JINSEI STORIES

滞日日記「映画の危機。息子がぼくに、お疲れ様、自分を大事に、と労わってくれた」 Posted on 2022/11/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、連絡がちょっとつきにくかった息子とやっと電話がつながった。
咽喉炎になったので、学校にもバイトにも行けないでいる、という連絡があったのが一週間とちょっと前だ。
彼が担当する映画「中洲のこども」のエンディングテーマ曲は先週データだけ届いていたけれど、忙しくて、今までのようなSMSやワッツアップ(WhatsApp)でのやり取りが出来ずにいた。
「咳が止まらない」と言っていたので、咽喉炎じゃなく、もしかしたらコロナかもしれないなぁ、と思って、心配だった。気になったので思い切って電話をしてみることに・・・。呼び出し音のあと、お、通じた・・・。
「あれ、学校じゃないんだ? 家?」
「ううん、今、アレクサンドルの家にいる。昨日、泊ったの。今、バカンス中だよ」
普通の声になっている。咳をしている感じではない。
「咽喉炎、治ったの?」
「治った。なんかね、ウイルス性の咽喉炎でアレクサンドルにうつされたんだ。コロナ検査は陰性だった。先生にお薬を処方してもらったら、すぐに治ったよ」
久しぶりに訊く息子の元気な声にちょっとほっとした父ちゃんであった。
「学校は出てるの?」
「3日だけ休んだ。で、バカンスにはいったから」
「そうか。じゃあ、バイトは?」
「昨日と今日はバイト。これから行くんだ」
「これから?」
「夜のバイト」

滞日日記「映画の危機。息子がぼくに、お疲れ様、自分を大事に、と労わってくれた」



「アルバイトがきつくて、学校の勉強が手につかないのでやめてもいいかな」と打ち明けられたのが先月のことであった。
バイト先の先輩に「次の人が見つかるまで週一やってほしい」と言われていたはずだった。やっぱり、急にはやめられないのかな、と思った。
「急にはやめられないんだね?」
「あのね、お店の人たちすごく理解してくれて、11月は週一になる。そして、12月で完全に終わることになった」
「え? あ、そうなんだ」
「うん、だから、11月は毎週、火曜日の夜だけやって、あとは勉強に集中できる」
お、よかった。そっか。
息子とのやりとりは日本のLineのようなWhatsAppでやっている。メッセージ送っても、これまでは、うん、とか、喉痛い、とか短いメッセージしか届かないから、状況が分からず心配だった。
しかも、ぼくはずっと映画の仕事に追い回されてきたから、息子のことはほったらかしなのだ。
いろいろ仕事に振り回されて、息子のことまで気が回らなかった。すまないとは思うが、忙しくて、心を失くしている感じ・・・。彼は自力でやるしかない。
その上、映画音楽をやらせているので、彼は大学、バイト、映画音楽を抱えている。うかつに、元気か、と聞けない感じなのだ。
音楽のデータはWeTransferという大容量ファイル転送サービスを使ってやりとりしている。映画もこれから仕上げ作業に入るのだけど、まだまだ本当に完成するのか、不透明な要素が多く、正直、いつ中断してもおかしくはない。
ちょっと、続けられるかわからないギリギリのところにいる。
そんな中での息子の元気な声が救いであった。家族はいいね・・・。
「パパ?」
「ん?」
「大丈夫?」
「ああ」
「データ、送ったけど、訊いてくれた? 他にやることある?」
「届いている。これは映画のチームに転送しておく」
「お疲れ様。少し休んでよ」
ぼくは、ドキッとした。



映画撮影が終わって、ピクチャーロック(絵が全シーン全カット繋がること)までもくもくと作業を続けてきたが、誰からも「お疲れ様」と言われなかったので、ちょっとがっかりしていたのだ。
泣き言をいうわけじゃないけれど、編集作業は本当に孤独で大変だったが、絵が繋がっても、一言も「お疲れ様」とか「感想」もなし、笑。ま、いいんだけど、と不貞腐れていたところであった。
早くこの作品を終わらせてパリに戻りたい、と思う毎日だ。そこへきての、「お疲れ様」は染みた。実に染みた。どんな誉め言葉より、この一言に勝るものはない。
「テーマ曲、お世辞じゃなくいい曲だよ。なんか、今のパパの心には染みる。涙が出た」
「・・・」
「いいメロディだと思った」
「気管支炎長かったし、あんまり、自分を追い込んだらダメだよ。ぼくはもう元気だし、パパ、何か手伝えることがあればやるけど」
「(´;ω;`)ウゥゥ」
ぐっと堪えた父ちゃんであった。
お疲れ様って、いい言葉だな、と思った。
昨日はあまりに誰からもお疲れ様がないので、なんか映画の、いつまでもまとまらない大人の事情問題ばかりに振り回されて、・・・。映画の作業が正直、続けられる精神状態にはないけれど、プロデューサー諸氏はきっとわからないのだろうなぁ。こんな日記も読んじゃいないだろうし・・・。
息子に労わってもらって、ちょっと涙が出た。
63歳にもなって、こんなに一人で頑張っていたら、身体を壊すな、と思っていたところだった。
本来は咽喉炎の息子を慰めないとならないのに、立場が逆だった。家族はありがたい。
「いい音楽をありがとう」
「うん。じゃあ、バイトに行ってくるよ。パパの声聞けて、安心した」
「(´;ω;`)ウゥゥ」

滞日日記「映画の危機。息子がぼくに、お疲れ様、自分を大事に、と労わってくれた」



電話を切ったあと、目元をぬぐった。
こんなことで泣いてるわけにはいかないのである。
とりあえず、今日は眠ることにしよう。
明日のために・・・。

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
明後日、NHKの「ボンジュール!辻仁成のパリごはん〜 2022 夏〜」の再放送がありますね。見ようかな、東京にいるし、オンタイムで。ま、もう見られた方ばかりだとは思いますが、まだ観てないみなさん、一緒に観ましょう。オンタイムで・・・。
11月3日、文化の日の夕方の放送です。
●再放送「ボンジュール!辻仁成のパリごはん〜 2022 夏〜」
【BSP】 11月3日(木) 午後4時35分~〜5時34分



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