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退屈日記「白角を、父ちゃんのホームバーで浴びる。幻の妻を相手に」 Posted on 2022/12/26 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、一度寝たのだけれど、すぐに目が覚めた。
家の中は静まり返っている。三四郎は自分のベッドでおとなしく寝たようだ。
有馬さんと遊びつかれたのであろう、寝息さえ聞こえてこない。
何度も寝ようとしたのだけど、目が覚めてしまい、出来なかった。
仕方がないので、ベッドを抜け出し、真っ暗な夢遊病者のようにふらふらと廊下を歩いて一度仕事場へと向かった。
仕事机の電気をつけ、一人掛けソファに一度、腰を下ろした。
目の前に、バーがある。
20年間、ぼくを支え続けてくれたホームバーだ。
ちょっと一杯くらい、いいだろう。
眠れない夜、ぼくはここで好物のウイスキーをグラスに注いで飲むのである。
バーテンダーはいないが、酒なら売るほどある。
安ウイスキーもあれば、頂いた上等のウイスキー、ブランデー、コニャックなど、各種取り揃えてある。
「夜明けのバー」という名前のプライベートバーだ。
今日は「白角」をきで頂いた。
ここはスタンド・バーなので、立って飲む。
立てって飲むのがいい。

退屈日記「白角を、父ちゃんのホームバーで浴びる。幻の妻を相手に」



人生を振り返りながら、ちびちびとやる。
時間など気にしない。夜中、もしくは、夜明けだけど、関係がない。
ぼくの時間だ。
それが生きるということなのである。
「あなた」
ふふふ、来たね。
「お、待っていたよ。来るかな、と思っていた」
幻の妻はぼくの右側に立っている。
「何を飲む」
「お・な・じ・ものよ」
ふふふ。いいねー。ぼくは白角をグラスに注いでやった。
「眠れないんだよね、いつものことだけど」
「いつものことよね」
「君、何か気の利いた話はないかね」
「どんな?」
「聞いていると、楽しくなって、よく眠れるような話がいいな」
「まぁ、なかなか贅沢な悩みですね」
ぼくの妻はやや太ってる。けっして美人とは言えないけれど、優しさが滲みだした優しい顔をしている。
白魚のような手ではないが、グラスが大きく見える。
「そういえば、有馬さんも、野本ちゃんも、みんな奥さんが素敵なんだ」
「失礼ね、わたしはそうじゃないみたいで」
ぼくは苦笑した。そういう意味じゃないんだよ。
「幸せをわけてもらえる、有馬さんの奥さんも、野本の奥さんも、絵に描いたような素敵な人でね、それでいいんだ。嬉しんだよな。ほら、東京のしまちゃんの奥さんもきれいな人だし、何が言いたいのかっていうと、愛されている男は輝いているな」
「あなたにはわたしがいるでしょ?」
「ああ。そうだった。幸せだ」
ぼくの口元が緩んだ。白角はうまい。角よりちょっとスモーキーなのだ。
うちには「山崎」も「白州」も「知多」も「余市」もあるが、「角」好きなのだ。
「それはわたしがサントリーの角みたいな女だと言いたいの? たしか、千円くらいで買えるんでしょ?」
「あれ、被害妄想かい」
妻が片頬にえくぼをこしらえて笑った。目が細いがよく撓って、本当にやさしそうな顔をするのだ。この人はぼくから離れないな、と思った。
「面白い話かどうかわからないけれど」
不意に、話題を変えてきた。
「三四郎は、肋骨が出てるでしょ? 鳩の胸のように。で、足がかなり短い」
「そうだね。だから、雨の日に走ると胸が泥だらけになる」
「ええ。でも、胴長短足で胸が地面にするくらいなのに、あんなにかわいい」
幻の妻が夜明けのバーの端っこで笑っていた。

退屈日記「白角を、父ちゃんのホームバーで浴びる。幻の妻を相手に」



「なんででしょうね」
「たしかに」
「あの子の寝ている姿もちょっと変でしょ? でも、あんなにかわいいの」
「そうだね。胴長短足で不格好なのに、めっちゃかわいい」
「そこよ、大事なこと」
「何がいいたいの?」
「わたしを見てごらんなさいよ」
小太りの妻が、間接照明の光の中、ふくよかに立っていた。ああ、
ぼくはやっとわかった。
「嬉しいなぁ。ぼくには君がいるんだ」
ぼくは白角を飲み干した。くー、きは酔う。
妻が空になったグラスに、白角、を注いでくれた。なみなみと・・・。
これも幻なのであろうか。

退屈日記「白角を、父ちゃんのホームバーで浴びる。幻の妻を相手に」

※ 幻妻ではありません。有馬さんところのめいちゃんです。かわいいですね。



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
さて、夜明けのバーの音楽が最高なんです。父ちゃんのニューアルバム「ジャパニーズソウルマン」がこのバーでは静かにかかっています。このアルバム、呑みながら聞くと最高なんですよねー。いい感じで、不良中年になることが出来ますよ。
そして、探せば、無料でも聞けるみたいです。本人、びっくりしたんですけど、プラットホームの中には、まったく無料で訊けるところもありました。それでいいんです。聞いて貰えたら嬉しいです。画家が羨ましい父ちゃんですけど、なんとか、しますから、がんがん聞いてください。


https://linkco.re/2beHy0ru

それから、来年、2023年5月29日にパリのミュージックホール、オランピア劇場で単独ライブやります。
パリ・オランピア劇場公演のチケット発売中でーす。
直接チケットを劇場で予約する場合はこちらから。

https://www.olympiahall.com/evenements/tsuji/

フランス以外からお越しの、ちょっとチケットとるのが不安な皆さんは、ぜひ、ジャルパック・サイトをご利用ください。こちらです、

https://www.jalpak.fr/optionaltour/tsujiconcert/

さて、次の地球カレッジは、来年の1月29日、日曜日になりました。まだ、発表にはなっていませんが、課題を書き参加されたい皆さん、以下をご参照ください。
ちょっと、変わる可能性もありますが・・・。
「エッセイの書き方教室、第1回」
今回の地球カレッジ「文章教室」は、どうやってエッセイを構想し、実際に書き、また、推敲をしていくのか、についての講座となります。課題応募されたエッセイの中から選ばれた数本のエッセイを、辻仁成が細かく指導、推敲、研磨していきます。
「エッセイ依頼内容」
今年最初の課題は、また一から、食にまつわるエッセイとなります。
「お子さんやパートナー、家族、同居人に日々作る、作ってもらっている、頂いている、ごはん。外食も含め」について、その人生の深部、喜怒哀楽を書いてください。題して、「日々のごはん」です。字数は1000字前後、1500字以内、とします。締め切りは1月22日とさせていただきます。
詳しくは下の地球カレッジのバナーをクリックくださいませ。

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