PANORAMA STORIES

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・思い込み一番編」 Posted on 2022/07/22 辻 仁成 作家 パリ

確かに僕は思い込みが激しかった。思い込んだら最後、誰がなんと言おうと、そうならないと我慢ならなかった。

大体、僕はずっと橋の下で拾われたと思い込んでいた。どこかの王国の王子なのだが、何かの事情で日本に捨てられたのだ、と。だからいつかカボチャの馬車に乗った侍従さんたちが僕を探しにやってくる、と思い込んでいたのである。母さんにそのことをよく話した。母さんは、やれやれ、という顔をして、確かにお前は橋の下で拾った記憶がある、と付き合ってくれたものであった。付き合わないと、大変なことになるのだった。

「嘘だあ、僕が父さんと母さんの子だなんて信じられない。本当のことを言うまではご飯は食べない」

大馬鹿野郎というのか、始末に終えないというのか、想像力が薄っぺらいというのか。しかしその薄っぺらさのお蔭で僕は作家になることができたのかもしれない。

最近でも僕は、月族の第一王子と自任している。なぜ、いつから、そう思い込んだのかは分からない。いつの頃からか、僕は月を見上げては、もうじき帰ります、と手を合わせるようになった。ところが本気だから時々自分が怖くなる。回りの仲間にも話すことがある。賢明な友人は、

「辻君、あまりそういうことを外で言いふらさない方が身のためだよ」

と忠告してくれる。あ、こいつ、信じてないな、と思ったりしているからかなりの重症であることには間違いない。



しかし、月族の第一王子なんて、四十歳を過ぎて思い込めるのは幸せかもしれない。いつか月に帰るのだから、あまりこの世界に固執してもしょうがない、とも思えるようになった。あっちの世界ではこっちのお金は通じないのだから、財産なんか作るのはよそう、と本気で思っている。だから稼いだお金は稼いだ時に使い切っている。

中学生の時、僕は自分がサイボーグだと信じて疑わない時があった。それを裏付ける一つの事実として僕はそれまで手術というものをしたことがなかった。だから骨は超合金で作られていると信じていた。

「俺は、本当はサイボーグなんだよね」

そのころとても仲良しだった小沢君に言った。

「辻がサイボーグだとは知らなかったな」

と優等生の小沢君は笑った。

「でも、どうして辻がサイボーグなんだろう。サイボーグなら走るのとか早くないとな。お前はいつもビリじゃん。ってことは失敗作か?」

頭のいい奴にはロマンティストは少ない。別に夢を壊すなとは言わないが、はっきりと言い捨てられると辛い。

地球カレッジ

「それにさ、辻はさ、計算遅いじゃん。サイボーグならばさ、テストで百点なんか当たり前だろ。なんでお前みたいな不完全なサイボーグを作る必要があったのかな?」
そこまで徹底的に打ちのめして何が楽しいのか分からない。でも優等生という奴は徹底的が好きな動物なのである。

「顔だってさ、折角作るなら、ハンサムにすべきじゃん。どうしてそんな辻みたいな顔にしたのかな」

グーの音も出ない、とはこの事であった。

「ということは俺、サイボーグじゃないのかな」

「きっと違うと思うぜ」

小沢君は小学校も中学校も生徒会長をやっていた。一度帯広の児童公園で不良たちに絡まれたことがあった。俺は正義感が強かったので、そいつらの横暴が許せず、喧嘩になった。相手は喧嘩が弱かったが、一人背の高い年長者が混じっていた。その男が俺を捕まえてビルの屋上から逆さ吊りにしたのだった。誰も助けに来てはくれなかった。そこに小沢君が登場した。

「すいません。子供を大人が苛めるのはどうかと思うのです。辻をこちらへ戻してもらえませんか。さもなければ、警察を呼びます」

男は俺を床に下ろして、そこを去っていった。俺は泣いていた。すると小沢君が俺の前にやってきて、泣くなよ、こんなことくらいで、と言ったのだ。足首を摑まれてビルの屋上から逆さ吊りにされていたのに、そんなことくらいで泣いてはいけない、ときっぱりと言った小沢君は、僕にはあまりにかっこよくて、サイボーグのように思えた。

「俺さ、小沢の方がよっぽどサイボーグっぽいと思うんだよね」

と小沢君に向かってそう言った。小沢君は眼鏡をちょっと動かして、

「実は俺、内緒にしていたけれど、サイボーグ0013なんだ」

と言ったのである。あの時、俺はそれを信じてしまった。

「ごめんなさい。そうとは知らずに、偉そうなことを言ってしまって」
小沢君は、許してあげるから、これからは人間としてちゃんと生きなさいよ、と言ってくれた。本当のサイボーグとはひけらかさない人間のことを言うのだ、とその時ぼくは賢明にもそう確信したのであった。



高校生になるとますます思い込みが激しくなっていった。
理由は定かではないが自分は超能力者だと思い込んだ。思い込んだらいいふらす。すると誰かが、いったいどういう超能力が使えるのか、と聞いてくる。困った。どういう超能力が使えるのか、考えたことはなかった。

「壁抜けができる」

思わず言ってしまった。じゃあ、やってみせろということになり、僕は何度も壁に頭をぶつけてみんなに笑われることとなった。

「下手に抜けてしまって、途中で体が壁に挟まるということになると、えらいことになるからね。今日はやめておくね」

みんな笑っていた。嘘つき、と誰かが言った。悔しかったが、壁を抜けられない以上、僕は嘘つきということになった。
学級委員の佐々木君がやってきて、
「辻君、嘘はいけないよ」
 と言った。でも、僕は壁が抜けられるような気がしたんだよ、と言いかえした。佐々木君の前で僕は何度も壁に体当たりをしてみせた。けれども体は向こう側へは抜け出せなかった。額が真っ赤になったので、佐々木君に、もういい、分かったよ、と止められた。でもあの時、もう少しで壁を抜けられそうな気がしていたのは事実なのだった。結局、僕は佐々木君に、君は超能力者ではない、と烙印を押されてしまうのだった。
 サイボーグでも超能力者でも、王子でもない僕はいったい誰だ。僕は僕を捜し求めて歌を歌いだした。詩を書きはじめ、小説を書き出した。
「ロック歌手になる」
 僕は思い込んで言った。誰ももう信じてはくれなかった。
「僕は作家になる」
 もはや僕はただの嘘吐きでしかなかった。
「僕は映画監督になってみせる」
 みんなただ笑っているだけであった。僕もつられて笑ったが、心の中では、見ていろよ、と叫んでいた。壁だって、佐々木君に止められなければ抜けられたはずなのだ。問題は途中で諦めてしまうかどうか、に過ぎない。
 だから僕はこつこつと創作活動をはじめた。もう誰にも何も言わなかった。そのうち、誰かにみとめられることなんかどうでもよくなっていく。問題は自分自身に納得できるかどうかなのである。
 小説も音楽も映画も仕事としてやってきた。けれど、まだどれも自分の中で満足をしていない。きっと死ぬまで満足しないのだろう。でもそういう仕事に出会えて僕は幸せなのかもしれない。いつまでも志を高く、上を見上げて歩いていける自分の思い込みの激しさに、僕は結局助けられて生きてきたのである。

夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・思い込み一番編」

第6回 新世代賞作品募集
自分流×帝京大学



Posted by 辻 仁成

辻 仁成

▷記事一覧

Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。