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退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」 Posted on 2023/02/17 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、久しぶりのパリ滞在となった。
PVの撮影は順調に終わったのだけど、ノルマンディから車を運転してパリに入り、PVの撮影が終わったのが16時だったので、田舎のアパルトマンを出てからパリのアパルトマンに着くまで、およそ、10時間もかかってしまったことになる。(子犬の三四郎にはちょっと過酷であった)
普通ならば、撮影後、みんなで軽くご飯を食べたりするのだけど、その余裕もなし。
ごめんね、今日は帰る、と言い残して真っ先に家路についた父ちゃんと三四郎であった。
事務所には、長谷っちがいて、出版関係の細かい仕事を処理してくれていた。
「ただいま」
「先生、大丈夫ですか? 顔色がよくないですが・・・」
「長谷っち、PV、つかれた~」
「ちょっと、コーヒーでもいれましょうか?」
「ぼくはいいから、すまないが、三四郎の散歩、お願いしていいかな。この子、撮影中、ずっとリードに繋がれて待たされていたからね、ストレスたまってると思う」
「そりゃあ、可哀想だ。あ、先生、大至急のゲラのチェックが数本あります」
長谷っちが、ぼくにかわり、三四郎の面倒をみてくれることになった。
ぼくはとりあえず、自分の仕事部屋に顔を出した。
パソコンを開くと、韓国のテレビ会社と映画会社から、出版エージェントからの契約書(イタリアなど)、dancyuとかNHKとか、新連載関係、などなど、いくつかゲラ・チェックも入っていた。作家業は休みなし。
とどめは、3月に出る光文社のエッセイ集「自分流、光る個性の道を行く」のゲラ(239ページ)が届いていたのだ。
19日までに戻さないとならない、と書かれてある。あと2日って、なかなか痺れる話じゃないか。
ちょっと見なかったことにして、ソファに倒れこんだ。
二拠点生活とはこういうものなのである。
ぼくは寝落ちした。

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」



長谷っちが帰った後、ぼくはキッチンに行き、冷蔵庫を覗き込んだ。
野菜室に「ごぼう」「蓮根」、冷凍庫に「鶏肉」があった。
ふむふむ。何を作ろうかな。歌いすぎて喉が疲弊しているので「蓮根汁」はいいかもしれない。「鶏ごぼうご飯」は最高かもしれない。(多めに作って、明日はおにぎりにして食べることが出来る)
今日はつかれたので、それがいいだろう。
鶏ごぼうご飯は炊飯器が作ってくれるし、あ、蓮根のきんぴらとか、食べたい。
どんなに疲れていても、こうやって、ご飯を作ることで、元気が戻って来るから、人間というのは「不思議な生き物」なのである。
日々のごはんというものは、忙しければ忙しいほどに、大切になってくる。
量は食べられないけれど、生姜をたっぷりすって、身体を温めて乗り切りたい。
ごっつあんです。

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」

※ 明日は、これで、おにぎりを握るのだ!!!! えへへ。

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」



もちろん、食後は、日記も書いたけれど、今日は徹夜に近い感じで、たまった書き物の仕事をこなさないとならない。
つまり、作家の父ちゃんになる日なのである。
とりあえず、三田文学の連載小説「動かぬ時の扉」をなんとかしましょう。笑。
音楽がここのところ忙しいので、オランピア劇場を成功させることで頭の中はいっぱい。
その一方で、映画「中洲のこども」も完成したばかりなので、それの海外展開などもフランスのエージェントと話し合いがもたれつつあるところ。
もっとも、まだ、大きな進展はない。あはは。
その他、細かいエッセイや、広告文なども含めると、けっこう、あるなぁ・・・。

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」



今日は、これから、小説30枚を書くつもりなのだけれど、ぼくの場合、筆が動き出すまでが一番時間を必要としている。
そのかわり、動きだしたら、早い。
物語が芽吹くまで水をやり続けるのだ。
いくつかの単語が、寄り合って、一つの文節が生まれる。
この文節が、次の文節を招いて、いくつか連なって文脈が出来始めると、ぼくの空想力は不意に加速するのだ。
ちなみに、文節というのは、言語として、最低限それがあると成立する言葉の単位である。
文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位。
「小さな犬が吠えた」だと「小さな」「犬が」「吠えた」という三文節で出来ている。
単語だけだと、うーむ、文とは言わないね。
なので、文というものは、単語ではなく、この「文節」ではじめて構成される、ということを考えて貰いたい。
まず、ぼくは、「小さな犬が吠えた」という三文節を生むことから、物語を創作する。それが、基本、なのだ。。
この小さな基本は、やがて、239ページにも及ぶエッセイ集を作り出すことになるのだから・・・。
想像してみてほしい。
ぼくらの日常は文節で表現されているのである。

退屈日記「文を区切った際に意味として不自然にならない最小の単位について」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
ええと、父ちゃんの「文章教室」ですが、次回は、エッセイ教室を3月19日にやりたいと思っています。テーマは「旅」。詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックくださいませ。

地球カレッジ

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あと、まだ、間に合うならば、17日、22時から、「パリごはん」の新作が放映されます。今日なので、過ぎてしまったら、ごめんなさい。あ、再放送が21日にもあるので、見逃した方は、そちらでご覧くだされ~。
NHK・BSの「辻仁成のパリごはん 2022年秋冬」が放映されますよ。お見逃しなく、ご覧くださいませ。今回は、人生の自立、父ちゃんの自立など、自立編です。旅あり、チャレンジあり、美味しいご飯もあり、愛と涙の物語・・・。
2023/2/17(金)後10:00~10:59【BSプレミアム・4K同時】
2023/2/21(火)後5:00~5:59【BS4K】※再放送

さて、父ちゃんの5月29日のオランピア劇場でのライブ、直接チケットを劇場で予約する場合はこちらから。FNAC(フナック)でも買えます。

https://www.olympiahall.com/evenements/tsuji/

フランス以外からお越しの、ちょっとチケットとるのが不安な皆さんは、ぜひ、ジャルパック・サイトをご利用ください。こちらです、

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