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パリ最新情報「旅を愛したマティス『空白の10年間』、パリのオランジュリー美術館に初登場」 Posted on 2023/03/16 Design Stories
20世紀初頭、フランスの美術シーンを牽引したピカソとマティス。
同時代に活躍したピカソが“フォルム”の表現に革命を起こしたとすれば、マティスは豊かな色彩表現によって、当時の美術界に衝撃をもたらした。
この二人の展覧会はパリにてこれまで何度も開催されており、ピカソに至ってはマレ地区に国立の美術館も存在している。(マティス美術館は南仏ニースにある)
一方で「色彩の魔術師」マティスは、人生の前半は首都パリで、後半は南仏ニースに魅せられそこで生涯の幕を閉じた。
そして1930年からマティスの作品は、フォービスム(野獣派、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した)から離れ、単純化がはるかに進んでいる。
本人は旅をこよなく愛した画家だったというが、画法の変化には30年代の旅行中に受けた刺激も多々影響していた。
さてパリのオランジュリー美術館では、そんな「空白の10年間」と呼ばれるマティスの回顧展が期間限定で開催されている。
これはマティスが30年代にフランスを離れ、タヒチなどで受けたインスピレーションを元に制作した、数々の名作を紹介するもの。
今回の回顧展ではこの10年間にのみ焦点を当てているのだが、実は作品の多くはアメリカに渡ってしまっていて、フランスではほとんど展示されることがなかったという。
1930年、マティスはフランスを離れタヒチへの旅に出た。
動機は、太平洋の明るい日の光を一身に浴びたいということだった。
マティスは以前にも明るい太陽を求めて、南仏や北アフリカに渡っているが、そのこだわりが地球的な規模にまで膨らんだというわけだ。
そしてこの時、マティスは自らの意思で創作活動を休止し作品の転換期を迎えていたそうだ。
※「横たわる裸婦」1935年
しかしマティスがフランスを離れ、地球の裏側で新たな境地を開拓することを決意した時、フランスの美術関係者たちからは厳しい目で見られていたという。
外国文化を創作の源とした画家に冷ややかな意見を浴びせた関係者がいたためだ。
マティスの作品には確かに変化が現れ始めていた。
かつてのような荒々しい色彩が消え、古典回帰時代のように抑えられた色が使われているのを見ると、太平洋への旅が彼の心情に何らかの気づきを与えたように思われる。
※「LE CHANT」1938年
オランジュリー美術館は今回、「1930年代という、マティスにとって重要な10年間に新しい光を当てています」としている。
また「アメリカやタヒチから帰国したマティスにとっての30年代は、女性の身体や女性がまとう装飾、本質的・物質的なものに対する考察を極限まで高めた、断絶の10年間でした」とも述べた。
実際にマティスは人物像を多く描いているが、これについては彼自身も「私が一番惹かれるのは静物でも風景でもなくて、人物像である。私が生について抱いている感情を最もよく表現させてくれるのが人物像なのである」と発言している。
人生の後半にニースに拠点を移した後は、マティスの作品には落ち着いた色彩と、単色を突き詰めたシンプルなものが目立った。
そこには晩年のマティスがたどり着いた精神的な深度を感じさせるものが多い。
極致に到達する前の大きなきっかけとして、今回の回顧展「Mattise Cahiers d’art, le tournant des années 1930」は“マティスの人生を見つめなおすもの”だと、オランジュリー美術館も述べている。
巨匠マティスの絵はフランス人(特に女性、若い年齢層)にも大人気。
そのためチケットの予約なしでは美術館前の長蛇の列で待つことになるので、予め公式サイトで予約をしていた方が入館はスムーズだ。
なお期間は2023年3月1日〜5月29日まで。
自国フランスにもファンを多く持つマティス展は今、春先パリの文化シーンに華を添えている。(せ)