JINSEI STORIES
滞仏日記「行かないで、とマダムは言った。別れの後にある時間」 Posted on 2023/02/04 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、ぼくの友人のムッシュとマダムを我が家に誘った。
「なんか、和食を作るから二人で食べに来てくださいよ」
ちょっと調子が良くない、ある意味、危険な時(鬱っぽくて)は、極力一人にならないよう心掛けている。今は、ちょっと危険な時でもある。
渡仏した直後から、ムッシュの方とは仕事を通して知り合い、長い付き合いが続いている。
マダムとはここ10年ほどの付き合いだ。
ぼくが離婚をした直後くらいから親しくなり、今ではムッシュよりもマダムと話をすることの方が多い、かな・・・。
というのも前のアパルトマンのすぐ近くに、マダムの娘さんが(離婚をされて)お子さんたち、つまりマダムのお孫さんらと、暮らしていたのだ。
で、時々、週に一度くらいの頻度で、その小さな孫たちの面倒をみにやってきた彼女と、ランチとか、お茶とかするようになった。
ずけずけと発言をするなかなか豪快な人なのである。
ムッシュとマダムはお互い再婚同士で、それぞれにお子さんがいる。
結婚しているのだとは思うが、フランスではあまりそういうことを聞いちゃいけない。
マダムはユダヤ人で、テルアビブに自分だけの家を持っている。
元は観光企業に従事していて、けっこう、偉い人だったらしい。今は、孫たちの優しいおばあちゃんである。
もっとも、ぼくには結構、手厳しく、
「ひとなりは、ミュージシャンのくせに、言語感覚ゼロよね」
と面と向かって言われたこともある。
ムッシュの方が愛想はいい。マダムはそのかわり、裏がない。
ずばずばっと思ったことを言うのだけれど、逆を言えば、陰口とか言わないタイプ。
「ひとなり、ミュージシャンなのに、発音が酷すぎる。あんた、20年もパリにいて、その発音じゃ、ダメだわ」
面白いことにムッシュは仕事が終わってから、自分の車でやって来る。その前に、マダムが自分の車で娘の家からやって来た。
2人とも、それぞれの車を運転してやってくるのだ。
で、マダムが先に着いた。
ぼくらは泡のお酒で、先に「乾杯」をやった。
エアリアルというお菓子をパリの食材店で見つけたので、それを出したら、めっちゃ、受けまくった。携帯を取り出し、写真を撮りだした。
「これ、パリで買えるの?」
「買えます。美味しいでしょ?」
エアリアル、ありがとう。すると、そこに電話がかかってきた。
マダムがいきなり英語で喋りだした。聞いちゃいけないと思ってキッチンに行ったが、狭いから、話しはつつぬけ。親密な感じがした。
オクラや鶏肉をカットして、料理の準備をしてから、戻ると、ちょうど電話を切ったところであった。
「元恋人なの」
笑顔で言った。聞いていいのかな、と思ったけれど、ま、笑顔なので、頷いておいた。
「生涯で最初の人よ。アメリカ人」
「へー」
「来週、パリに来るの」
「会いに?」
「いいえ、あ、もちろん、会いにも来るんだけど、娘さんらと旅行。で、私に、パリのどこへ行けばいいか、訊いてきた」
「今でも仲がいいんですね」
「ええ、ずっとよ。今では大親友。出会って45年。最後、私は、行かないで(ne me quite pas)、と生涯でただ一度だけ頼み込んだ男なの」
「わお。すごい、信じられない。マダムみたいな強い女性でも、行かないで、と言うことがあるんですね」
「失礼よ、ひとなり。でも、恋心はもうないけれど大切な人なのよ。その間に私は2度結婚をした。何度か恋をした。みんなと別れた。でも、行かないで、と思ったのは、彼だけだった」
「なるほど。で、ムッシュは知っている?」
「もちろんよ。物語の一部は知っています。隠すことじゃないわ。でも、立ち入ってこない。わかる? それは私の想い出だから」
「そうですね。アメリカ人との恋愛、小説になるな」
「ええ、若い頃の私はそりゃあ可愛かったのよ」
「マダム、今でもとってもチャーミングですよ」
ぴんぽーん!
「来た!」
この人、40年前に日本に仕事に行った時、京都で日本の旅行代理店の男性に失礼なことをされて、みんなの前でシャンパンを顔にかけたことがあるのだ。ぼくと初対面の時に、打ち明けられた。女性差別発言だったので、頭にきて、呑んでいたシャンパンをひっかけてやったのよ、と言って豪快に笑ったのだ。初めて会う日本人のぼくに向かって・・・。そういう女性なのである。
ぼくは二人のために、おくらと鶏肉の和風パスタを作った。それから、おいなりさんも出した。豚汁とか、豆腐ステーキとか、思いつく限りのものをちょっとずつ・・・。
ムッシュとマダムは楽しそうだった。
三四郎が二人の間を行き来して食べ物をせがんでいた。
とくに付け入るスキを与えるムッシュがお気に入りみたいで、なんども、ムッシュに体当たりしていた。
穏やかなムッシュ、気の強いマダム、とってもお似合いなのである。
ムッシュは焼きもちを焼いたりするのだろうか?
思わず、ぼくは笑ってしまった。
「何? どうしたの?」
とムッシュが言った。
ぼくは横に置いてあったギターを掴んで、歌いだした。
ジャック・ブレルの「行かないで(ne me quite pas)」である。お気に入りのシャンソンだ。
マダムが目を真っ赤にさせて聞いていた。何も知らないムッシュはずっと笑顔だった。
歌い終わったので、マダムに訊いてみた。
「ぼくのフランス語、大丈夫です?」
マダムは目元を手で押さえて、
「ひとなり、あなたの歌でこんなに心を揺さぶられているわ。あなたが歌う、行かないで、私は本当に大好きよ」
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
いい時間でした。もちろん、まだ、ちょっと鬱気味ですけれど、今日はぐっすりと眠れそうです。食事が終わると、マダムはさっさと自分のスズキで帰って行きました。ぼくは三四郎とムッシュを彼の車、トヨタまで送ったのです。孤独はいいと思うのですけど、孤独になれすぎるのはよくありませんね。皆さんも、お友達と幸福な時間をお過ごしください。
さて、父ちゃんの5月29日のオランピア劇場でのライブ、直接チケットを劇場で予約する場合はこちらから。FNAC(フナック)でも買えます。
☟
https://www.olympiahall.com/evenements/tsuji/
フランス以外からお越しの、ちょっとチケットとるのが不安な皆さんは、ぜひ、ジャルパック・サイトをご利用ください。こちらです、
☟
https://www.jalpak.fr/optionaltour/tsujiconcert/
そして、新作「辻仁成のパリごはん 2022年秋冬」(59分) 放送時間のお知らせです。
2023/2/17(金)後10:00~10:59【BSプレミアム・4K同時】
2023/2/21(火)後5:00~5:59【BS4K】※再放送
2023/2/21(火)後11:00~11:59【BSプレミアム】※再放送
さらに、
●「ボンジュール!辻仁成のパリごはん2022夏」の再放送が決まりました。
【NHK BSプレミアム】 2月12日(日)12:30〜13:29
(初回放送 2022年9月23日)
お知らせ多すぎますね・・・。メモしておいてねぇ。えへへ。