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パリ最新情報「三宅一生さん死去、『20世紀後半のファッション史にその足跡を残した』と仏メディア」 Posted on 2022/08/12   

 
8月5日、世界的ファッションデザイナーの三宅一生氏が癌のために亡くなった。
その訃報はフランスにも届き、9日には仏紙ル・モンドをはじめ電子版仏ヴォーグ、エル、マダム・フィガロといったメディアが一斉に報じた。

フランスでよく知られる日本のファッションデザイナーと言えば、三宅氏の他に故高田賢三氏、ヨウジ・ヤマモトの山本耀司氏、コム・デ・ギャルソンの川久保玲氏である。
中でも三宅氏は故高田賢三氏と並び、早期にパリコレで活躍した日本人デザイナーとして大変に有名であった。
 



 
三宅氏の訃報を受け、仏紙ル・モンドは「20世紀後半のファッション史にその足跡を残した」と報道。
代表作プリーツプリーズの功績を称えるほか、「Isssey Miyakeの人生は、ファッション史の中で最も特異な運命の一つとして残るだろう」とし、同氏が故郷広島で被爆したことなどを詳しく報じた。
 

パリ最新情報「三宅一生さん死去、『20世紀後半のファッション史にその足跡を残した』と仏メディア」

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三宅氏が初めてパリコレに参加したのは、1973年の秋冬コレクションだった。
当時のフランスにはアニメや漫画がまだ浸透しておらず、フランス人にとっての日本は今よりずっと遠かった。
しかし、日本の伝統的な和服から発展した「一枚の布」というIsssey Miyakeのコンセプトは、当時フランスのファッション界に大きな衝撃を与えることになる。

とりわけ代表作のプリーツプリーズはフランスでも評判であった。
シワになりにくい、遊び心がある、一目でIsssey Miyakeだと分かる、といった意見が寄せられ、ファンの中には親子2世代で愛用しているという人もいる。
ファッションの他には、フレグランス「ロー・ド・イッセイ(L’EAU D’ISSEY)」がフランス国内でベストセラーにもなっていた。
こうした功績から、三宅氏は1993年に仏レジオン・ドヌール勲章シュバリエを、2016年には仏レジオン・ドヌール勲章コマンドール位を受章している。
 



 
また仏紙Slateは、三宅氏の活躍について最も詳しく述べたメディアでもある。
「Isssey Miyakeは、東洋と西洋を意図的に融合させた20世紀最大のデザイナーの一人であることに間違いない。彼によって日本は間違いなく世界のファッションシーンの主役になった」とし、「我々は彼が日仏の架け橋となったことを決して忘れない」と三宅氏に追悼の意を表した。
パリでファッションを学び、その後世界で活躍した三宅氏。
生前に縁の深かったフランスでも悲しみの声が広がっている。(セ)
 

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