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退屈日記「息子を地下鉄の駅まで、三四郎と見送った。ふり返らない息子だった」 Posted on 2022/08/31 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子はご飯を食べたら、自分のアパルトマンに戻ると言い出した。
もちろん、こちらにはもうベッドがないので、帰るのが当たり前なのだけど・・・、そうか、とぼくは言った。
「あの、冷蔵庫に食材あまっているなら、頂戴」
「え? あ、でも、自炊できるの?」
「あ、フライパン、とか、鍋とか、使ってないのあるなら、頂戴」
「あるよ。持ってく? いつものレミパン、持ってけ、あれ、便利だから」
二人で食後、キッチンに行き、鍋とかフライパンを探した。
ちょうどいいのが二個あったので、洗った。
「今日のセップ飯、美味しかった。炊飯器で炊き込みご飯とかやってみようかな」
「いいね。でも、日本で買ってきた炊飯器、電圧、ダメやろ? フランスの電圧でやったら一瞬でぶっ壊れちゃうよ」
「マジ? じゃあ、どうすればいいの?」
「変圧器のでかいのが必要」
「でかいの? ある?」
「あるけど、めっちゃ、重いよ」
「大丈夫。それ、頂戴」
ということで、変圧器を探したが、持ち上げられないくらい重かった。
「持てる?」
「たぶん、なんとかなる」

退屈日記「息子を地下鉄の駅まで、三四郎と見送った。ふり返らない息子だった」



息子は貴重品(ぬいぐるみのちゃちゃなど)の入った小さなトランクをひっぱり、変圧器の入った頑丈なバッグを持ち、そして、フライパンはリュックの中にいれて、背負った。行商の人?
「そんな恰好で、メトロにのるの?」
「大丈夫だよ、恥は一時」
「まあね・・・」
三四郎と駅まで息子を送ることになった。
ここから彼の住む学園都市までメトロで40分ほどかかる。結構、遠いのだ。
三四郎は、珍しくスタスタと歩いて、十斗の横に張り付いた。
何か、心配なのかもしれない。
ぼくは、大きくなった息子の後姿を見ていた。重たい荷物とか、ずっとぼくが今まで持ってやっていた。
それを全部自分で抱えている。・・・それが大人になるということであった。
メトロの駅についた。
「じゃあね」
「うん」
十斗が階段を下りて行った。ぼくは見送った。
あれ、なんか、めっちゃ、寂しい・・・。
慌てて、携帯を取り出し、撮ろうと思ったが、すでに階段を下りきり、角を曲がっていた。三四郎を抱えて、急いで階段を駆け下りたが、ずっと先を曲がるところだった。
慌てて、シャッターを押した。
次の瞬間、消えた。
携帯の写真を開いてみた。遠くに、遠くに、足の先が映っていた。(よく見ると、頭も見えた・・・。奥の奥)
なんか、もっと寂しくなった・・・。
ま、しょうがない。それが巣立つということだ。
でも、この写真、大事に持って生きようと思った。それが、人生、だ。
街のみんなに、何で引っ越すの、寂しいじゃん、と言われる。
息子も本当は家を出ていきたくなかったのかもしれない。
三四郎が残った。
「なあ、おい。明日、地球カレッジが終わったら、海に行くか?」
三四郎がぼくをじっと見上げている。
「お前はずっと子供のままなんだろうな」
三四郎は返事をしない。
「海、好きだろ。海だよ」
それから、三四郎は、ぼくにぴたりと寄り添った。

退屈日記「息子を地下鉄の駅まで、三四郎と見送った。ふり返らない息子だった」



つづく。

ということで、今日も読んでくれてありがとうございます。
なんだか、じわっと、いつも後から切なくなるものですね。それが人生なんだろうな、と思うのです。ぼくもいつか、この世を去らないとならないでしょう。それまで、どうやって生きていくのか、ちょっと真剣に考えないと・・・。音楽は楽しいけれど、ライブが終わるといつもロスになっちゃって、ずっと歌い続けられたらいいのにね・・・。元気にならなきゃ。

退屈日記「息子を地下鉄の駅まで、三四郎と見送った。ふり返らない息子だった」



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