕のファサードから入場し、受難のファサードから外へと出る。
過去から未来へとそこには静かな時間がたゆたっている。
過去に学ばないものは滅びる。
ガウディが未来を予言しながらも、私たちに教えていることはそのことではないだろうか。
サグラダ・ファミリアを訪れるたび、私は過去から入場し、未来へと向かう。
どのような未来が私たちを待ち受けているのであろう。
この贖罪のための教会は私たちに警告をしている気がしてならない。
自然をおざなりにするものはいつか文明に滅ぼされるのだ、と。