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ノルマンディ日記「穏やかな田舎に戻って、その暗い浜辺で、これからの世界を見つめる」 Posted on 2023/02/23 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ノルマンディに戻って来た。
天気が悪くなって、フランスの高速道路、視界が悪かった。
こういう時は、人生と一緒で、見晴らしの良くない時には、安全運転にかぎる。いや、常に安全運転だから、いっそうの安全運転が求められる。
フランスのオートルート(高速道路)は、日本よりもうんとスピードが出せる分、もっともっと注意しなきゃならない。
昨日、別れ際、ぼくは息子に「一軒家を探しているのだ」と言った。
三四郎は足腰が弱いので、階段を昇り降りさせることが出来ない。今はぼくが抱えて昇降しているが、山の上の古い屋敷の五階、・・・今はいいけれど、十年後は難しくなる。
まさか自分が犬を飼うことになるとは、アパルトマンを探していた時、考えもしなかった。リハウスしたばかりだが、仕方ない。
ノルマンディからブルターニュにかけて、海沿いの家を探しはじめている。小さくてもいいから、階段のない生活にシフトするのだ。
すると息子がこう言った。
「パパ、ぼくは都市開発を勉強しているから、ちょっとアドバイスいい?」
驚いたことに、海沿いに買うのは反対だ、という。
「もうすぐ、ジャカルタやバンコクが海の下に沈む。いくつもの都市が沈む。もうすぐだよ。温暖化の影響で川沿い、海沿いの家はちょっとおすすめできない」
「じゃあ、どこがいいの?」
「遠くに海が見える山の方まで後退した方がいい」

ノルマンディ日記「穏やかな田舎に戻って、その暗い浜辺で、これからの世界を見つめる」



衝撃的なアドバイスであった。
海岸線に並ぶ、田舎の夜景を眺めながら、ため息をもらした。
ぼくは、海沿いから離れないよ、それまでなら、仕方ないよ、と言った。
パリで呑もちゃんとやなさんとの飲み歩きは楽しかったが、最近はもうそういうことに喜びや興奮は覚えない。
ここには静寂しかないが、落ち着く。
三四郎が足元でごろごろしているから寂しくはないし、今日を噛みしめて生きることが出来る。
この子はだいたい、ぼくがどんな精神状態かわかるみたいで、ぼくの喜怒哀楽にあわせて寄り添い方を少しずつ変えてくる。
へー、お前、わかるの、とささやかな喜びにつつまれる。
ギターを掴んで、運指の練習をやった。
「核戦争なんか起きないよ」と息子は鼻で笑った。
「なんでわかる?」
「もしも、核ミサイルが一発飛んで来たら、報復が始まって、24時間後に1億人は死んで、48時間後にほぼほぼ世界の終わりが決定する。そういうことが避けられない世界ならば、温暖化問題以前にこの世界の終わりが始まるから、家のことなんかパパ心配しないでもいいんだよ」

ノルマンディ日記「穏やかな田舎に戻って、その暗い浜辺で、これからの世界を見つめる」



三四郎と散歩に出た。
夜の海岸線を歩いた。闇の中から犬を連れた人がふわっと出てくる。
ぼんそわ、ぼんそわー。
10年後、この砂浜もなくなっているのだろうか。
63歳だから、あとわずか7年で、70歳になってしまう。
その10年後には80歳なのだ。三四郎はもう生きていないだろうなァ、と思った。
コロナ禍になってから急速に世界はなにもかも、人も希望も世界も、激変した。
あの感染症、そもそも、自然にできたものじゃない、という議論はどこへ? 

ここで、海を見ているとまだなんとか常軌を踏み外さないで済む。
この星に今、80億もの人間が住んでいる。
ちょっと多すぎるから、「老人は自決を」みたいなことを頭の良さそうな人が言うようになって、Twitterに流れだし、それが仮に切り取られた意見の一部分だったとしても、或いは何かの譬えだったとしても、影響を受けた小学生が「老人はいらない」と主張しだし、その頭の良さそうな誰かに、老人を殺す方法をカメラの前で聞くような異常な社会が現前する現実も否定できないので、ぼくはついに開いた口が塞がらなくなった。
ところでこんなことを書いているぼくも子供たちに老害認定されるのだろうか?
やれやれ。



息子には一応、言っておいた。
熱血だけはどんな世界になってもなくすなよ、と。
「周りがどんなに愚かになって冷めて人を攻撃する社会になっても、心をなくすなよ」
息子も3回のロックダウンを経験した。
封鎖された世界には絶望しかなかった。
ぼくはいつ何時、この世界が再び、あのような絶望に見舞われるかもしれないと用心をして生きている。そんな時にこそ、熱血、が必要だと信じている。
人の人格や命を軽んじる者のいいなりにはならない。
誰にも支配されない、強い独立した人間でい続ける。
熱血しかない。

ノルマンディ日記「穏やかな田舎に戻って、その暗い浜辺で、これからの世界を見つめる」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
三四郎と暗い海を見つめて帰ってきました。ここは自然が近くにあるから、この世界が絶望に包まれるようなものは想像出来ません。しかし、某科学雑誌が1947年から続けている世界終末時計は今年ついに「残り1分30秒」を指しました。あまりにも多くの問題を抱えているこの世界ですから、「老人の自決を促す発言」などが広まっても不思議ではないのですが、もっとも恐れないとならないことは、心をなくすことです。そういう戦いにぼくらは巻き込まれているのだと思います。家族を大切にし、友だちと笑い、他人を尊敬し、他人に愛され、ともに生きていく世界を失いたくありません。

地球カレッジ
自分流×帝京大学

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