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第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」 Posted on 2022/12/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、日中は穏やかで清らかなのだけど、夜になると、どこからともなく霧深くなり、視界が悪くなるので、三四郎を連れて散歩に出るのが怖くなる。
それでも、日課なので、三四郎を散歩に連れ出さないわけにはいかない。
誰もいない、築160年前の古い建物の、静まり返った階段を、一段一段、降りていく。そこかしこから何者かに見られているような、怪しい気配を感じる。
建物の外に出ると、もの凄い霧で、10メートル先が見えない。
不意に闇の中から車のヘッドライトがぼくらを照らした。車が近づき、遠ざかって行く。三四郎がひかれないように、リードを引っ張らないとならない。
そのまま坂道を下っていくが、霧が濃くて、手探り状態なのである。
霧には不思議な匂いがまとわりついてくる。
嗅いでみる。生き物が焼かれたような焦げた匂いがする。
それが何かぼくにはわからない。

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」



坂道を降り、小さな墓地を抜けると、港に出る。
港には数隻の船が停泊している。人は誰もいない。
その闇の間を白い、何かが、飛んでいく。最初はカモメだろうな、と思っていたが、よく見るとそうじゃない。浮遊する何か、・・・なんだ? 
ふ頭の突端まで行くのが怖くなり、踵を返した。
なんで、ぼくはこれほどまでに人のいない海沿いの村で生きなければならないのだろう、という悲しみに支配されてしまう。
「サンシ、早く、ピッピとポッポ(おしっことうんち)してくれよ」
もう一度、墓地の間を抜けないとならないのが、恐ろしい。
十字架がこんなに怖いものだと思ったことがなかった。
写真を撮ろうとしたが、携帯が作動しなくなった。
え?
パネルにタッチするが、うんともすんとも言わない。
買ったばかりのiPhoneが、動かないのである。
墓地の横にコンクリートの塀が並んでいる。そこに、不意に白いものが過って行った。
しかも、塀の向こうから、歌声が聞こえるのだが、そこは墓地なのである。

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」



もちろん、誰かがいて、歌っていても不思議ではないが、若い女の子の声である。こんな、寂しい夜に・・・。
昨夜、ぼくの前に出現した若い少女の笑顔を思い出し、身震いを覚えた。
「サンシー、帰ろう」
三四郎は、地面を必死で嗅いでいる。
ぼくはリードを引っ張った。仕方なく、三四郎も、そこを離れた。
墓地を出たところで、再び、昨日の月と再会をした。

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」

館に戻り、黴臭い階段をのぼる。
何かに監視されているような奇妙な違和感を覚える。
三四郎を抱きかかえ、息を止めて、急いで階段を駆け上がった。
自分のアパルトマンに戻り、ドアにカギをかけた。
それから、家の中の階段を上り、サロンに戻った。
ちょっと気持ち悪くなり、ソファに倒れこんだ。
三四郎がぼくの横へと飛び乗った。
何か、奇妙な、気配を感じる。
正面の柱に、ムンクの絵のような変な人型の模様を発見した。
昨日はなかった模様だ。
ううう、と三四郎がまた、敵対するなものかに、唸り声を張り上げた。
ぼくは、ええかげんにせーよ、と闇に向かって文句を言った。
三四郎を抱き寄せ、貧血がおさまるのを待つことになる。

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
昨日に引き続き、夜になると、急に怪しさの増す、この館なのでした。でも、正直言って、怖いわけではないのです。ただ、現世のぼくらが生きている世界と重なるもう一つの霊界とがこの館のどこかで交差しているみたいで・・・。だから、いつもぼくは何物かに見張られているような気持ちになるのかもしれません。南無阿弥陀仏、と唱えながら、眠ったのでした。

第六感日記「霧があまりに深く、ぼくは再び昨日の月に付きまとわれた」



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