JINSEI STORIES
滞日日記「ぼくの手術後の写真を見た母さんから電話がかかってきた。大笑いの巻」 Posted on 2022/11/16 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、母さんから電話があった。
「あんた、あんた、どがんしたと?」
あ、誰かに歯の手術のことを聞いたな、と思った。
「もう、大丈夫ですよ」
「あー、そうね、いいの?」
「よかですよ」
「あら、そんならよかったったい。写真見たら、あんまりに顔が酷かことになっとったけんね、驚いて悲しくなっとったとよ」
「もう、大丈夫」
「食べられると?」
「今日の夜から、なんとなく。母さんは? ちゃんと食べてるの?」
「うん、恒ちゃん(弟)がね、毎日、昼と夜とご飯ば作ってくれよっと。美味しいとよ」
「へー、どんなの作ってるの?」
「昼はお好み焼きとかうどんとかやけど、夜はちゃんとしたもんば作りなさる。手の込んだ料理をしなさる。さすが、わたしが生んだ子たちったい。あんたが料理が上手かとはテレビでみんな知っとろうが、でも、恒久も上手かとよ。お嫁さんを探さないけん」
あはは。そこか・・・。
「お嫁さん、毎日、美味しいもの食べられますね」
「そうったい」
母さんと話すとなぜか昔から敬語半分になるのだった。
※ この写真はぼくの行きつけのお好み焼き屋さんのお好み焼きなので、本日記には関係ありません。イメージです。笑。お好み焼きも好きだけど、ネギ焼き!
ぼくの話はせんでいいよ、と後ろで恒久が怒っている。あはは。
「この間もね、お弟子さんが長崎から来てね、刺繍を教えていたら、あんたの料理の話しになったとよ。あんたが料理が上手かとはみんな知っとる。でん、恒ちゃんがあんたに負けんくらい料理が上手かとはわたしが知っとる」
「はい」
「あの子にお嫁さんがいたら、きっと毎日、美味しいものば食べられる。誰かおりませんか?」
「あ、いや、それはあんまり言うと、恒ちゃん怒るからそっとしておいたら」
あはは、と笑う母さん。
「母さん、長崎から生徒さんが来てるの?」
「生徒さんじゃなか、先生ったいね。あのね、刺繍協会の本部の先生がね、わたしが生きているうちに、技術を学びに行きんしゃいと、二人の先生が長崎からわざわざ、月に二回も「辻の薔薇」を習いに来よらす」
母さんの薔薇は戸塚刺繍協会では有名なのだ。小さい頃、母さんがスタンドの下で、背中を丸めて細かい刺繍をやっていたのを覚えている。あの光景は忘れられない。
「へー、すごいね。長崎のお弟子さんによろしく」
「ひとなり、お前も、パリでお弟子さん出来たとやろ。大事にせんといかん。ちゃんと一人前の作家になるように導かないといけんよ」
「はい」
なんとなく、おかしくなって、笑ってしまった。
母さん、元気でよかった。87歳か、これは90代の新記録、確実やね。
※ 母さん作の薔薇の刺繍が入ったチェスト。
「そういえば、ひとなり。お前、団十郎さんと料理会やるとやろ? うちの生徒さんが言いよった」
「団十郎?」
「ほら、団十郎でござるっていう漫才コンビやっとっとやろ。タイタンで」
「やってないわ!」
どうも、料理雑誌だんちゅうの料理会のことのようだ。団十郎で、ワロた。
あはは、と後ろから恒ちゃんの声が聞こえてきた。
「団十郎でござるやないとか。そりゃあ、すまんやったね」
だんちゅう、と恒久が教えている。
「ああ、殿中でござる、のあの殿中かいな。浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が江戸城の松の廊下で暴れよったろうが、それで誰やったか、言ったったい、殿中でござるぞ。それがなんで料理と繋がるとか」
ぼくはとりあえず、dancyuという料理雑誌のことを説明し、恒久がどこからか雑誌を持ってきて、それを母さんに見せた、のである。
「ああ、これか。はよ言わんか。恥かくとこやった」
「あはは、すいません」
ということで、電話がかかって来る度、ひと騒動な恭子母さんなのである。
「でん、手術したばかりで料理とかやれるとか?」
あ、19日だった。4日後か、「でも、もう試作も終わってるから、大丈夫」と伝えた。
「あんたは忙しかけど、いっつもそうやって動き回ってないと気が済まん子やった。小さか頃からかわらん。のめりこむタイプやからね。気を付けなさい。思わぬところで今回のような伏兵がまちぶせしておる。そういうもんたい。人生っちゅうものは」
「はい」
「その伏兵がつねに道ん先に潜んでいると思って身構えて前進することを、用心、と呼ぶ。わかったとか」
「はい」
出た、恭子節である。
あはは、とぼくらは笑いあった。
「映画はどうなったとか、博多の人たちがみんなわたしに聞きに来よる。みんな映画を待っとるとよ」
「とりあえず、今月中にはひとまず出来上がります」
「ほんなこつか?」
「ぼくはパリに帰らないとなりません。映画が本当の完成を迎えるのは配給が決まって、来年の公開直前でしょうね。ただ、映画監督としてのぼくの仕事はここまで」
「そうか、責任は果たしたとやね」
「はい。果たしました」
「じゃあ、よか。投げ出さんかったんやったら、それでよか。あとは、博多ん人たちが力を合わせてきちんとこの作品を多くの人に届けたらよか。その時、また福岡に来んね」
「はい」
おしゃべりな父ちゃんだが、母さんの前では、だいたい「はい」しか言えない。親子とはそういうものである。
「身体を大事にせないけん。がんがん炒めてじゃんじゃん食べんしゃい」
でも、この母だからこその「熱血」なのであった。
さて、皆さん、ご一緒に!
「合言葉は熱血~」
※ 山笠の台上がりをさせていただいた時の父ちゃんの写真が後ろに。いさましか~。
つづく。
今日も読んでくれてありがとうございます。
久々、母さんと電話で話が出来てよかったです。電話を切った後、恒ちゃんから母さんの写真が届きました。元気そうな87歳の恭子さんですね。安心しました。「年末、忘年会に呼ばれとるとやけど、恒ちゃんがコロナが危ないから出ちゃいけんとうるさかとよ」と訴えておりました。電話を切る直前に・・・。あはは。