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パリ最新情報「フランスの文豪、バルザックの命日に邸宅を訪れる。パリ16区」 Posted on 2022/08/20 Design Stories
8月18日は、フランスの文豪、オノレ・ド・バルザックの命日であった。
バルザックはプルースト、ヴィクトル・ユーゴーと並び、フランス人なら誰もが知る偉大な作家の一人である。
パリ16区には彼が晩年に暮らした邸宅がそのまま残されており、博物館として入場することができる。
エッフェル塔を目の前にし、庭園カフェも併設されているこの邸宅は、パリでも屈指の穴場スポットだ。
命日の18日に訪れても特別なイベントは開催されておらず、ゆっくりとした時間が流れるのみだった。
パッと見では一軒家のようだが、実は三階建てのアパルトマン仕様になっていて、バルザックはこの最上階に住んでいたのだとか。
彼が住んでいたのは晩年の7年間。16区は今でこそ高級住宅街となっているものの、当時は片田舎のイメージで、質素に暮らしたいバルザックにはうってつけの場所だった。
著書『人間喜劇』をこの書斎で執筆していた…ということで、静かな環境を求める人だったと想像していた。
しかし実のところは借金取りからいつでも逃げられるよう、このような裏口付きの目立たない家に住んでいたという。
バルザックは素晴らしい作品を残した一方、贅沢のしすぎで借金まみれだったことでも知られている。
借金取りから逃れるために彼は毎年アパルトマンを変え、この家も「ブル二ョル」という偽名で借りていた。
バルザックの家は、そんな文豪の生活ぶりまで知ることができる、貴重な博物館だ。
入ってすぐにバルザックの肖像画や彫刻が置かれているのだが、少しふっくらした面持ちからはやはりグルメな人物だったというのがうかがえる(実際には糖尿病を患っていた)。
驚くのはバルザックの執筆リズムだ。
就寝時間は夕方6時。
深夜0時に起床し、すぐに書き始めて、昼の12時頃までを執筆時間とした。
そして休憩せずに社交界で豪遊した後は、疲れて帰って夕方6時にまた寝る。
バルザックはこのように奇妙なルーティンを実行していたわけだが、その執筆量は超人的でもあった。
余白が空いているのは、編集者が作家に書き込みできるよう配慮したもの。
いったん手書きで原稿を送った後、編集者がそれを印刷してバルザックに送り直す。
多い時ではそれを20回も繰り返したそうで、バルザックの飽くなき仕事ぶりがひしひしと伝わってきた。
彼の奇妙なルーティンはほかにもあった。
禁欲を表す「修道士のローブ」を仕事着として着ていたり、執筆を長時間続けるため、起きている間はコーヒーを絶えず飲んでいたことなどetc。
ただいずれも当時は高級品であったため、「禁欲」とは矛盾している…となるのがバルザックの人間らしいところかもしれない。
※著書『人間喜劇』に使用された挿絵の版画スタンプ
バルザックの邸宅では、学生たちによる朗読会や演奏会も定期的に行われている。
パリではこうしたライブが書店でも行われていて、電子書籍では味わえない、紙の本の魅力を再発見することができる。
なお庭園には無料で入ることができるので、気分を変えたいときの読書場所としても良い。
バルザックの偉大さを感じたほか、人間らしい一面が見えた邸宅であった。(る)