PANORAMA STORIES
パリの石畳はこうして始まった。二千年の時を超えて Posted on 2022/10/21 ルイヤール 聖子 ライター パリ
フランスをはじめ、ヨーロッパの旧市街に今も残る石畳。
石造りの建物が多いせいか、天然石を用いた道路は街によく溶け込んでいます。
ここパリにおける石畳の歴史も非常に古く、始まりは紀元前・ローマ街道の舗装で使われた石であったそうです。
そこから派生した道が今でもヨーロッパ各地に残っているわけですが、「すべての道はローマに通ず」という有名な言葉の裏には、この石畳の存在がありました。
※パリの石畳。今の季節、赤い落ち葉が似合います
フランス、特に首都パリでは、石畳は数奇な運命を辿りました。
中でも逸話となっているのは、12世紀のフランス国王フィリップ2世による初のパリ全面舗装命令です。
このフィリップ2世は嗅覚が大変鋭かったらしく、悪臭に満ちた泥土の街パリに耐えられなかったそうです。(12世紀には、ローマ街道は姿を消してしまっていました)
そのため1185年、フィリップ2世はパリの道の全面舗装を指示します。
しかしほとんどが砂岩による薄い敷石だったために壊れやすく、またパリ市民を動員した巨大過ぎるプロジェクトであったことから、この計画は進展しなかったと言われています。
※セーヌ川を渡る道も一部が石畳です
数世紀後にはアンリ4世が自費で作業を再開するも、大通りのみと限られた範囲に留まりました。
こうしてゆっくりと進んだ石畳の歴史ですが、転機を迎えたのは19世紀です。
19世紀に馬車が台頭すると、石が車輪に引っかかったり、大きな騒音が発生し住民から石畳が非難されるようになってしまいました。
そこで石畳はなんと木製に切り替わります。
木製の道はシャンゼリゼ通りからパリ左岸のあたりまで整えられました。
当初は静かで通りもスムーズになったと評判だったものの、雨の日には吐き気をもよおすほど臭く、木はすぐに腐りバイ菌の巣窟になってしまいました。
そして1910年のパリ大洪水ではついに耐えきれず、1930年には完全に放棄されてしまいます。
ちなみにその木製の道は今でもパリ11区・サンモール通りにわずかに残されています。
※サンモール通りには畳2畳分ほどの木製の道が残っています(こちらは屋根付き)
変わって登場したのが、現在の主流であるアスファルトです。
第一次大戦後からはパリの多くの道がアスファルトとなり、石畳は取り壊されることなくアスファルトの下に眠ることになりました。
※ところどころ剥げてむき出しになる石畳
とはいえ、石畳は今でもパリのいたる所で目にすることができます。
石畳らしい、いわゆるモコモコっとした道がいちばん残されているのはモンマルトル地区でしょうか。
こちらでは車が通るたびにガタガタ‥といった音が発生し、視覚的にも聴覚的にも強めの印象が残ります。
※モンマルトルの頂上付近
ただ残念ながら、ハイヒールや、スーツケースのコロコロ部分はすぐに駄目になってしまいます。(パリの女性がピンヒールを履かないのは石畳が原因でもあります)
見た目の良さと機能性の両立は難しいな、と道路でも思っているのですが、それでも雨に濡れた石畳の美しさにはハッとすることがあります。
特に夜、街灯に照らされた時などは大変な風情があり、アスファルトにはない独特な情緒を感じたりします。
パリの石畳をじっくり観察したところ、一部の道路以外では大型のアパルトマンや美術館のアプローチ部分、そして中庭部分によく使用されていました。
またフランスには石畳職人が今も存在しており、サボワール・フェール(匠)の確かな技術で新規舗装・修復されたりするそうです。
それも専門的な学校に通うわけではなく、師匠の背中を見ながら現場で習得するとのことでした。
形も模様もさまざまで、並列配置から扇状、あるいは全くの不規則だったりと、石畳ひとつとっても魅力がいっぱいであることが分かりました。
春には花びらで埋まり、夏は通り雨で濡れ、秋は落ち葉と共に、冬は雪の隙間から石畳がその姿を覗かせます。
石畳そのものは変わりませんが、石畳をまとった季節の風景は本当に美しいものがあります。
Posted by ルイヤール 聖子
ルイヤール 聖子
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猫と香りとアルザスの白ワインが好き。