PANORAMA STORIES
夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・負けず嫌い編」 Posted on 2022/07/20 辻 仁成 作家 パリ
子供の頃、僕はとにかく負けず嫌いであった。ジャンケンポン。僕が出しだのはグーでもチョキでもパーでもない、そのどれともとれるようなもので、相手が出したのがチョキならば、微妙なタイミングで指を動かし、グーにしてしまうのだった。
小学校の高学年の頃に、僕よりも負けず嫌いな男の子がいた。小田原一馬は父親の仕事の関係で東京から転校してきた。転校初日の挨拶の時から、負けず嫌いが全身から迸っていた。
「小田原一馬です。一馬とは一番早い馬という意味です。かけっこでは誰にもまけたことがありません」
勝ち誇ったような顔つきが男子から疎まれて、いつまでたってもクラスに馴染めず、なかなか友達ができなかった。可哀相だな、と思い、僕は一馬に声をかけた。
「同じ方向やけん。一緒に帰ろ」
一馬はうれしかったのだろう、僕んちで遊ぼう、と言った。一馬の家は立派な一戸建ての家だった。一馬の部屋には沢山の玩具があった。戦車や戦闘機のプラモデルが部屋中ところせましと並べられていた。
「すごかね。全部おまえのや?」
一馬は、うん、と微笑み、戦争ごっこをしよう、と言ってきた。ところがかれが僕に貸してくれたのは古ぼけた戦車と弱そうな戦闘機だけであった。これじゃあ勝負にならない、と抗議をすると、ダメだもんね、と言って喜んでいる。仕方がないので、両手に沢山のプラモデルを抱えているところを素早く攻撃していった。
「ああ、ずるい。卑怯だぞ」
「なんが卑怯ね。そっちの方が卑怯やなかか。そんなに沢山抱えとっても使えんとやったらどげんしようもなかったい」
結局その日僕たちは喧嘩をしてしまい、僕は一馬君を泣かしてしまった。自慢じゃないが、僕は今も昔も言葉では誰にも負けたことがない。子供の頃から、口げんか道十段なのであった。とにかく、囗げんかの場合、相手に考える隙を与えてはいけない。相手の弱点を見つけ出してそれを次から次に攻撃していくのである。
「卑怯もん、男の風上にもおけん奴ったいね。おちんちんついとうとや? いまだにおねしょばしとるとやなかと。おねしょばして押し入れに布団ば隠しとっちやろ。そっちが遊びに来てよって言ったけん来たっちゃろうが。遊びに来てやったとに玩具も貸してくれんちゃけん、だけん、いつまでも学校になじめんとよ。友達ができんでもよかとね? みんながおまえんこつばなんといいよるかしっとうと。あんまり東京東京って言わんほうがよかったい。心ば入れ替えんと、これから大人になってからますます困るったいね。ついでに、お前のかあちゃんでべそー」
一言一言を投げかけるとき、ラッパーがそうするように身振り手振りをまじえるのだ。宙を舞う華麗な掌の動きに相手の目線が止まってしまえば、もうこちらのもの。
まもなく敵は圧倒的な言葉に打ちのめされ怯むことになる。怯んだらさらに次の言葉をぶつけるのである。容赦をしてはいけない。腕力に自信のある奴でも、言葉に圧倒された時には思考が停止してしまい、暴力が振るえなくなるものなのだ。
しかしここで一つだけ上手な口げんかの仕方をお教えしよう。最初は相手の弱点を攻めて、怯ませ、動けなくさせて、言葉の力で押さえ込むのがベストな戦略だが、最後までそれではいけない。相手を追い込むのは得策ではない。攻撃だけしていると、後味が悪いというのもあるが、恨みを持ち越すことになる。だから後半は、お前は決して悪い人間じゃない。ただ考えが甘いだけだ、と遠回しに味方になってやるのである。
お前は可哀相な奴なんだ、だから俺はお前の味方、世界でただ一人の理解者なんだ、と駒を進めるのである。すると恨みを翌日まで持ち越すことは少ないし、口げんかに勝ったという後味の悪さからこちらも抜け出ることができる。
それから口げんかの一番最後には必ず、お前のかあちゃんでべそ、と付けるのがもっともポピュラーな戦略である。何故、母ちゃんのでべそがいけないのかはいまだにわからないが、昔から囗げんかの締めは、お前のかあちゃんでべそ、と相場は決まっているのである。決まっているものには逆らわない方がよい。
ちなみに、おねしょをして布団を押し入れに隠していたのは何を隠そうこの自分であった。僕は小学校の高学年までおねしょったれだったのだ。つまり口げんかにおいては、相手の弱点が見つからない場合、自分の弱点をさも相手の弱点のように投げつけてみるのも手だったりするのである。
「よか。泣けばよかったい。うんと泣いてすっきりすればよかと。人生なんてそげんもんたい。これで二人の友情は本物になるとよ」
その時、一馬のお母さんがお菓子を持って部屋に入ってきた。泣いている一馬を見つけて、どうしたの、と聞いた。一馬は僕を指さした。
「かずちゃんに何をしたの?」
お母さんは明らかに一馬の味方であった。最初から僕が悪いという態度であった。ありがちだな、と子供ながらにがっかりであった。この子にしてこの親か、やれやれ。
「お母さん、これは子供の問題やけん、口ばださんでください」
まあ、と一馬のお母さんは唸った。
「一馬がお友達を連れてきたから珍しいと思って期待していたのに、こんなおかしな友達を作っちゃいけませんよ。明日校長先生に抗議しときますね」
一馬のお母さんは一馬を抱き寄せて、そう言ったのである。僕はあいた囗がふさがらなかった。なんで校長なんだろう、と考えた。このお母さんも一馬同様負けず嫌いで、担任より校長の方が格が上だと思っていたのかもしれなかった。
一馬の負けず嫌いはとどまるところを知らなかった。とにかくなんでも自分か一番じゃなければ気が済まないのである。一番に給食を食べ、一番に宿題を提出し、テストも一番。確かに勉強は出来たし、運動も出来たが、鼻についた。クラスの連中の顰蹙をどんどん買っていくのであった。
そんなある日、一馬と番長のクニヤンとが言い合いになった。
「一馬、お前は誰よりも足が早いって自慢しとうばってん、お前よりも早い奴がこの組にはおるったいね」
「ふん、僕よりも早い奴なんていないもんね」
「じゃあ、お前そいつと勝負してみてん。そして負けたら、明日坊主頭にしてこいや」
クニヤンのいう早い奴というのは、鹿児島から転校してきたばかりのゴワスこと新道孝之であった。(新潮文庫『そこに僕はいた』を参照)
ゴワスは見かけはとろかったが、足だけは異常に早かった。かくして放課後一同はグランドに集まった。クニヤンが合図を出した。二人は一斉に走り出した。勝負は互角だったが、僅かにゴワスの方がリードしていた。最終コーナーに差しかかった時のことである。突然二人は転倒してしまうのだった。二人の体が接触したからだったが、明らかに一馬がゴワスのシャツをひっぱったのである。倒れた一馬はすぐに起き上がり一番でゴールインした。
「てめえ、ゴワスのシャツばひっぱったろうが」
クニヤンは怒った。
「ひっぱらない。あれは事故だよ。でも僕は最後まで全力で駆け抜けた。やっぱり僕が一番だって見せつけることができてうれしい」
ゴワスがやってきて、もう一度勝負しろ、と叫んだ。
「いや、だめだね。今の試合で僕は足を傷めた。これが直るまでは勝負はできない」
なんと負けず嫌いな奴。でも僕はちょっとうれしくなったのだ。ここまで負けず嫌いだと気持ちがいいものである。僕は放課後、一馬と一緒に帰った。
「なあ、今度は僕んちによっていかんね」
一馬は警戒していたが、ああ、と従った。社宅の狭い部屋にあがると、一馬は家中を物珍しそうに眺めた。こんなところで暮らしているの、気の毒だね、といわんばかりの顔つきで。玩具箱に戦車や戦闘機のプラモデルが沢山あるのを発見し、一馬の目に輝きがでた。
「戦争ごっこしようか」
「うん」
僕は丁度半分ずつになるようにプラモデルを分けた。ところが一馬は気に入らないのである。僕が持っていたスピットファイアーを取り上げ、しまいにはシャーマン戦車も取り上げられてしまった。僕の手元にはジープと第一次大戦時の複葉機しか残らなかった。
「ずるか。なんでそげん負けず嫌いや」
「だって、絶対に負けたくないもん。強いものが好きなんだもの」
「そんなんじゃつまらんやろうもん」
「つまる」
「返せ」
「いやだよ」
僕が一馬から戦車と戦闘機を取り上げようとしているとそこへ母さんがお菓子を持って入ってきた。
「ヒトナリ! なんばしよっと。お友達が来たら、半分ずつっていつも言うとるやろ。遊びに来てくれたんだから、気兼ねさせてはいかんとよ。よかね。わかったと」
一馬はきょとんとした顔で僕と母さんのやりとりを見ていた。母さんがお菓子を置いて出ていくと、
「辻君のお母さんは辻君のことを愛していないの?」
と聞いてきた。
「なんで?」
「だって。君が怒られてたじゃん」
そういうものなのかな、と僕は一晩そのことについて考えた。一馬君の味方になった一馬君のお母さんと自分の母さんとを僕は比較してみたのだ。一瞬、一馬君のお母さんの方が優しそうに思えたが、眠りに落ちながらも僕は首を横にふった。母さんはいつでもどこでも、電車やバスの中でも、理不尽なことをしている子供には怒る。いいことをしている子供にはいつでもどこでも、電車の中でもバスの中でも、きちんと褒める。つまり母さんの愛は広いのだ。そうか、そういうことか、やれやれ。結局、僕は安心して眠ることにしたのだった。
一馬は転校してきてから僅か四ヵ月で再び転校することとなった。父親の仕事の関係だということだったが、一馬は僕にだけ事情をあかした。
「母さんがね、この学校は僕には合わないって言うんだ。僕の人格を歪めるってさ。それで私立の学校に移ることになった」
僕は驚いたが、あのお母さんならやりかねないことであった。
「でも、辻君。辻君とはなんだか友達になれそうな気がしてた」
別れ際、最後に彼が言った一言が僕はうれしかった。
「僕もそう思うったいね」
そう僕は笑いながら言った。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。